「たとえ何回失敗しても、立ち上がる」
基幹理工学部 4年 ジェローム ポリン
YouTubeチャンネル「Nihongo Mantappu(日本語・マンタップ)」で、741万人ものチャンネル登録者数(2021年9月21日現在)を持つ、インドネシア出身のジェロームさん。チャンネル名の「日本語・マンタップ」とは、「日本語最高」という意味で、母国の人が楽しみながら日本語を学べる動画や、自身が大学で学ぶ数学に関する動画などを投稿し、人気を博しています。また、単なるYouTuberの域にとどまらず、インフルエンサーとしてインドネシアと日本の両国で幅広く活躍し、2021年4月には、米国の経済紙『フォーブス(Forbes)』がアジア各国で活躍する30歳未満の若者たちを表彰する「30 under 30 Asia」に選出されました。成功の裏には数多くの失敗や苦労、そして努力の積み重ねがあったというジェロームさんに、YouTubeを始めたきっかけや大学生活、将来の目標について聞きました。
――まず、日本に留学することになった経緯を教えてください。
小学生のころから海外留学したいという思いがありましたが、家庭環境から経済的に厳しく、留学するには奨学金をもらうしか方法がないと、そのためにずっと必死に勉強していました。そしてインドネシア人のための「三井物産インドネシア奨学基金」に採用され、高校卒業後の2016年に日本へ来ました。もともと留学先を日本に決めていた訳ではなかったのですが、実際に留学してみると、友人と一緒に大学で勉強したり、日本の文化を学んだりと、毎日刺激的な生活を送ることができ、日本に来られたことに満足しています。
――YouTubeを始めた理由は何だったのでしょうか。
インドネシア人に日本語を教えたいと思ったからです。インドネシアには、アニメなどの影響で日本に興味を持っている人や日本へ旅行する人が多くいます。日本語学習者数も多いのですが、一方で、日本語能力試験で一番難しいN1に合格する人は少ないと言われています。僕は日本に来る前の半年間と、日本に来てから1年半ほどの日本語学校での勉強でN1に合格しました。そこで、自分の経験をもとに日本語を母国の人たちへ教えたいと考え、2017年12月にYouTubeを始めました。始めて8カ月ほどでチャンネル登録者は1万人になりましたが、インドネシアではYouTubeが日本より盛んで、この登録者数はまだまだ少ない方でした。登録者数を増やす工夫として、視聴者が他の人とシェアしてくれるようなコンテンツを考えました。そうすることで、「バズる」動画が増えていき、登録者数も増えていきました。
動画の内容としては、ただ日本語を教えるだけでは見てくれる層が限られてしまうと考え、日本の名所や食べ物を紹介しながら日本語が学べるような動画を作っています。また、僕は数学が好きなので、バトルやクイズを交え、視聴者に楽しみながら数学を学んでもらえるような動画も作っています。その他、日本人にインドネシアの文化を紹介したり、逆にインドネシア人に日本の文化を紹介したりする動画もあります。
――YouTube以外にはどんなことに取り組んでいますか。アジア各国で活躍する若者として「30 under 30 Asia」に選出されましたよね。
2019年、『マンタップ・ジワ』という本をインドネシアで出版しました。「マンタップ・ジワ」とは、「人生最高」という意味で、生まれてから、YouTuberとして活動するようになるまでの自分自身の人生をつづっています。今の姿は華やかに見えるかもしれませんが、これまでたくさんの苦労があったこと、そして努力を積み重ねてきたことに共感してもらえたようで、インドネシアでベストセラーとなりました。
2018年には、兄と共にYouTuberやインフルエンサーのマネジメント会社をインドネシアで設立し、YouTuberとしての経験を生かして、主に海外とつながりのあるインドネシアのYouTuber、インフルエンサーをマネジメントしています。僕はコンテンツの考案に力を入れていて、兄は経営面を担当しています。今年の4月には、アメリカのフォーブス誌がアジア各国で活躍する30歳未満の若者たちを表彰する「30 Under 30 Asia」に、兄と共に選出されました。
