新聞各紙に“国内銀行初の女性トップ”の見出しが躍った2014年春。鳥海智絵さんが野村信託銀行の執行役社長に就任した。女性の積極登用を推し進めるという政府の政策とも重なり、新時代の女性リーダーとして、経済誌などに取り上げられる機会も増えた。しかし当の本人はどこ吹く風で、取り巻く環境の変化を冷静に見つめている。
「野村證券には性別にとらわれない風土がありますし、私自身、女性だから仕事がしにくいと感じたことは一度もありませんでした。ですから、ここまで注目されるとは正直驚きです。“銀行”に男性社会のイメージがあるからでしょうか」。
そんなニュートラルな男女観を持つ鳥海さんだが、その感覚は早稲田大学法学部で過ごした学生時代に培ったものだという。法学部の学生が集う広い教室には、いつも女子学生は数人だけ。しかし、法律の勉強に性別は関係なく、大勢の男性に混じって意見を交わし合うのはごく当たり前の日常だった。
社会に出てから痛感したリベラルアーツの大切さ
祖父も父も早稲田出身。幼稚園のころから「都の西北」を口ずさんでいた。実際に早稲田の門をくぐって感じたのは「自主性が問われる大人の場所」だということ。入学当初は自由な空気に流されてあまり熱心な学生ではなかったそうだが、このままでは駄目だと一念発起。米オレゴン大学へ1年間の留学を決めた。「米国ではさまざまな学部のリベラルアーツに触れられたのが大きかったです。経営の立場になってから海外のビジネスパートナーと雑談する機会も増えたのですが、教養の大切さを痛感しています。学生時代は学部を横断してさまざまな領域を学べるので、自然科学や哲学などの教養知識を身に付け、多くの人と接し、人としての魅力を広げてほしいですね」。
1989年に大学を卒業した鳥海さんは、日本がバブル景気に沸く中、女性総合職2期生として野村證券に入社。約300人の同期の中で女性はたったの7人だけ。しかし、男女分け隔てなく評価するという企業風土の中、トレーディング部門、エクイティ部門、投資銀行部門など、数多くの部署で経験を重ねる。特に転機となったのは、当時社長だった古賀信行現野村證券会長の政策秘書を務めたことだった。
「企業のトップがどのような目線で会社全体を見渡し、どのように物事を捉え、判断するのかというのを目の当たりにすることができました。このときの経験が、今、経営者としての仕事に生きているのは言うまでもありません」。
たくさんの選択肢を持てば、どんな人生にも対応できる
次世代の女性リーダーともてはやされることに違和感を覚えつつも、自身の発言によって女性の活躍の場が広がるのなら、それも社会に求められた仕事の一つだと鳥海さんは考えている。「男女の能力差はない」と言いつつも、実際には女性ならではの“人生の岐路”に何度も立たされ、その都度、周囲の助言によって助けられてきた。その感謝を忘れはしない。「女性の方が結婚や出産など、人生の選択を迫られるタイミングが多いのは間違いありません。生涯設計が大事だといいますが、予期せぬことが起きるのが人生。事前にプランを決め過ぎずに“たわみ”を持ちながら人生を柔軟に切り開いていってほしいと思います。学生時代は、その選択肢を広げる貴重な時間です」。
ちなみに、鳥海さんの息抜きは、テニス、スキー、電子オルガン。どれも大学時代に熱中し、多忙な社会人となってからも時間をやりくりして続けてきた、掛け替えのない趣味だ。一度始めたことはとことん追求し、絶え間ない努力を一つ一つ積み重ねる─。その才能が、現在の鳥海さんを形作っている。