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空から海の安全を守る海上保安庁パイロット 「一度きりの人生」で選択

自由な早稲田で培った雑草魂で大空を職場に

海上保安庁 第三管区海上保安本部 羽田航空基地 飛行士
金澤 英史(かなざわ・ひでし)
福田 由香里(ふくだ・ゆかり)

(左から)福田さん、金澤さん

海の安全と治安を守る海上保安庁。海上での人命救助、海洋汚染の調査や保全対策、密輸・密航対策…と、さまざまな職務がある中、大空から日本の海を守るのが海上保安庁パイロットだ。早稲田大学を卒業後、この特殊任務に当たるのが、固定翼(航空機)飛行士の金澤英史さん(1995年、社会科学部卒)と、回転翼(ヘリコプター)飛行士の福田由香里さん(2005年、第一文学部卒)。入学当初、パイロットになるとは夢にも思っていなかった2人が大空を職場にするまでの物語とは?

金澤英史さん:チャレンジしなければ前に進めない。一念発起して飛行士へ

「海のパトカー」とも称される海上保安庁の航空機で操縦桿(かん)を握り、日本の最果ての空まで飛ぶこともある金澤さん。だが、早稲田大学在籍時は鉄道や車を駆使し、陸の上で日本中を駆け回っていた。

「小さな頃から乗り物が大好きでした。学生時代は東北新幹線の車内販売のアルバイトをして、お金が貯まったら旅行サークルの仲間と車を使って日本半周の旅へ。あとは、早慶戦や早明戦の応援に行ったり、学生時代にしかできないことに挑戦しようと、ライフル射撃の同好会に所属してみたり。本当に自由な時間を謳歌(おうか)していましたね」

やがて迎えた就職活動期。鉄道会社や航空会社など、大好きな乗り物に関連する企業への憧れは抱きつつも、金澤さんは現実的な選択をした。

「当時は就職氷河期の走り。自分がやりたいことやなりたいものだけを求めていたら内定なんてもらえません。だから、とにかく少しでも興味があって入れる会社を探そうと。パイロットは子どもの頃から憧れていましたが、バブル崩壊で狭き門だったため、なることはできませんでした」

写真左:大学4年次の秋に友人と車で東日本を周遊した際の一コマ。写真は岩手県(手前が金澤さん)
写真右:ヨーロッパ卒業旅行で訪れたフランスにて(左が金澤さん)。当時ビザが必要だったチェコにも友人と別れて一人で訪れたという

こうして、大手保険会社に入社した金澤さん。だが、社会人生活を重ねるうちに、子どもの頃の夢を思い出すことが増えていった。

「本当はパイロットになりたかったはずなのに、自分はこのまま飛行機の操縦を一度もせずに人生終わるのかな、そんなの嫌だな…と考えたんです。そこで、有給休暇を使って、比較的手軽に操縦士免許を取得できるアメリカへ何度も渡航しました。アメリカの広大な空で飛行練習を重ねて、セスナ機のような趣味の範囲で乗れる免許を取得。書き換えれば日本でも免許を持つことができるので、これで満足できると思っていました」

しかし、ここで話は終わらなかった。一緒に訓練を受けていた仲間から、「趣味の免許で満足するのもいいけど、一度きりの人生、本当にやりたいことをやってみたら?」と言われたことが、人生のフライト先を変えるきっかけとなったのだ。

海のパトロールや行方不明者の救出の他、急患輸送や測量を行うことも。1回のフライトで6時間ほど飛んでいるが、飛行時間以外は事務仕事も併せて行っているという

「その言葉を聞いて、『本当にそうだな』と妙に納得してしまったんです。振り返れば、大学進学だって、最初は『受かるはずがない』と思っての記念受験的な感じ。それがたまたま受かって、憧れの早稲田で4年間を過ごすことができた。雑草でも頑張れば伸びていけるというか…(笑)。結局、チャレンジしなければ前には進めないわけです。そこで、34歳で一念発起し、10年以上勤めた保険会社を退職しました」

再び米国と日本を行き来して、事業用の操縦士免許を取得した金澤さん。30代中盤では、職務経験がないパイロットの就職口は当時ほぼ皆無…のはずが、天が味方をしたかのように、時を同じくして海上保安庁が募集条項の年齢制限を撤廃。導かれるように入庁することになったのだ。

