友人とオンラインで会話をしているときだったと思う。適切な二字熟語が思い出せずとっさに「密になる」という表現を選んで使った自分に気付いたのは。
新型コロナウイルス感染拡大防止の方策は多くの人に分かりやすく伝わる必要がある。だから「3密」とか「密になる」という表現には意義があるとも思ってはいるのだ。でも、1年前の私なら「密閉」「密集」「密接」という熟語が出てこなくて言い淀(よど)むことなんて絶対になかった。こんな単純な熟語すら即座に思い出せないなんて、乱暴な言い方をすれば自分がとても馬鹿になってしまった気がして、心底落ち込んだ。日頃授業で「『性別』と『性差』と『性役割』を混同しないように」とか「『役割』と『役柄』は違う」とか言っているのに、この体たらくである。情けない。
私たちはたくさんの単純化された言葉に晒(さら)されて生きているから、その言葉を吸収するにまかせて放置していると、自分の使える言葉の解像度はどんどん下がっていく。ちゃんと育っているかときどき確認してやらないと、自分の言葉の木は簡単に葉先や枝先から枯れていくのだ。その「密」はどの「密」か、あなたは会話の中でいつでも自覚できているだろうか? そんなところから自分の言葉の木のメンテナンスをしてやってほしいと思う。
後日談。会話をあとで思い返すと、私が言いたかったのは「密閉」でも「密集」でも「密接」でもなく「密着」だった。マジかよと天を仰ぐ。どうやら私の木にこそ早急なメンテナンスが必要なようだ。
(NM)
第1080回