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78歳で博士学位取得 教育への情熱を絶やさず研究にまい進

早稲田は“気付かなかった自分”に気付かせてくれる場所

博士(教育学) 吉村 厚子(よしむら・あつこ)

「学ぶことを止めてしまった人は年老いる。学び続ける人はいつまでも若い」。学びにまつわる名言をまさに体現する吉村厚子さん。教員を定年退職した後、65歳で早稲田大学大学院教育学研究科の修士課程に、69歳で同研究科博士後期課程に進学し、ついに昨年、78歳にして博士(教育学)の学位を取得した。その飽くなき探究心にはどのような背景があるのか? 学び続ける情熱の源泉が何かを聞いた。

人生は、未知の展開の連続

「定年を迎えて振り返ったとき、自分の教員生活の総括としてこれで良かったのか…そんな思いがありました」

兵庫県神戸市にある中高一貫校、松蔭中学校・高等学校(以下、松蔭中高)で国語教師として41年にわたる教員生活を過ごした吉村さん。学部生の頃から取り組む「江戸の俳諧研究」をライフワークとして続けながら、充実の時間を過ごしたという。その一方で、国文科を卒業し国語教師として就職しただけで教育の専門家といえるのか、ちょっとした迷いも抱えながらの教員生活だったと当時を振り返った。

「私が退職する10年ほど前にあたる2000年頃から、教育の現場では『登校拒否』や『いじめ問題』が顕在化し、勤めていた学校にもその波が遅ればせながらやってきました。私の担当した子どもたちの中にも、登校できない、人間関係が築けないという生徒が年々増えてきたところで、退職の時期になったのです」

松蔭中高では多くの生徒たちを教え、卒業を見届けてきた

こうした思いとともに定年退職を迎えた2007年、「これから自分がすべきことは何だろう?」と考えた吉村さんは、大学院進学を決意。選んだフィールドは「教育学」だった。

「退職を迎えた今こそ、人を教育することについて専門的に学んでこなかった自分を客観的に分析したい、教育学を専攻して学びを深めたい、と考えました。同時に、将来教師になられる方々に、自分の41年間の現場体験を何か示すことができたらいいな…そんな気持ちも、学び直したい一つの動機でした」

進路選択に当たっては、早稲田で先に学びを得ていた息子さんからの情報も大きく影響した。

「早稲田に関する情報をたくさんもらう中で、学問のレベルが高い大学であることはもちろん、非常に格調もあり自由な校風を感じて早稲田の教育学研究科を選んだのです。実際に通ってみて、学問に対する自由な発想は“学の独立”を掲げる早稲田の特徴だなと感じました」

こうして2008年、64歳で早稲田の門をくぐった吉村さん。当初は、科目等履修生として1年間だけ通学するつもりだったが、担当の矢口徹也教授(教育・総合科学学術院)から「『教育』と概念的に捉えるよりも、テーマを絞った方がいい」とさまざまな提案を受け、自身の未来がどんどん変わっていった。

1996年、英国・ウィンチェスターにて。松蔭中高の前身である松蔭女学校を創立した、宣教師の娘さんたちに取材。博士後期課程での研究のルーツになった

「私は教員時代に『松蔭女子学院百年史』という校史の編纂(さん)を担当していました。『それを生かして、ミッション・スクールをテーマにしては?』、さらに『面白い研究だから修士に進みませんか?』とご提案いただいたのです。『私になんて無理です』と申しましたが、『受けるだけ受けてみましょう』と勧めてくださり、修士課程へ。そして、修士課程を終える頃には、『博士後期課程に進みませんか?』と。頑張って受けてみたところ不合格。諦めかけましたが、矢口先生は『来年も試験はありますよ』と(笑)」

そうして1年間試験の準備を進めた末、無事博士後期課程への進学を決めた。

「もともと博士後期課程まで行くとは思っていなかったわけですから。人生って自分で計画したことでも、その先では思わぬ展開をしていくものだ、という経験をできたのが早稲田に来て一番インパクトのあることでした」

 

博士後期課程に進学した2013年度入学式にて

深く知ることによって、さらに知らない世界が広がった

定年退職後といっても、初めの5年は松蔭中高での非常勤講師も兼ねながらの大学院生活。週に一度、1泊2日で神戸の自宅から早稲田に通う日々は10年以上も続いた。体力的、精神的に大変に感じることは無かったのか?

「もう一度学生に戻って一から勉強ができる。こんな有意義で楽しいことはなかったですね。20歳前後での学部生時代と違って、自分の中に『教育とは何かを学びたい!』という明確な目的、学びへの飢餓感がありましたので、苦痛は一切無かったです」

学位記授与式にて矢口教授と

そして、「日本における女子ミッション・スクールの設立に関する研究」をテーマに博士(教育学)学位を取得。「博士論文は途中で何度も投げ出そうと思いました」と笑って振り返りながら、投げ出さずに済んだのは指導教員だった矢口教授の言葉が大きかったという。

「研究というものはたくさん行き詰まって、たくさん挫折するものです。そんなとき、矢口先生から言われたのは、『完璧な博士論文なんてこの世にはありません。だから、できないところばかり見ないで、まずはできるところを充実させたらどうですか』というご指導でした。私はその言葉に救われて、『できないところは目をつぶっていただいて、自分ができると思うところを頑張ろう』と研究を続け、何とか形にすることができました」

教員として“教える立場”を経験し、退職後にあらためて“教わる立場”を経験した吉村さん。両方のアプローチから学びについて経験できたからこそ、気付けたことは何だろうか?

「教育というのは、何かを教える・教わるだけじゃなく、学んだことを使って本人の中に眠っているものを導き出していくことなのだ、とあらためて感じました。私の場合、博士号を取るほどの学ぶ意欲があるとは、初めは思っていなかったわけですから。さらに、大学というところは世界に窓を開いた場所で、努力さえすればどんなことでもできるフィールド。それを生かさないのはもったいない! どんなことでも努力を惜しまずに続ければ、大学はきっと何かを返してくれるのです」

修士課程から博士後期課程まで、たくさんの教員や同期に恵まれた

その中でも、早稲田大学は可能性の幅が大きいと、話を続けてくれた。

「『早稲田の学生です』というのは、世界に通用する肩書です。せっかく努力して早稲田に入ったのですから、そのブランドを使ってあらゆることに挑戦してほしい。その先に何があるかなんて誰にも分からないこと。矢口先生のおっしゃるとおり、完璧にやることよりも失敗してもいいからたくさん挑戦したら、きっと、自分でも気付かない自分に出会えると思います」

そう語る吉村さんが、博士学位を取得した今、新たに挑戦したいことは?

「やっぱり、もっともっと勉強したいですね。博士論文を書き上げたことで、研究しなきゃいけない部分がもっと見えてきました。知ることによって、知らない世界が広がったと言いますか…。その未知の領域の研究をこれからも続けていきたいですね」

取材・文:オグマナオト(2002年、第二文学部卒)
撮影:石垣星児

【プロフィール】

1943年生まれ、神戸市在住。博士(教育学)。神戸市にあるキリスト教の中高一貫校、松蔭中学校・高等学校で41年間国語教師として勤める。退職後、科目等履修生を経て、2009年に65歳で早稲田大学大学院教育学研究科修士課程へ入学。矢口徹也教授(教育・総合科学学術院)の下で研究を行い、2021年博士学位を取得。自宅近くの六甲山でのハイキングが健康の秘訣(けつ)だそう。また、1943年開催の「最後の早慶戦」に、慶応義塾大学野球部の主将として出場した阪井盛一さんは叔父にあたる。

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