Waseda Institute for Advanced Study (WIAS)早稲田大学 高等研究所

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安定した視覚世界を生み出す脳のしくみを明らかにする
高尾 沙希 講師

高尾 沙希 講師

研究を始めたきっかけ

私の専門分野は実験心理学、とくに視知覚や錯視の研究です。小学生の時に初めて錯視を見たとき、私たちが見ている世界は必ずしも物理的な現実そのものではない、という事実に大きな衝撃を受けました。同時に、その錯視が生み出す視覚的な美しさに強く惹かれました。こうした経験が、私たちはなぜ「見間違う」のか、そして脳はどのようにして一貫した世界を作り上げているのかという問いを持つ原点になりました。

学生時代には、幼少期からの関心を原点として、古典的な幾何学錯視の機序を手がかりに、視覚的な文脈効果の研究を進めていました。こうした研究の過程で、私たちが日常的に暮らしている世界そのものが絶えず時空間的に変化していることに着目し、「時空間的に変化する視覚世界のなかで、脳はどのように現在を知覚しているのか」という問いへと辿り着きました。

具体的な研究内容

私たちが外界を見るとき、光は水晶体を通って網膜に像を結び、電気信号に変換されてから脳に送られます。しかし、視覚情報が脳内で処理され、最終的に「知覚」として意識にのぼるまでの一連の情報処理には数百ミリ秒を有します。そのため、私たちの知覚世界は、光が網膜に到達した時点から数百ミリ秒遅れた世界ということになります。それでも私たちは、遅れて知覚しているとは感じず、むしろ世界を滑らかに、リアルタイムに見ているように感じます。

私はこの問題に対して「脳は未来を予測することで、遅延を補償しているのではないか」という視点から研究しています。具体的には、大きさ錯視の一つであるエビングハウス錯視を用いた実験を行いました。エビングハウス錯視とは、周囲の円(文脈刺激)が大きい場合は中央の円(ターゲット刺激)が本来よりも小さく知覚され、文脈刺激が小さい場合には、反対にターゲット刺激が大きく知覚されるという現象です(図の左側)。実験では、文脈刺激とターゲット刺激の提示タイミングを様々に操作することで、文脈効果の時間的なダイナミクスを検討しました。その結果、文脈がターゲットに先行して提示されると従来通りの対比効果が生じる一方、ターゲットに後続して文脈を提示される場合にはその反対方向の同化効果となり、小さい円で囲まれたターゲットはより小さく/大きい円で囲まれたターゲットはより大きく見えるということが分かりました(図の右側)。私はこの現象を「先行対比-後続同化(PCPA; Prospective-Contrast Postdictive-Assimilation)」と名付け、脳が時間軸上で過去と未来の情報を統合しているという仮説に至りました。

私の現在の研究では、こうしたPCPAがどのような心的処理や神経処理に基づいているのかを探るため、さまざまな視覚特徴(大きさ・明るさ・傾きなど)における時間的ダイナミクスを測定し、PCPAの視覚特徴間の関連を検証する実験や、乳児を対象にしたPCPAの発達過程を調べる実験を計画しています。

その研究によって明らかになること

私が現在進めている研究は、脳がどのように現在を構築し、未来を予測しているのかという視覚科学の根本的な問題に迫ることができます。もしPCPAが、予測的視覚を基盤とする視知覚全般で見られる現象であることを検証できると、私たちが見ている「今」は、実際には少し先の未来を含んだものであることを示すことになります。

これは実証研究としての意義だけでなく、視覚研究においては大きな理論的貢献も果たします。予測的視覚の理論自体は、実は古くから提唱されてきましたが、その心的処理や神経処理の具体的な過程に関する知見は未だ限られています。PCPAを通してその仕組みを定量的に示すことができれば、視覚研究全体の理解を一歩進めることになります。

社会的応用の観点からも、本研究の知見は重要です。VR・ARやロボティクスの分野では、人間の知覚に伴う遅延や予測を踏まえた表示・操作系の設計が求められています。また、私たちが運動を行う際には、手足の動きや物体の位置を刻々と把握する必要があるため、臨床場面においても予測に基づく知覚は不可欠です。本研究で得られる知見は、こうした応用分野に直接貢献し得る可能性を秘めています。

今後の抱負

得られた知見をもとにPCPAのメカニズムをより詳細に検証していくために、個人差や発達過程に着目した研究手法も取り入れていく予定です。また、国内外の研究者と共同研究を進め、さまざまな研究手法で横断的にPCPAの検証を行っていくことで、視覚の包括モデルを構築していきたいと考えています。

最終的には、「人がどのように現在を体験しているか」という哲学的にも重要な問いに、実験心理学の立場から実証的な答えを提示することが目標です。その上で、教育現場や展示、科学コミュニケーションなどを通して、こうした基礎研究の成果を還元し、錯視の魅力を多くの人に伝えていきたいと考えています。

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