Waseda Institute for Advanced Study (WIAS)早稲田大学 高等研究所

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複製の手――十九世紀の清代中国における熹平石経の再制作
田 謐 講師(2026年6月まで在籍)

田 謐 講師(2026年6月まで在籍)

古代の石碑がほとんど失われてしまったとき、それをどのように再建できるのでしょうか。写真も、スキャンも、デジタル・モデリングもない時代に、散在する断片を、再び公に見られ、研究され、記憶されうる目に見えるまとまりへと変えるには、どうすればよいのでしょうか。

これは現代の文化遺産保存に関わる問いのように聞こえるかもしれません。しかし、十九世紀の清代(1644–1911)中国では、すでにこれに近い試みが行われていました。古器物、石刻、その他の金石資料がかつてない規模で発見され、それらは人々が歴史について知っていると思っていたことを問い直すうえで、重要な手がかりとなっていったのです。

この時期に相次いで見いだされた古代の遺物のなかで、現在の私の研究対象となっているのが、熹平石経(175–183年頃)の遺存です。熹平石経は、後漢(25–220)の都・洛陽に建立された巨大な石碑群で、中国史上初めて国家事業として制作された石刻の儒教経典でした。四十六基の大型石碑には、隷書で二十万字以上が刻まれ、後代の王朝が繰り返し模倣しようとした、経典を石に刻む国家的伝統の先駆けとなりました。しかし、時代が下るにつれて、原碑はほとんど失われてしまいました。その名声は長く受け継がれたものの、実物の断片が発掘されるのは二十世紀に入ってからのことです。清代の人々が利用できたのは、ごくわずかな紙上の資料に限られていました。すなわち、石面に刻まれた文字を墨で写し取った数点の拓本に、およそ百字が残されていたほか、現在では失われている十枚の双鉤本に、文字の輪郭を写し取るかたちで、およそ五百字が伝えられていました。これらを合わせても六百字余りにすぎず、原文全体の三百分の一にも満たない量でした。

私の研究は、熹平石経がどのように再制作されたのか、それを可能にしたのは誰だったのか、そして彼らの実践から、十九世紀中国における複製の社会的・技術的側面について何が見えてくるのかを問うものです。このような事業には、国家の支援や莫大な資源が必要だったように思われるかもしれません。しかし、それを可能にしたのは、清代の地方官僚が組織した私的な幕僚集団、すなわち「幕府」で活動していた文人兼技術者たちでした。彼らの多くは安定した官職に就いていませんでしたが、書記、水利や土木の技術者、事業運営の担い手として、地域社会で重要な技術的役割を果たしていました。私の研究にとって彼らが重要なのは、書を単なる美的営みとしてではなく、古代の石刻文字を写し、刻み、再制作するための実践的な技術として用いていたからです。その意味で、彼らの実践は、今日でいう文化遺産の保存に近いものだったと言えるでしょう。

では、熹平石経の再制作は、実際にはどのように始まったのでしょうか。

硯に刻まれた小さな断片

私の研究から見えてくるのは、それが巨大な記念碑からではなく、はるかに小さなもの、すなわち硯から始まったということです。硯は、前近代の中国を含む東アジアの文人の机上に置かれていた基本的な筆記具でした。手に収まるほどの大きさで、墨を磨り、ためておくための浅い面をもち、その平らな裏面は銘文を刻むための場所として用いられることもありました。

これらの幕府の書家たちがまず行ったのは、硯を小型複製のための携帯可能な媒体へと変えることでした。彼らは、紙上の断片に残された銘文を、硯の平らな裏面に刻むことで、それを実現しました。これは、半透明の紙を手本の上に置き、文字の輪郭を直接なぞるような単純な作業ではありませんでした。縮小された銘文を硯に刻むには、別の方法が必要だったのです。残された文字は、直接なぞられるのではなく、手で写され、縮小され、きわめて小さな空間に収められなければなりませんでした。こうした臨書は、直接的な転写ではなく、長年の修練に支えられていました。書き手は手本から学びながら、見ること、書くこと、修正することを繰り返すなかで、その形と動きを少しずつ身体に覚え込ませていきます。そのためには、自分自身の書き癖を抑え、時には消し去るようにして、別の手の論理に従うよう自らの手を訓練する必要がありました。臨書は書を学ぶ者にとって基本的な訓練でしたが、とりわけ小さな尺度において、古代の文字を忠実に再現できるほどの技量に達する者は限られていました。私が「複製の手」と呼ぶのは、このような手のことです。それは、ほとんど機械のような規律を備えながらも、身体の記憶に根ざした手であり、手本が断片的であったり、損傷していたり、あるいはもはや目の前に存在していなかったりする場合でさえ、古代の銘文を柔軟かつ精密に再現することができたのです。

