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お経を発掘する:古代インドの仏教聖典を探して 八尾史 講師

仏典の成立と伝播

仏教は、紀元前5世紀、今から約2500年前にシャーキャムニ・ブッダの思想や言動がもとになって誕生したと考えられています。その教えは長く口承により伝えられ、およそ2000年前にようやく書き起こされたとみられています。
その後、仏典は、ガンダーラ語、パーリ語、サンスクリット語といったインド・アーリア諸言語で伝えられるとともに、中国語、チベット語などさまざまな地域の言語に翻訳されて広まりました(図1左)。インドで仏教が衰亡した後も、こうした仏典はアジア各地に残され、近代になるとヨーロッパ言語や現代日本語などさらに多くの言語に翻訳されていきます。
仏典の形態も、写本から木版、近代印刷、デジタルデータへと姿を変え、今に至ります(図1右)。

図1:仏典の伝播(左)と形態の変遷(右)

根本説一切有部律とは

仏典は、「三蔵」といって、教義を述べる「経典」の集成である「経蔵」、出家修行者が守るべき事柄や教団運営の規則などをまとめた「律蔵」、経典を解釈し教義を体系化する文献を集めた「論蔵」の3つに分類されます。
私の研究対象である「根本説一切有部律(こんぽんせついっさいうぶりつ)」(以下「根本有部律」)は、インド内外で広く栄えていた「根本説一切有部」という部派(学派)が伝承した「律蔵」です。
現存するまとまった律蔵には、この部派のものを含めて、6つの部派のものがありますが、根本有部律が他と異なる大きな特徴は、その分量が桁違いに大きいことです。私は根本有部律のうちの1章である「薬事」の日本語訳をしたのですが、その訳は、訳注も含めてですが、B5版にして600頁になります。これでも全体の1割程度です。
分量が多い理由は、律には規定の他にさまざまな経典や説話の類が含まれているのですが、その量が根本有部律では他の律蔵より圧倒的に多いことにあります。規則にはだいたい、「ある僧がこんな悪いことをした、ブッダがそれを禁じる規則を定めた」というエピソードがつけられていますが、根本有部律の場合、そのお話の部分が、微に入り細にわたって語られることで長くなっています。また脱線が多く、規則とは直接関係のない話、なぜそこで語られるのかもわからないような話もたくさん入っています。
このように厖大に残されている律蔵に対し、根本説一切有部の「経蔵」の大部分は現在失われています。私の研究が目指しているのは、律蔵の中に埋め込まれた経蔵の文章を回収し、消失した経蔵の内容を解明することです(図2)。

図2:根本有部律と経蔵の関係。失われた経蔵の内容に相当する多くの文章(経典)が律蔵の中に埋め込まれている。

さまざまな形で残された経のピース

根本有部律には多くの経典が埋め込まれており、失われた「経」が「律」を読み解くことで再構成できる、ということは以前から知られていましたが、その資料があまりに厖大であるため、網羅的にこれを試みた研究はありませんでした。
仏教文献は数多くありますが、よく研究されている文献は何百人もの人が読んでいる一方、ほとんど顧みられない文献もあります。根本有部律にはまだまだ未開拓の部分がたくさんありますし、ましてそこにある経典を片端から回収しようとする人間はいませんでした。このようなことが、私が研究に取り組む動機となりました。
根本有部律はサンスクリット語写本、チベット語訳、漢訳で現存しますが、すべて等しく揃っているわけではありません(図3)。チベット語訳はほぼ完本ですが、漢訳は8割程度、サンスクリット語は約3割しか残っていません。

図3:サンスクリット語写本(上)、漢訳(中)、チベット語訳(下)の根本有部律

経典の埋蔵状況もまちまちです。あるものは経典名もつけず、経典全文が取り入れられているのに対し、あるものは経典名のみが記され、本文は省略されています。どこからどこまでが経典の文章で、どこからが律の文章であるか曖昧なもの、文面の一部のみならず主題さえ大胆に改変されて取り入れられているものもあります。これらの経典は経蔵からの「引用」とみなされることもありますが、これも微妙で、律と経、どちらがどちらを引用したかは、一概にはいえません。はっきりしているのは同じ文章が2つのコレクションに入っているということで、引用というより「平行話」という方が、正確だと思います。
テキストは幸いデジタル化されているものの、単純に使われている同じ単語を検索して、突き合わせるというような方法をとることは不可能で、3つのバージョンを読み通して比べる作業が必要となり、「薬事」の日本語訳とその構造の整理には4年がかかりました。
現在、この成果を世界の研究者に提供するため、英訳を進めています。
並行して、同じ根本有部律の「破僧事(はそうじ)」に含まれる経典の解析にも取り掛かっています。破僧とは、諍いから教団を分裂させることをいいます。「破僧事」には、それについての説明とともに、ブッダの伝記や彼のいとこで後に別の教団を作ったデーヴァダッタなどのさまざまな人物に関する挿話が多数含まれています。
これが終わったら、次の章に。根本有部律に埋め込まれた全ての経典を発掘することが私のさしあたりの目標です。

 

取材・構成:山本綾子
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

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