LGBTは「普通」だなんて、「共感しろ」なんて、私は言えない。でも「他人事」でもない。
少数派であることを意識させないって難しいことだと思う。「普通だ」「みんなと同じだ」って言うことも好きじゃない。だって「普通」って、例えば、私が周りの子より声が低くて自分のことを嫌いだった時代も、受験と同時期にやってきた父子家庭時代も、なかったことになるじゃん。それは悔しいよ(笑)だって、「他の多くの人より苦労してきたんだよ」って、「頑張ってきたんだよ」って思わないとやってられないんだもん(笑)確実にそういう過去は今の私を形づくっている部分だしね。LGBTと呼ばれる人たちも、「普通」って言っちゃうのは違うのかなって個人的には思う。その人を形づくる要素の一つ、それ以上でも以下でもないでしょ。
でも、実は多数派こそ、少数派を「他人事」にはできないんだと思う。というか、関係ない人っていないと思ってる。男友達に何気なく聞いちゃう、「彼女いる?」って言葉。定型化されて、使い古された言葉だよね。でもその友達がゲイだったら?「私は差別しないよ」なんて思ってたのに、実は友達を傷つける。あ、私もLGBT問題の関係者なんだって感じた。友達に当事者がいる可能性はゼロだなんてありえないから、みんな関係者なんだと思ってる。今日からは「恋人いる?」って聞こうって思った。
そうは言っても、みんながみんなLGBTと呼ばれる人たちの気持ちに共感することなんてできないと思うのね。共感の強要も好きじゃない。無理だし。ただ、感情的な部分では理解できない部分はあっても、それが人を否定したり傷つけたりしていい理由にはならないと思う。そりゃあ共感してもらえるのが最高だけど、頭で理解して、表現するところで誰かを傷つけなければ、私はいいんじゃないかなって思ってる。
誰にでも、何らかの「少数派」な部分はあると思う。身体、環境、経歴とかね。特別扱いしないでほしいって気持ちはすごくよくわかるんだけど、でもちょっと違う。「特別」って「同情される特別」と「すごいって思われる特別」の二種類あると思う。後者になれたら理想だよね。人と違うってことがマイナスなものではなく価値になるような社会になれ ばいいのに。少なくとも私は、自分と、みんなと違う人って大好きだし、高い価値があるなって思う。
教育学部3年
ダイバーシティ早稲田/うちにおいでよ!所属
山田 花