『自分、ゲイなんだけど』
今でこそ抵抗なく言えてしまうけれど、初めて親友に伝えるときは 3 時間経っても、ずっと言い出せなかった。「ゲイ」と言うカテゴリーで纏められ、違う世界の人として思われて親友との距離が離れてしまうんじゃないかと怖くなったから。でも親友はやっと打ち明けた僕を、こんな言葉で一蹴してくれた。『ゲイであっても、お前はお前だから。』
そして僕と親友は大学生になり、僕は LGBT の当事者が集う自助グループに入ることになった。そこは、悩みを共有できる仲間が沢山いるステキな場所だった。そんな新鮮な経験を、僕は親友に伝えたくなった。だから、初めて親友と酒を飲み交わした時、僕はもう話が止まらなかった。そして、いつの前にか、僕はこんな風に話し始めていた。
『「コッチ」の世界は。●●が××で~』『お前は「ノンケ」だから~』
みんな使ってるからと、そんなに深い意味はないつもりで発したフレーズだった。だから親友がこの言葉を聞いて、少し悲しそうな顔をしたことに僕は気づかなかった。親友は、僕の酔いのさめた後でひどく怒った。なぜそんなことを言うのか。お前は、俺のことを、「ゲイ」か、「ゲイ」じゃないのか、「ノンケ」だとか、それだけで判断しているのか?と。
カテゴライズされるのが嫌だからとあれほど悩んだのに、自分や相手をカテゴライズして語る、ひどく滑稽な僕がそこに居た。
それは、「 LGBT 」だからこそ、言いたくなるフレーズなのかもしれない。ただ、「 LGBT 」「ゲイ」そんなカテゴリーで自分を纏めて安心して、世界を二つに分けてしまおうとするような意識が僕にあった。自分を語る言葉を見つけることは素敵なこと。でも、これだけで本当にいいんだろうか。いつの間にか、僕は自分をとても小さな枠の中に閉じ込めようとしていないだろうか。それは、僕にとって、誰かにとって、本当にいいことだろうか。
『ゲイであっても、お前はお前だ』
あの時親友は、僕に大切なことを教えてくれていたのだ。それは、「 LGBT 」とか「ゲイ」とか「ノンケ」とか関係なく、僕も親友も、そして誰もがかけがえない一人の存在だってこと。
それから僕は、「LGBT」ではなくて、「僕」という人間として生きようとしている。そう思えば、目の前の誰かも、「LGBT」とかそんな言葉だけで語れない、かげがえのない僕とは違う存在で、なんだか愛おしいのだ。そんな風に、僕の中からも皆の中からも、いつか「LGBT」という垣根が、なくなってくれればいいなあ。
早稲田大学公認サークル所属他大生 シュンジ