出鼻を挫かれたのは入学式。
新歓の先輩方の声掛けにもみくちゃにされながら何もかもが新しく見えた。何個かブースに立ち寄ると「一見男の子と思ったよ」「そんなの一女に言うの失礼でしょ!」というやりとりに、愛想笑いだけしてブースを去ったのを覚えている。
もう大学辞めたいな、と思ったのは1年の秋学期。
「大学に入ったら男性として生活をしよう」と決めて受験したが、クラスで大きな声で読み上げられる名前はどこから聞いても女の子の名前で、当然のように女の子として認定されていく僕。今だったらトランスジェンダーだと笑顔で説明できるけど、当時の僕は何も言えぬまま。
結局入った複数のサークルでは「男子の先輩だと誰がタイプ?」とか「サラダ分けられるとかできる一女だね」とかの会話が辛くて、徐々に行かなくなった。意気揚々と飛び込んだ大学で居場所もないまま、自分じゃないまま過ぎて行くことにただ泣く日々で、このまま人生過ぎて行くのかなあって思っていた。
大学初のカミングアウトは1年の終わり。
qoonという社会問題をイベントにするサークルに入った僕は、LGBTのイベントをやりたいと言っていた。そんなある日、サークルの先輩から夜中の3時にいきなり電話がかかってきて、「で、お前はなんなんだ?」と僕に聞いた。デリカシーのない人だと思いながら半ばやけくそでカミングアウト。一瞬考えたあとに彼が言った「俺よくわからんから、これからも好き勝手言うけれど、嫌なことあればなんでも言えよ」という一言が嬉しくて、そのような関係を積み上げ今でも山田先輩を慕っている。
初めて居場所が出来たのは2年の春学期。
qoonでLGBTのイベントをやらせてもらえることになり、メンバー全員にカミングアウト。徐々に受け入れてくれて、初めて大学で自分を隠さずいられる場所ができた。そしてそれがどんどん波及し、どこであっても自分がトランスジェンダーであることを隠さないでいられるようになった。今でも同期とは年何回も飲む関係で、おかげで今の僕があると思っている。
LGBTサークルを立ち上げたのは2年の秋学期。
qoonで開催したイベントを、ここで終わらせていいのか?とメンバーに焚き付けられて、「ReBit」という団体を立ち上げ、学校現場でLGBTの授業を始めた。少しずつを何度も繰り返すうちに、仲間が増えていった。
初めて大学に相談できたのは4年の春学期。
健康診断を個別に受けさせていただけないかと保健センターに相談すると、すんなり対応してもらえた。なんだもっと早く相談してよかったんじゃんってわかった。4年目にしてやっと、安心して健康診断を受けられるように。
先が見えなくなったのは就活期。
戸籍は女性だけど男性として働きたいと、カミングアウトして就活に臨んだ。でも面接で「帰れ」と言われたりハラスメントにあうことも。どんどん落ちていく度に「トランスジェンダーだからだろうか?」と不安が募りながらも、就活の葛藤をキャリアセンターに相談することもできずに、ただただひとりで抱え込んだ。
胸を張って卒業できたのは5年の終わり。
留年をしつつもなんとか単位を取り終え、内定も決まり、意気揚々と卒業した。在学中に学んだ「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」という言葉を今でも胸に、社会人生活を送っている。
WASEDA LGBT ALLY WEEKが開催されるという今年5月。
卒業してから4年の月日が経つ母校で、自分の出身サークルがこのイベントを開催することがとても嬉しい。僕が在学中に経験してきた様々な葛藤を後輩たちがせずに卒業できる早稲田へ一歩近づくことを切に願います。
商学部卒業
特定非営利活動法人ReBit代表理事
藥師実芳