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幻の新学部【第3回】

人間環境学部:人間科学部を結実させた新領域の「芽」

大学史資料センター 講師 廣木 尚(ひろき・たかし)

「幻の新学部」の中に人間環境学部を含めるには若干の留保が必要である。というのも、1987年に設立された人間科学部の「芽」(初代学部長・浅井邦二氏の言葉)となったものこそ、この人間環境学部構想だったからである。「幻の新学部」最終回となる今回は、人間環境学部という「芽」が、人間科学部の実をつけるまでを見ていきたい。

周知のように、人間科学部創設の直接のきっかけは、早稲田大学創立百周年記念事業において、総合学術情報センター、新キャンパスと並んで新学部の設立が掲げられたことにある。新学部構想というと医学部が取り沙汰されることが多いが、1977年に発足した創立百周年記念事業計画委員会が学内外に意見、提案を求めた際には、水産学部や農学部、海洋学部、体育学部などさまざまな案が寄せられたという。その中に人間環境学部もあった。

「長期計画構想について」(1976年、「早稲田大学本部書類(続の2)」202所収)。百周年記念事業の骨子がまとめられている

この構想は、もともと、第一・第二文学部の心理学と社会学、そして理工学部一般教育の教員によって発案されたものである。彼らは1973年7月、1974年2月、1975年7月の3度にわたり、当時の村井資長総長のもとへ設立の要望書を提出していた。

その際作成された人間環境学部の趣意書には次のようにある。

「現代社会には、科学技術の急速な発達と社会・産業構造の激変の結果として、実にさまざまな問題が発生してきている。このような現状において、また、かかる現状を打開していくために、人間の生理・心理・社会環境を組織的・統一的に把握することが必要である。新学部設立の趣旨は、混迷を続けている現代社会の諸問題を分析し、これを解決していくための方途を提示しうる『人間の科学』の確立を構想し、そのもとにおいて、教育・研究活動を行おうとする点にある。」

後に学部名となる「人間の科学」の理念は、早くもこの段階で盛り込まれていた。

この構想はすぐには具体化しなかったものの、百周年記念事業が進展する過程で実現性の高い案として有力視されることになった。計画委員会の設立に先立ち理事会内に設置された作業グループでは、1976年9月の時点で、新学部を「人間環境学部を中心に考えていく」案が提案されている。その後、1979年10月の基本計画で、新学部は人間環境学部構想に基づく人間科学系の学部と、体育・スポーツ系学部の2案に絞り込まれた。これが1982年に設置された百周年総合計画審議会において、スポーツ科学系部門を含む総合人間科学系学部として一本化され、1984年11月の新学部設立準備委員会の設置へと至ったのである。

なお、この間の検討過程で、新学部が扱う分野に医工学系や生物学系が加わり、文理の領域を幅広く包含する「人間科学」の枠組みが出来上がっていった。また、1981年5月には後に新学部の所在地となる新キャンパス用地が所沢市三ケ島地区に決定している。

新キャンパス建設用地の航空写真(1985年、「早稲田大学本部書類(続の2)」162所収)

以上のような学内での検討を経て、1985年5月の評議員会は人間基礎科学科・人間健康科学科・スポーツ科学科の3学科からなる新学部「人間総合科学部」の設立計画を議決。同年7月、文部省に設置認可申請書類が提出された。

「早稲田大学人間総合科学部設置認可申請書」(1985年、「早稲田大学本部書類(続の2)」162所収)

しかし、文部省の審査をクリアするのは簡単ではなかった。多くの大学で特色ある多様な学部が盛んに設立されるようになるのは、大学設置基準が大綱化された1990年代以降のことである。新学部は、その先駆性ゆえの産みの苦しみに直面した。

例えば、原案では3学科の間に多くの共通科目を設定し、学生にとって自由度の高いカリキュラムとすることが計画されていたが、審査の過程で、各学科の特性が明確となる、より硬質なカリキュラムへの修正が求められた。また、当時は「人間科学」の学士号は存在せず、そのため、新学部の取得学位は「学士(社会学)」とすることとなったが(1992年、「学士(人間科学)」に変更)、この学位の取得条件を満たすためにもカリキュラムの改変が必要だった。

人間総合科学部(左)と人間科学部(右)の設置認可申請書類(副本。1985年、1986年、「早稲田大学本部書類(続の2)」162、170)

このような修正を経て、1986年6月、「総合」の2文字を除いた「人間科学部」の名称で再度申請書類が提出され、同年12月の設置認可となった。そして翌1987年4月、当時としては大変に珍しい文理融合の人間科学部は、660名の新入生を迎えて発足したのである。

所沢キャンパス(1987年、「広報課移管写真④」、4-028-001-0012)

開校式の式辞で、当時の西原春夫総長は人間科学部の理念を以下のように語っている。

「人間は精神と肉体とからなる存在ですし、その精神も例えば知、情、意というようないろいろな異なる知能に分れているのでございます。しかし、本来人間はそういった精神と肉体とからなる全一体としての存在である。しかもそればかりではなく、胎児として発生してから死に至るまで生物的存在でありながら自然環境、社会環境とふれあいながら発達をしていく動的存在でもある人間を、今一度全一体として体系的、総合的に把握するという観点が必要になってきたのではないだろうか」

人間を組織的・統一的に把握することを目指した人間環境学部の理念が、紆余(うよ)曲折を経ながらも、人間科学部の中に確かに引き継がれたことを、この式辞から読み取ることができる。

その後、2003年の改組で人間科学部は人間環境科学科・健康福祉科学科・人間情報科学科の3学科体制となり、新しくスポーツ科学部が創設された。2017年には創設30周年を迎え、現在に至っている。

人間科学部開校式(1987年5月17日、「広報課移管写真④」、4-026-003-0072)。壇上は式辞を述べる西原総長

※組織・機関の名称はいずれも当時のもの

(参照・引用文献)
・浅井邦二「人間科学部の誕生」(『早稲田フォーラム』59、1989年)
・浅井邦二「人間性の回復をめざして――人間科学部の誕生」(『大学時報』194、1987年)
・浅井邦二・上田雅夫・大島康行・嵯峨座晴夫・相馬一郎・濱口晴彦・春木豊・野嶋栄一郎「(座談会)人間科学部創設時をふりかえる」(『人間科学研究』11-1、1998年)
・「早稲田大学長期計画構想について 昭和51年度」(早稲田大学大学史資料センター所蔵)
・西原春夫「開校式式辞」(『早稲田学報』973、1987年)
・『早稲田大学人間科学部創設30周年記念誌』(早稲田大学人間科学部、2018年)
※資料はいずれも大学史資料センター所蔵

幻の新学部【第1回】

幻の新学部【第2回】

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