「でももし、貴女が同性愛者だったらお母さん、どうしよう」
それは、私の母が私に投げかけた一番ショックな言葉の一つだった。私は一人っ子であるせいか、母とは非常に仲が良い。ご飯を一緒に食べる時は、私が大学で学んでいることをふんふんといつも聞いてくれる。だから、母は私の関心事の一つであるジェンダー学、特にLGBTについての話をよく聞いてくれた。そして、ある時私がLGBT関連のイベントに参加した後、いつものように私はそのイベントについて母に話をした。その際に、母がぽつりと呟いた言葉がこれだった。
ショックだった。もし、私が異性愛者ではなく同性愛者であったら、母は私を受け入れてくれなかったかもしれないからだ。
もう一つショックだった。あれほど、普段から私がLGBTに関して話をしていて。彼らの苦しみを少しでも和らげてあげたい、と私はいつも言っていたのに。それを聞いた上での母の言葉がそれだったからだ。
今後の日本社会に望むこと。勿論それは、LGBT当事者の人達が「自分の在りたいように」生きることが出来る社会になることだ。
そして、更にいうならあらゆる「差異」に寛容な社会になって欲しい。性的指向が異なるという違いや、国籍や血、言語が違うといった違い、等々。理想論かもしれないが、あらやる人達が「自分の在りたいように」生きることが出来る社会に、私はなって欲しいと思う。
国際教養4年
戸室磨里乃