現在の若者は、ことばの使い方をどうやって覚えるのだろうか。人は一般的に養い育ててくれた家族や近親者からことばを学び、話し方のマナーも教えられる。また、一緒に遊ぶ同年代の子供たちからもことばを学び、時には怒ったり、けなしたり、あるいは仲直りする際のことばのかけ方も体得していく。それは親世代から学ぶより遙かに生き生きした自らのことばとなる。しかし現代では、インターネットがもたらすことばがここに介在してくる。ことばが発せられる時の状況や人々の表情や雰囲気などを欠いた、記号だけのことばが飛び交い、浮遊し、時に攻撃してくる。
こうしたことばが記号として生活から切り離された現代の状況から、ヘイトスピーチは生まれてきたのではないかと思う。ことばは適当にネタとしていじって目立ったり認められるための小道具に過ぎず、仲間との遊びや自己満足のために発せられ、ことばで人が傷つくとは想像しない。そうした感受性の人間が多く生み出されているとすれば、関係も思いもなく発信できるメディアの存在が背景にある。それを時に「言論の自由」と言う者もいるが、ことばで他人を傷つける自由は認められない。ことばは社会の共有財産であり、ことばを正しくまっとうに使うことが人間の自由を保証する。嘘はことばの信頼に基づく自由を阻害する。人間が平和で協調して生きていく上で、ことばを大事にするのは基本である。そのためにも、コロナ禍では難しいかもしれないが、ネットから離れる時間を充分に取り、健やかな心とことばを保つことを心がけてほしい。
(T)
第1104回