Education。Instructionとどう違うのか? 『ミス・ブロウディの青春』という小説で作家ミュリエル・スパークは、教師のミス・ブロウディに次のように言わせています。
「<教育(エデュケーション)>という語は、<外へ(エクス)>の語根エと、<私は導く>を意味する<デュコ>からできたのです。つまり導き出すということね。私の考えでは、教育とは生徒の魂の中にすでにあるものを導き出すことです。ミス・マッケイの考えでは、そこにないものを注入することで、それは教育じゃない。私はそんなのを<教えこみ(インストラクション)>と言うの。つまり、<中へ(イン)>というラテン語の接頭辞と<私は突っ込む>を意味する語幹<トゥルド>からできた語ね」(Spark 1961=2015 『ミス・ブロウディの青春』岡照雄訳 53頁)。
私たちのなかにある何か大切なもの。それは殻をかぶって(かぶらされて)いたり、眠って(眠らされて)いたり、いろいろな条件が揃わなくてうまく発揮されなかったりします。しかし、それが動き出して今や外へと現れ出てくる、そのように感じられるときがあります。自分の場合もありますが、他の人からそんな感じを受けるときにはその人が輝いて見え、何やら心を動かされます。
Educate yourself。辞書にはeducate oneself=独学する、とありますが、ミス・ブロウディのいう意味で。とはいえ、これを阻害するさまざまな社会的条件があるのも事実。それを少しずつでも動かし変えていくことも必要です。アライを可視化する、というこの企画は名案だと思います。アライは、アライとしての資質を自分のなかから外へと導き出します。私もqoonの皆さんに誘われ、ここに自分を可視化します。Educationが新しい関係=社会をつくりだす契機となりますように!
文学部教授 草柳 千早