金澤さんが普段操縦しているプロペラ飛行機「ボンバル300」(写真提供:海上保安庁)。元々旅客機だった機体を海上保安庁仕様に改造し、昼夜を問わず、海上保安業務にあたっている

福田由香里さん:航空部で奔走した4年間。一般企業の内定を断りパイロットの道へ

2018年12月、海上保安庁が所有する最大のヘリコプター「スーパーピューマ225」の機長に、女性として初めて就任した福田さん。空に羽ばたくきっかけは、早稲田大学入学時に大量に配られる新入生歓迎チラシの中に紛れていた。

「どんな人でも受け入れてくれる自由な校風が好きで早稲田を選びました。だから、何でも体験してみようと、新歓チラシの中から10個ぐらいのサークルに籍を置いたんです。飲み会中心のオールラウンド系から勉強・政治系の難しい本を読み合うサークルまで、本当にいろんな集まりに顔を出していました。その中の一つが、体育各部の航空部。チラシに描かれた絵に引きつけられて、『へぇ、グライダーで空を飛べるんだ』と、最初は本当にそんな軽い気持ちで入部しました」

やがて自然の力だけで空を飛ぶ感動と競技性にのめり込み、学業以外は航空部で過ごす時間がほとんどに。埼玉県熊谷市にある学生グライダーの聖地・妻沼(めぬま)滑空場とキャンパスを行き来する忙しい日々を過ごすことになった。

「先輩や卒業生からの『全国大会優勝』『早慶戦勝利』という言葉に、知らぬ間に染まっていました。大会やトレーニングで忙しいのはもちろん、グライダーはお金がかかるので、その資金繰りにも奔走していましたね」

機体の購入や保険料、滑空場での合宿費や移動のための車の維持費など、自分たちでアルバイトをして部費として納めるだけでなく、卒業生を訪ねて資金提供のお願いをすることも。時には小切手のやり取りをするなど、学生ではなかなかできない濃密な体験ばかりだった。

写真左:航空部所属時代(大学4年次)の集合写真
写真右:大学1年次には全国新人競技会で団体優勝を飾った(右が福田さん)

「飛んでいる間は一人ですが、そこに至るまではチームプレーで、いかに人をまとめるかが大事。そして、頑張っていれば誰かがそれを見てくれて、共感してもらえればまねをしたり、影響を受ける人が現れる。そんなことを学んだ航空部での4年間でした」

もっとも、航空部に在籍したからといって航空関係の職に就けるわけではない。福田さんも卒業後は、就職氷河期ながら順調に内定を得た大手一般企業に入社するはずだった。

「航空会社に入りたい気持ちも多少ありましたが、諦めていました。悲しいことに当時は女性パイロットの採用自体が難しい時代で…。でも、ある先輩から『海上保安庁の格納庫にカッコいい飛行機がたくさん並んでいるね』と何気なく言われたのをきっかけに海上保安庁を知り、卒業前で時間もあったので、特に準備もせず興味本位で応募してみました。『きっと女性の採用はないはず…』と思いながら。ところが、トントン拍子で選考が進んで、気が付けば合格。『公務員って、誰でも平等に開かれているんだ』と、驚きと同時に自分でも戸惑うほどでした」

巡視艇と回転翼(写真提供:海上保安庁)。回転翼の仕事内容は、パトロール、取り締まり、警備、環境保全、災害救助、捜索など、多岐にわたる

入庁後、順調にキャリアを重ね、テレビ番組『情熱大陸』(TBS系列)で取り上げられるほど海上保安庁のパイロットとして経験を積み重ねてきた福田さん。それでもまだ、この選択が正しかったのか自問自答する日々だという。

「そもそも、入庁する段階でも本当に悩みに悩みました。内定した一般企業に進んだ方が、社会的に考えれば人生も安泰。でも、金澤さんと一緒ですが、最終的に『たった一度の人生。これは私にとって操縦を仕事にできるチャンスなんだ』と考えました。実は、不完全燃焼だったんですよね、航空部でのフライトが。『全国優勝だ!』と目標を掲げつつも、最高で団体準優勝。最後の最後で、どこかやり遂げられなかった気持ちが残っていたんです。そのせいか、悩むうちに海上保安庁での操縦の仕事に興味が出始めました。仮に一般企業に入っても、あのとき操縦士になっていたら…と後悔することもあるのかなと考え、思い切って一度操縦の道に進んでみようと海上保安庁に入り、そして、今に至るわけです」

