私がセクシャリティについてちゃんと知るに至ったのはオープン科目でのグループワークに参加してからだった。でも、”ちゃんと”わかってるかと言われたら正直わからない。なぜならレインボーだから。グループワークの中で、型にはめることなくある程度曖昧なものでいいんじゃないか、という結論に至り、だからこそレインボーなんだとわかった。
わからないものを人は恐れるし、否定しがちだと思う。でも一方で、セクシャリティに限らずとも、自分のことを周りは完全にわかっているのか。全てをさらけだして生きているわけではないし、それを強要することも、そして否定する筋合いでもない。だから、わからないこと、知らなかったことに出くわした時にそれを「そうなんだ」と受け止められるかどうかだと思う。自分と違うからってそれを否定していたら、じゃあ裏を返せば自分はぜーんぶ周りと一緒なの?ってことになると思う。仮にそうならそんな人間つまんない。人間はみんな違うところがあるからこそ、色んな考え方があって愉しいものだと思うから。
そもそも自分が「普通」だと思ってることが、思い込みなのかもしれないって問いを抱くようになった。マジョリティって勝手に思い込んでいたものが沢山あるし、今も無意識に思ってしまってるものがまだまだあると思うから、その問いはこれからも抱き続けていきたい。自分が「普通」だとも「異常」だとも思わず思われない、「自分が自分らしく」在れる世界になってほしい。
社会科学部卒業 りょーこ