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言語化の功罪

「科学的手法というものの根幹は、言語による記述である」というと、言い過ぎかもしれないが、科学の一側面は捉えていると思う。ここでいう言語とは、日本語、英語に限らず、数式や図なども含む。不特定多数の人間が共通に理解でき、時間と空間を超えて伝達できる形、もう少し一般化するとシンボルに置き換えるということである。リンゴが重力によって落下中に加速していくという事象そのものは、万人が目にすることができるが、この事象そのものは科学ではない。この事象を、言語や数式をもって表現することで、初めて時間と空間を超えて伝達できる形の主張となる。

昨今、社会においても見える化、定量化などといった活動を多くの場面で目にする。あいまいな事象を言語化し、客観性をもった評価を行う取り組みも、上記の科学的手法を背景に持つものであろう。しかし、ここで注意すべきことは、事象と科学的な記述はイコールではないということである。実際の事象から、さまざまな情報をそぎ落とし、人が言語によって捉えられる範囲に切り取って表現しているにすぎない。それらの表現は、反証される可能性があるものであり、かつ事象そのものではない。

しかしながら、一度言語化されてしまうと、その利便性ゆえに、人は往々にして事象を離れ、言語化されたものの分析に終始しがちである。言語化されていないものは、存在しないという人すらいる。このような事象と言語の主客の逆転は、中島敦の『文字禍』(筑摩書房)にも通じるものがあるが、危険なことである。言語化されたものの価値は非常に高く、便利ではあるが、科学者としては、言語化されたものの操作のみに明け暮れず、事象そのものに立ち戻る姿勢を忘れたくないものである。

(KI)

第1109回

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