スペイン在住歴5年。現地のサッカークラブでU-13の指導経験を持つ、異色のサッカージャーナリストである。人生のテーマは一貫して、「サッカー」「育成」「スペイン」。ターニングポイントには、いつもこのキーワードがあった。
「高校時代、所属していたサッカー部が京都府予選ベスト8で敗退し、選手としての限界を悟りました。一方で、サッカー部の恩師の姿にチーム育成の醍醐味(だいごみ)を感じ、次に目指す道だと直感しました」。
早稲田の教育学部に進学したのも、サッカー部の顧問を目指すためだった。
サークルとスペインに熱中した大学時代
大学では数あるサッカーサークルの中から比較的小規模な団体を選択。先輩の協力を得て1年次からチームの育成に取り組み、独自の練習メニューを実践した。チーム内からの反発もあったが、そのたび、「早稲田一のチームを目指そう!」と周囲を鼓舞し、士気を高めた。
同じころ、スペインサッカーへの憧れも強めていく。攻撃的な戦術の裏にはどのような練習があるのか?次世代の育成方法は?ファンとしても組織づくりに携わる身としても気になり、留学を決意した。初めてのスペインは、大学の短期留学プログラムを利用し、2年次の夏に訪れたサラマンカ留学。約9万人を収容する競技場でのサッカー観戦には、「鳥肌が止まらないほど感動しました」。在学中に再びスペインに行くことを決意し、帰国後は語学の勉強に注力した。
3年次の秋、早稲田祭のサッカー大会でチームを優勝に導き、学生生活の一つのゴールにたどり着いた。そして最終学年、早々に教育業界に就職先を決め、半年間のバルセロナ留学に飛び立つ。
「スペインに長期滞在する最後の機会のつもりでした。ところが現地のサッカー文化に触れながら地元の人たちと交流することで、もっとここで生活したいと思ってしまった。結局、会社員生活は2年で切り上げ、サッカーの指導者を目指して再びスペインに渡ることにしました」。
こうして2004年、3度目のスペイン、バレンシア留学を果たすことになる。
世界的に珍しいサッカーブログで人生が一変
留学中は毎日スペインリーグの強豪チーム「バレンシアCF」の練習場に赴いた。日々の練習メニューを分析するだけではない。時にはスター選手にアポなしで駆け寄り、じっくり話を聞くことも。スペインにはやりたいことを表明すれば、それを受け止めてくれる文化があった。
小澤さんは日々の取材記録を個人Webサイト「バレンシアサッカーライフ」で発信し続けた。すると2年後、事件が起きる。「ブログの内容が世界的にも珍しかったようで、日本のサッカーメディアから執筆依頼が舞い込んだのです」。
二つ返事でOKした。指導者の経験を積むにしても生活の糧が必要だったのだ。こうして2006年、サッカーライターとしてデビューし、2010年までスペインで活動を展開。その間、現地の街クラブでU-13世代のアシスタントコーチも経験。スペインサッカーに精通し、選手の指導経験もあるサッカージャーナリストという確固たる立場を築いた。
予想外の人生である。だが、なるべくしてなったという誇りもある。
「大学のサッカーサークルメンバーのうち、サッカーの仕事をしているのは僕だけです。その理由はおそらく、常に信念を公言し続けたから。やりたいことを発信し、有言実行を迫られるプレッシャーをモチベーションとして行動することで、結果はついてくるのだと思います」。
小澤さんの人生訓。この言葉には、「信念を口にすれば、誰かが受け止め、育んでくれる環境が早稲田にはある」という後輩へのメッセージが含まれている。