Waseda Institute for Advanced Study (WIAS)早稲田大学 高等研究所

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人形浄瑠璃文楽の総合的歴史研究 神津武男 准教授 (2008年7月当時)

歌舞伎が好きで、早稲田大学に進学した私が人形浄瑠璃文楽に興味をもったのは大学3年生の時です。恩師に出会い、「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」という作品を観て、その面白さ、奥深さに引き込まれ、本格的に人形浄瑠璃文楽の研究を始めました。

人形浄瑠璃研究の現在

江戸時代の初め、京都において人形戯(人形操作をみせる芸能)と浄瑠璃(語り手と三味線弾きからなる音楽)が一緒に演じられるようになったのが、人形浄瑠璃の始まりとされています。その中でも最後に成立した浄瑠璃の流派「義太夫節」で、大坂・京都・江戸を活動の拠点とした系統の劇団を、今日では「人形浄瑠璃文楽」と呼んでいます。
人形浄瑠璃は文学的に優れた脚本をもつことから、圧倒的な人気を得ていました。しかし、天保の改革により、以後12年もの間、人形入りの興行が禁止されたことがきっかけで、本拠地であった大阪・京都でさえ次第にその人気に陰りが出てきます。さらに明治期、東京に興行の拠点を持たなかったことを直接の原因として、新しい社会における人形浄瑠璃の地位は低くなっていきました。近松門左衛門とその作品には、明治の段階から研究者の注目が集まったのに対して、演劇・芸能の総体としての人形浄瑠璃文楽は、昭和のはじめ、演劇評論家の三宅周太郎が「滅びつつある存在」として紹介するまで顧みられなかったというべきでしょう。
近代の東京で出遅れたことが、学問研究にも影を落としています。能・狂言、人形浄瑠璃文楽、歌舞伎を日本三大演劇といいますが、能楽と歌舞伎にはその名を冠した学会があるのに、人形浄瑠璃文楽にはありません。このように研究体制が脆弱であるために、今日における人形浄瑠璃文楽の歴史の記述には誤りが少なくありません。江戸時代、人々に大きな影響を与えた文化であった人形浄瑠璃文楽が、今日では全く省みられなくなっているのです。

日本全国を席捲した浄瑠璃本

人形浄瑠璃文楽の最大の特徴は、その台本・脚本である「浄瑠璃本」が、初演興行時に出版され、そして日本全国に流布した点です。浄瑠璃本には、作品全体の本文を全て通して収めた「通し本」と、その一幕分ずつを抜き出した「抜き本」という2つの種類があります。私は、人形浄瑠璃がいかに隆盛していたか証明するために、浄瑠璃本、特に義太夫節の通し本が日本国内にどれほど残るのか、その所在状況を調べてみることにしました。
これまで、義太夫節の通し本がある公共機関(図書館・博物館・歴史民俗資料館・文書館など)は全国で99機関とされていました。しかし、目録を公刊していない機関も多いことから、未だ所蔵が明らかになっていない浄瑠璃本が多数あると考えました。
そこで、私は国内の公共機関を実際に訪ね歩き、浄瑠璃本の蔵書数を調べました。その結果、新たに170機関で所在を確認し、全国の269機関に20,662点の浄瑠璃本が残っていることを明らかにしました。これに公共機関への寄贈を予定しておられる個人の蔵書を含めると、全国に残る浄瑠璃本は22,000点を超えることになります。義太夫節の初演作品で通し本が残る作品は630作品を数えますが、これに22,000点の通し本が日本全国に残っているのです。
木版印刷が発達した江戸時代にはさまざまな書物が出版されましたが、これほど広く流通して、これほどの点数が残されたものは、浄瑠璃本と謡本に限られるようです。さらに、謡本が支配層であった武家の基礎教養だったことを考えると、そのような社会的な背景をもたない浄瑠璃本が全国に流布したということは、人形浄瑠璃文楽の台本・脚本がいかに当時のひとびとに愛好された文学であるのかを示しているように思います。

人形浄瑠璃文楽の自立的な研究を目指して

人形浄瑠璃文楽の地位を向上させるにはまず、学問体系を築きなおすことが必要です。人形浄瑠璃文楽の基本的な研究資料として「義太夫年表 近世篇」(1979-1990年)がありますが、これは「番付」(当時のポスターやチラシ)をもとに興行年などを記録したもので、通史的な記述が乏しいとされています。私はここに、浄瑠璃本の所在調査に基づいて新たに判明した本文の改訂時期や伝承の過程などを書き加えたいと考えています。人形浄瑠璃文楽という伝統演劇・文化を広く認知してもらうために、それが往時にいかなるものだったのか、ということを実証的に研究し、その成果を通史として書き残すことが私の今後の課題です。
その先駆けとして、浄瑠璃本を興行記録として扱うための要点や、いくつかの実践例をまとめた研究成果を、近く『浄瑠璃本史研究』(八木書店)として出版することになりました。多くの方々の目に留まり、再び日本国中で浄瑠璃本が広く読まれるきっかけとなれば、大変うれしく思います。

神津先生_図1

浄瑠璃本(通し本)『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』。左は表紙(本文と別紙質)、右は本文。人形浄瑠璃文楽の江戸時代での興行は、ひとつの長編作品を、日の出から日の入りまでかけて上演した。通し本は、そのすべての台本を1冊にまとめたもの。(提供/神津武男客員准教授)

 

神津先生_図2

通し本は全国の公共機関に所蔵されていた。(提供/神津武男客員准教授)

 

取材・構成:青山聖子/木内ふみ
協力:早稲田大学大学院政治学研究科MAJESTy

 

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