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流しのブルペンキャッチャー魂の一球を受け止める! フリーライター 安倍 昌彦

フリーライター 安倍 昌彦

神宮の杜で名をはせた選手たちが、プロへの階段を駆け上がっていく一方で、日の目を見ぬまま現役生活を終えた選手がいた。誰よりも野球を愛し、43歳で夢をつかみとったその人こそ、今回の先輩、“流しのブルペンキャッチャー”こと安倍昌彦さん。プロのキャッチャーではないが、良い投手がいると聞けば有名・無名に関わらず自らブルペンに座り、ミットに球を受けた体感をもとに記事を書く安倍さんの、夢を追い続けた半生をたどった。

勲章なしのキャッチャー

自らブルペンに座り、投手の球を受けた体感を元に記事を書く「流しのブルペンキャッチャー」(C)「野球小僧」編集部

自らブルペンに座り、投手の球を受けた体感を元に記事を書く「流しのブルペンキャッチャー」(C)「野球小僧」編集部

野球好きの父親の影響で子どもの頃から白球を追い続けてきた安倍さんは、早慶戦に憧れて早稲田大学に進学。キャッチャーとして野球部に入部した。「同期生に5人もキャッチャーがいました。しかも甲子園で活躍したスター選手ばかり。私だけが何の勲章も持たない選手でした」。

レギュラーになれるはずもなく、スター選手たちの陰に隠れ、日の目を見ぬまま大学生活を終えた安倍さん。選手としては活躍できなかったが、せめて大好きな野球に関わる仕事に就きたいと強く願っていた。そんな野球への強い想いは、安倍さんの人生に長い試練を与えることになる。

ついに巡ってきたチャンス

大手重機メーカーの営業マンとして社会人生活をスタートさせた安倍さん。数億円単位の商品を扱う仕事に悪戦苦闘の日々を送るも、野球を忘れる日はなかった。年数を重ねるたびに野球への想いは膨み、入社6年目の29歳、ついに会社を辞めてしまった。野球のスカウトになるにもスポーツ記者になるにも自分の知識や経験では通用しないと分かっていたが、立ち止まるわけにはいかなかった。「アルバイトで食いつなぎながら、知り合いに頼み込み、何でもやるという条件で研修生という名目で某企業の野球部の練習に参加させてもらっていました。部員からは『誰か知らないけどいつもいるやつ』と思われていました(笑)」。

取材中の一コマ。球を直接受けるからこそ、たくさんのことが見えてくる。(C)「野球小僧」編集部

取材中の一コマ。球を直接受けるからこそ、たくさんのことが見えてくる。(C)「野球小僧」編集部

30歳を過ぎ、アルバイト生活にも限界が迫っていた。そんな安倍さんを見かねた高校の野球部時代の先輩が、自分の経営する会社に誘ってくれた。「最初は腰掛けのつもりで働いていたのですが、次第に面白くなってきてちょうど20年お世話になりました。野球はというと、続けてはいましたが、心の火が少しずつ小さくなっていることを感じていました」。

夢は夢のまま終わるのだと半ばあきらめかけていた安倍さん。しかし運命は思わぬ展開を見せる。白夜書房から野球専門誌『野球小僧』が新たに発行されることとなり、その立ち上げメンバーに誘われたのだ。「うれしかったですね。43歳にして、突然チャンスが巡ってきたわけですから。本格的な文章なんて書いたこともありませんでしたが、迷わず参加しました」。

流しのブルペンキャッチャー誕生!

それは当時、高校ナンバーワン左腕として多くの注目を集めていた内海哲也投手(現読売巨人軍)の取材だった。「何の気なしに『内海の球、一度受けてみたいですね』とつぶやいた私に、『それおもしろい!』と編集長がひと言。企画書も企画会議もなく、1分間の立ち話で“流しのブルペンキャッチャー”は誕生したのです」。

初めての取材は、ある秋の日の放課後だった。日が暮れることを心配する安倍さんをよそに、ゆっくりと体を温める当時高校生の内海投手。「念入りに投球用の肩をつくる彼の姿を見て、本物のピッチャーだと思いました。決して自分のペースを変えない、良い意味で“ジコチュー”。投げ始めてからもなかなか本気を出さない。それでもパシーン! パシーン! と良い音を立てて捕球してあげると、仏像のような表情が段々と挑戦的に変わっていくのです。投げる球もさることながら、その立ち振る舞いは、ただ者ではないと感じさせるものでした」。

内海投手の球を受けた日から12年間、約160人にも及ぶ投手の球を受け、記事を書いてきた安倍さんにとって、ナンバーワン投手とは? 「浅尾拓也投手(現中日ドラゴンズ)ですね。当時まだ大学生だった彼は、あの細い体から信じられない球を投げてきました。まさに“けいれんするストレート”。揺れるなんてもんじゃない、150kmの速球がビリビリ震えながら襲ってくるのです。球にエンジンが入っているかのようでした。もう二度と受けたくない投手の一人ですね(笑)」。

安倍さんの相棒の特注ミット。これで100人以上の投手の球を受けてきた。手入れに使うは一般的に使う革用オイルではなく、人の皮膚用の軟膏。このミットと相性がいいのだそうだ。

安倍さんの相棒の特注ミット。これで100人以上の投手の球を受けてきた。手入れに使うのは一般的に使う革用オイルではなく、人の皮膚用の軟膏。このミットと相性がいいのだそうだ。

いまだ見ぬ明日へ向かって

43歳でついに夢にたどり着いた安倍さん。これまでの半生を振り返り、今、思うこととは?
「若かりし頃、プロ野球選手の特徴をまとめるために図書館に通い、帰り道で暮れていく夕日を見つめながら、『おれ、何してるんだろう…』と思ったことを覚えています。だけど、たとえ無意味だとしても続けてさえいれば自分の知らない明日がやってくるような気がしていました。その明日を、私は見てみたかったんですね」。純粋な夢を持つゆえに果たせぬ苦しみも多く味わった安倍さんは最後に後輩たちに向け、こんなエールを送ってくれた。「人生には、野球の試合と同じように、“流れ”があるのだと思います。流れに身を任せてみるのもまた大切です。その先に何があるのかは分かりませんが、自分の知らない自分に出会うこともあります。それでも納得できないなら、また選び直せばいい。いろんな自分に出会いながら、少しずつ成長していけば夢の方から近づいてくるものではないでしょうか」。
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Profile
■あべ・まさひこ
1955年生まれ。1974年、早稲田大学第一文学部入学。野球部に入部。岡田彰布さん(現オリックス・バファローズ監督)、山倉和博さん(元読売ジャイアンツ捕手)らと共に学生時代を過ごす。1998年より白夜書房発刊の野球専門誌『野球小僧』にてコラムを連載。“流しのブルペンキャッチャー”として知られる。

早大生のための学生部公式Webマガジン『早稲田ウィークリー』。授業期間中の平日はほぼ毎日更新!活躍している早大生・卒業生の紹介やサークル・ワセメシ情報などを発信しています。

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