熹平石経の銘文を小さく刻んだ硯そのものは、今日まで伝わっていません。しかし、それらから採られた拓本は現存しており、現在、東アジア各地の博物館に所蔵されています。これらの拓本は、しばしば懐中に収まるほどの小型の冊子に仕立てられ、広く流通するとともに、それ自体が収集の対象として珍重されました。

小型複製から記念碑へ

これらの拓本は、収集用の冊子として流通しただけではありません。清朝各地の孔廟において熹平石経を再制作するための手本としても用いられました。その有名な例の一つが、江西省の省都・南昌にある府学近くの孔廟に、かつて設置されていた一組の碑です。現在は失われていますが、この事業は、熹平石経の硯拓本を幕僚から受け取った江西の学政によって主導されました。彼はそれらを手本として用い、地元の石工に命じて、断片をはるかに大きな尺度で石碑に刻ませたのです。

この碑は四枚の石板から成っていました。しかし、拡大された規模にもかかわらず、熹平石経を連続したテキストとして示すものではありませんでした。そこに表されたのは、右から左へ順に配列された、現存する十二の銘文断片だけでした。制作者たちはまた、石材そのものの粗く磨かれていない表面を利用しました。その不規則な痕跡や傷は、断片の内部にも、断片と断片のあいだにも、摩耗、破損、喪失を想起させました。

現代の基準から見れば、この一組の碑を熹平石経の完全な復元と呼ぶことは難しいでしょう。むしろそれは、断片のための記念碑でした。制作者たちは、二世紀に刻まれた儒教経典が、自分たちの時代に伝わっていたテキストとは異なることを明確に認識していました。そのため、後世のテキストによって欠落を補うのではなく、現存する断片だけを刻むという彼らの判断には、慎重な学問的態度が表れていました。この碑は、失われた経典を完全で継ぎ目のない全体として復元しようとしたものではありません。むしろ、喪失そのものを可視化し、石経とは、断片、痕跡、そして後世の人々による媒介を通してしか近づくことのできないものとして示していたのです。

なぜ再制作は重要だったのか

では、なぜ熹平石経の再制作は、十九世紀の中国でこれほど大きな注目を集めたのでしょうか。一つの答えは、清代の好古・考証の気運、すなわち過去の物質的痕跡に対する強い関心にあります。しかし、私の現在の研究は、そこにはさらに別の問題も関わっていたことを示しつつあります。

私の研究が示唆しているのは、熹平石経の地方における再制作が、大規模な宮廷事業の影のもとで進められていたということです。十八世紀後半、満洲人を支配層とする清朝政府は、北京に新たな公式の儒教石経を建立しました。満洲人は東北アジアに起源をもつ人々であり、大多数を漢人が占める社会を統治していました。そのため、この事業は、清朝を中国の正統な支配者であると同時に、儒教伝統の権威ある守護者として示す役割を果たしました。こうした背景のもとで、より古い熹平石経への関心の高まりは、異なる意味を帯びていた可能性があります。宮廷の事業とは異なり、これらの地方での試みは、主に漢人の地方官僚とその幕僚たちによって進められました。国家によって建立された最初の儒教石経である熹平石経は、漢代の古典文化と結びついた、儒教正統のより古い起源を指し示すものだったのです。さらに、私の現在の研究からは、この二つの事業が、経典について大きく異なる視覚的イメージを生み出していたことも見えてきます。清朝の公式石経は、経典を完全で、標準化され、中央によって権威づけられたものとして示しました。それに対して、再制作された熹平石経は、断片、断裂、そして目に見える喪失を通して経典を提示しました。この対比からは、地方の記念碑が、儒教正統の起源を帝国の中心から完全に標準化し、管理することはできないという考えを、静かに差し出していた可能性が見えてきます。

今後の研究では、この再制作の過程を、各地の遺構や資料を通してさらに追跡していきたいと考えています。再制作された熹平石経がどこに設置されたのか、その痕跡が今日どのように残されているのか、また、それらの手本となった硯拓本がどのように流通したのかについて、引き続き資料を集めています。さらに、熹平石経が例外的な事例だったのか、それとも十九世紀中国における古代石刻の再制作という、より広い実践の一部だったのかも問い続けています。どのような記念碑が再制作の対象として選ばれたのか。そして、それはなぜだったのか。こうした問いをたどることで、機械的複製の時代以前に、古代の断片がどのように再生産され、流通し、再び意味づけられていったのかを、より深く理解したいと考えています。

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