また、今年の4月、フルーツティーなどを販売するお店をインドネシアにオープンさせ、現在インドネシア国内39都市で80店舗以上を展開しています。僕自身食べることが好きで、YouTubeで投稿する食事系の動画が人気なことから、お店を開きました。今後も日本食などの飲食店を展開したり、アパレルブランドを作ったり、いろいろなビジネスに挑戦してみたいと思っています。
日本では、2019年、インドネシアと日本の友好を目的に開かれた「ジャカルタ『絆』駅伝」で、第1走者を務めました。地方テレビ局が東南アジア・東アジア向けにその地の絶景や製品などを発信する企画にも携わっています。インドネシアで影響力を持つインフルエンサーとして認めていただき、このような活動をさせてもらうことができています。
――大切にしている考えや、学んだことはありますか。
たとえ何回失敗しても、立ち上がるという心構えは大切にしています。これまでうまくいかないこともたくさんありました。例えば、高校生のときに、数学の大会に出場していたのですが、最初は結果を出すことができませんでした。しかし、必死に勉強することで、最終的にはたくさんの大会で優勝できました。諦めるまでは、本当の失敗とは言えません。失敗してしまったら、なぜ失敗したのかを分析し、次のチャンスでは同じことを繰り返さないようにするのです。こうして失敗の要因を減らしていけば、いつか成功することができるはずです。
インドネシアでのファンミーティングにて。右は『マンタップ・ジワ』へのサインに応じている様子
また、結果を出すためには、他の人と違うことをやらなければならないということを学びました。他の人と同じことをしても、目立った結果は得られません。だからYouTubeでも、数学の話題を取り入れるなど自分の強みを生かしながら他の人とは違う動画を作るように心掛けています。
――ところで、早稲田大学を選んだ理由は何だったのでしょうか。また、大学ではどんなことを学んでいますか。
日本で日本語学校に通っていたときに有名な大学として早稲田大学を知り、受験することにしました。そして無事基幹理工学部に合格し、2018年4月に入学しました。先ほどお話しした通り数学が好きなので、応用数理学科で数学をメインに学んでいて、「情報理論とその応用」を研究する松嶋研究室に所属し、最近ではデータサイエンスも学んでいます。早稲田大学は、学業とそれ以外の活動のバランスがとりやすいと感じています。留学生だけではなく日本人の友人もたくさんできたおかげで、楽しく、充実した学生生活を送ることができています。もし早稲田に入っていなかったら、YouTubeも今のようにはできていなかったかもしれません。早稲田に入ることができ、良かったと思っていますし、動画が日本での大学生活の思い出としても残ればいいなと思います。
YouTubeの撮影の様子。左は宮城県気仙沼市での撮影
――最後に、今後の目標を教えてください。
卒業後もしばらくはYouTubeに力を入れ、チャンネル登録者数を1,000万人にしたいです。あとは、日本一周はしたことがあるので、今度は世界一周をしてみたいですね。
その後はアメリカの大学院に行って教育について学び、将来はインドネシアの教育相になりたいと考えています。教育はあらゆることの基礎となるものでとても大切ですが、インドネシアの教育レベルはまだ低いのが現状です。そこで、僕が日本やアメリカで学んだことをインドネシアに持ち帰り、教育相として教育レベルを向上させたいと考えています。また、日本と一緒に何かプロジェクトを進めることができればいいなと思っています。僕がインドネシアと日本の架け橋になることができればうれしいです。
第796回
取材・文:早稲田ウィークリーレポーター(SJC学生スタッフ)
政治経済学部 3年 山本 皓大
【プロフィール】
インドネシア・ジャカルタ生まれ。6歳のとき、東ジャワ州スラバヤへ。YouTuberとして活動していく上で大変なことは、準備から撮影、編集、アップロードまで、とにかく手間と時間がかかること。現在は、会社でチームを組んで制作に取り組んでいるが、動画のアイデアは常に自分で考えている。大学では、周りにインドネシア出身の留学生はいないが、多くの日本の友人に助けられているという。「日本人はシャイな人が多いので、自分から話しかけてみることが大事」だと話す。好きな日本の食べ物は、横浜家系ラーメンやつけ麺。好きな場所は沖縄で、きれいなビーチや自然に引かれたという。
Instagram: @jeromepolin
Twitter: @JeromePolin