社会的事件の当事者となり学んだコミュニケーションの本質
ミゲル少年が商品名を高らかに歌い上げる「消臭力」シリーズや、とぼけた熊の行動が笑いを誘う「ムシューダ」シリーズ。日用雑貨メーカー「エステー」は思 わずクスッとなるユーモア溢れるCMでおなじみだ。毎年、CM好感度ランキングで上位に名を連ねる同社のプロモーションを牽引するのが、“特命宣伝部長” の鹿毛康司さん。「宣伝」の世界に飛び込んだのは42歳。かなりのスロースターターだ。
「大学で広告論を専攻し、宣伝の仕事をしたくて新卒で雪印に入社しました。ただ、残念ながら在職中に希望の部署には就けず、“訳あり”で転職した先のエステーで宣伝の仕事をすることになりました」。
“訳あり”の背景は、2000年に起きた雪印乳業食中毒事件に端を発する。その後、間もなく子会社の牛肉偽装事件も発覚。鹿毛さんにとって人生における最大の転機だった。
「当時僕は被害に遭われた方のもとに直接足を運び、お詫びする毎日を送っていました。ところが、度重なる社の失態によって、謝罪の心はお客さまには届かない。そこでようやく当たり前の現実に気付いたんです。企業はお客さまに喜ばれて初めて存続していけるのだと」。
雪印乳業が再び信頼を取り戻すには、安易な“お客さま主義”や“消費者視点”から脱し、お客さまと心と心を通わせるコミュニケーションの在り方について考 えなくてはならない。そこで鹿毛さんは、社内の有志7人で「雪印体質を変革する会」を発足。会として謝罪広告を発表し、消費者から届いた苦情の手紙一枚一 枚に誠心誠意の返事を書いた。
経験に裏打ちされた自信の先にCM好感度ランキング1位の栄誉
雪印乳業を退職後、転職先のエステー ではサプライズが待っていた。入社早々、社長から宣伝部への配属を告げられたのだ。
「当時42歳で、未経験ですから驚きましたよ。けど、自信もありました。雪印時代、お客さまとのコミュニケ―ションの在り方をどこまでも深く考えてきたわけですか ら」。
その予感は現実となった。冒頭で紹介したシリーズのほか、滑稽な時代劇仕立ての「消臭プラグ」シリーズ、本物の 支店長らが真剣な表情で商品を手にして踊る「消臭ポット」シリーズなど、鹿毛さんが手掛けたCM は立て続けにヒット。特に「消 臭力」シリーズは世代を超えて広く愛され、ミゲル少年とアーティストのT.M.Revolution が共演した作品はCM好感度ランキング1位を獲得した。
「毎月生み出される約1,000種類の新作CMのうち、主に多額の予算を投じた一握りの作品が耳目を集める中で、広告予算200位以下の企業が達成した快挙だったと自負しています」。
本質を見る力を養ってこそ社会のスタートラインに立てる
「お客さまのことを知るにあたって、最大の情報は何だか分かります?正解はお客さまの“表情”です」。
鹿毛さん独自のマーケティング理論だ。商品を企画し、プロモーションを考える上で、消費者の声を集めるのは当然。だが、現場の空気までは調査結果に表れな い。「好きです」という言葉を一つとっても、それを口にする表情によってニュアンスは大きく異なる。だから、調査を行う際、必ず現場に赴く。消費者の表情 を見ることが、相手と向き合い、心と心を通わせることにつながるからだ。
このようなあまたのビジネス経験から導き出した勘どころを、鹿毛さんは惜しげもなく披露する。例えば、社会人講師として大学に招かれれば、学生相手に仕事と同じようにプレゼンをし、机上の学問で内容を捉えようとする学生を喝破していく。
「どんな職業でも、地味な“素振り”を積み重ねることで、本質を見抜ける一流に近づくことができます。プロって本当に愚直なんです。だから、学生の皆さん には、単なる手法の知識だけでは社会で通用しないことを分かってほしい。それを理解した上で、今やるべき勉強に打ち込めば、地に足のついた状態で社会のス タートラインに立てますから」。
地味な努力を通して、物事の本質を見る力を養え―鹿毛さんの厳しくも温かいエールは皆さんに届いただろうか。