「ずっと女子校だったから少し感覚が麻痺してるだけ。きっとそうだ。」そんな考えは大学に入学してすぐに否定されていた。
「自分の身体は女でも、心は女じゃない。ましてや男でもない。」そう確信するようになっていた。
大学では自らのセクシュアリティをオープンにすることなく生活をしている。「みんなに合わせよう」「この時だけ我慢すれば大丈夫」LGBTに対する偏見から逃れるために、こんな考えを持って大学の友人たちと関係を構築してきた。でも、「その我慢が無くても、今の友達と関係が築けたらもっと良いよね」そんな言葉に心を打たれて、もっと自発的に何かできることはないかと考えれるようになった気がする。自分にとって、ものすごく大きなきっかけで大きな一歩だった。
「当たり前」が万人に当然のことじゃない。これはセクシュアリティ以外のことでも言えると思う。「性別」という、誰しもが持つたった一つの側面を超えるのは難しいのかもしれない。けど、それを超えた人と人との関係は本当に温かいものだと、自らのセクシュアリティを打ち明けるたびに感じる。自分にとっての普通を、否定もせず偏見も持たず、ただ聞いてくれるだけで、「人」として自分を見てもらえてる喜びは計り知れない。
異性愛と同じように、同性愛とかLGBTとかセクシャルマイノリティという言葉がみんなの中で当たり前になって、そんな言葉が飛び交って議論される必要がない世界があることを願っている。
出身、部活、学歴、バックグラウンドが全く違う人と今こうして過ごせているのだから、外からは見えない違うなにかを持っている人とも、普通に過ごして行ける、そんな世の中は必ず訪れる、そう信じている。
人間科学部3年 かおり