羽田航空基地での1回のフライト時間は2時間前後、1日に複数回飛ぶことも。入庁後、固定翼か回転翼か迷ったが、周囲の助言などにより回転翼に決まったという

こんな選択をしたのは全部早稲田のせいかもしれない…と、福田さんは冗談交じりに言葉を続けてくれた。

「早稲田にいたことで、人に流されず、トレンドも関係なしに、自分はどう生きたいのかを追求するようになったと思います。金澤さんも言っていましたけど、いい意味で、雑草みたいな強さ。就職先の選択では、良くも悪くもそんな“早稲田らしさ”が出てしまったのかも(笑)。海上保安庁にもいろいろな人がいますし、仕事で悩む場面も多々あります。でも、早稲田で揉まれて、多種多様な人と出会うことができたおかげで、『どんな人でもまずは尊重しなければならない』と気付くことができた。このことは、早稲田で身に付けてから変わらない、私の人付き合いの基本です」

回転翼と隊員(写真提供:海上保安庁)。天候不良時や夜に低空でホバリングしながら吊り上げる救助は特に難しく、「どう安全にフライトするか、常に心を砕いている」と語る

頭の中だけはいつも自由に。今しかできないことを大切に

自由奔放な早稲田で培った雑草魂で、パイロットとして大空を舞う金澤さんと福田さん。そんな2人から在校生に向けたメッセージにも、「自由」という言葉が含まれていた。

「今はもう、終身雇用も崩れている時代。仮にいくつかの道で迷って就職先を決めたとして、もし何年か経っても『やっぱりやりたい』と思うことがあれば、挑戦してもいいと思うんです。そんな選択ができるのも早大生の良さ。大切なのは、今しかできないことかどうか。やりたいと思うことなら、自由にやってみればいいじゃないですか。その選択肢の端の端でいいので、海上保安庁のことも少し検討してもらえると、私たちとしてもうれしいです」(金澤さん)

「今は、2、3年後の社会のことも自分のことも、想像がつかない時代です。だから、あまり先を考え過ぎず、今の自分の気持ちを何度も見つめて、やりたいことを貫いていく。そのとき、他人の目を気にする必要はないと思うんです。仮にそれがうまくいかなくても、悲観的になるのではなく、頭の中だけはいつも自由であり続けてほしいです。早稲田なら、きっとたくさんの選択肢と出合えるはず。その中から関心のあることにどんどんトライし続けてみてください」(福田さん)

取材・文=オグマナオト(2002年、第二文学部卒)
撮影=石垣星児

【プロフィール】

金澤 英史:神奈川県出身。1995年、社会科学部卒業。大手保険会社で10年以上の勤務を経て、2009年1月に海上保安庁に固定翼(航空機)操縦士として入庁。新潟、羽田勤務を経て、直近5年間を千歳航空基地で勤務した後、2020年4月から羽田航空基地勤務。「北海道での単身赴任生活では、一人温泉や一人スキー、食べ歩きが休日の楽しみでしたが、今は久しぶりの家族団らんを満喫しています。北海道では流氷調査をしたり、他の勤務地でも国境近くの島を巡ったり。普通なら行けない場所、見られない景色を見ることができるのは、この仕事の醍醐味(だいごみ)の一つです」

福田 由香里:石川県出身。2005年、第一文学部を卒業後、海上保安庁に入庁。1年間の基礎教育と1年半の操縦教育・訓練を経て、2007年9月に回転翼航空機(ヘリコプター)の事業用操縦士の資格を取得。鹿児島、仙台、名古屋港(ヘリ搭載型巡視船)、中部国際、新潟、霞が関と日本各地での勤務を経て、2018年4月から羽田航空基地勤務。「回転翼の仕事は、当直・非番・公休の繰り返し。夜中に事案対応することもあり、体力的にも大変ですが、休日はゴルフに出掛けてリフレッシュすることもあります。読書やガーデニングも好きですね。人命救助という緊張感ある現場と向き合う仕事だからこそ、いつも同じコンディションでありたいと思っています」

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