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東日本大震災から9年をふりかえる ―ケイパビリティの視点から―

社会科学総合学術院教授 早田 宰(そうだ・おさむ)

1966年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学院理工学研究科後期課程退学。博士(工学)。現在、早稲田大学社会科学総合学術院教授。都市・地域研究所所長。地域力創造アドバイザー(総務省)。著書に『地域計画情報論』(共著、成文堂、2018年)など。

東日本大震災からまもなく9年が経過する。この長い年月を経て災害対応や災害復興の考え方がどれだけ前に進んだのか考えてみたい。

近年の災害では1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災が大きかった。日本のみならず世界にとって重要な経験となった。阪神淡路大震災後、2005年に第2回国連防災世界会議が神戸で開催され、「兵庫行動枠組」が採択された。東日本大震災後には、2015年に第3回国連防災世界会議が仙台で開催され、「仙台災害リスク軽減枠組」が採択された。ここでは「阪神淡路パラダイム」から「東日本パラダイム」への転換といっておこう。

この2つの間にはどのような前進があったのだろうか。それは一言でいえば「防災」から「減災」、そして「より良い復興」への発想の転換であった。つまり難を逃れること一辺倒の対策から、逃れられない現実を受け止めつつトータルな被害を最小限にする「リスクガバナンス」、強靭な「レジリエンス」(回復力)、次の災害にむけて強い社会づくりをめざす「ビルド・バック・ベター」(前より良く構築するの意)などの新しい考え方やキーワードが提起されてきたのである。

しかしこれらのカタカナ概念はまだまだ政策現場で十分に咀嚼されて定着しているとはいえない。具体的なハードルは何か。まず「備え」についていえば、阪神淡路パラダイムでは、防災意識や対応力を高めるためハザードマップの作成や避難訓練を具体的に講じることが重視された。それらは今なお重要であるが、東日本パラダイムではそれに加えてより戦略的な対応政策が導入されてきた。たとえば被災者の重症度に応じて救護の優先度を決定するトリアージ、被災後にすみやかに切れ目なく事業を再開するためのBCP(事業継続計画)、災害後の復興計画をあらかじめ行う事前復興などの政策ツールが導入された。しかしこれらを適切に導入しているケースはまだわずかである。予算や職員などを割り充てる余裕がないというのが理由であるが、根本の原因は、事前の防災投資は災害後の対応・復旧よりも費用対効果が高いという認識の転換が社会や組織のトップや高レベルの戦略に欠落しているからである。そのため現場の政策担当者が、阪神淡路パラダイムの防災枠組みから抜け出せない。新たなリーダーシップ、財源、法整備など社会イノベーションが必要である。

次に、「より良い復興」について考えてみたい。被災後に復興をうまく進められるためには平常時から何を準備しておく必要があるのであろうか。阪神淡路パラダイムでは、災害に強いコミュニティづくり、そのための防災文化の醸成であった。しかしそれだけでは被災後の緊急避難に効果はあっても中長期の復興への影響はない。

東日本パラダイムのビルド・バック・ベターのためには、クオリティオブライフ、そのための社会の「ケイパビリティ」(人々の潜在的可能性を開花させる社会の機能)を日頃から向上させておくことが重要である。

そのための社会がそなえるべき条件1)をあげるとすれば、生命や身体的健康、移動の自由、仕事や資産が守られ、しなやかな感性、自分にとって大切な気持ち、言論の自由が守られる社会である。そして誰もが人と等しい価値をもつ尊厳のある存在として大切にされること、自分の人生をふりかえり良心の自由を持てること、仲間や社会とコミュニケーションしながら生きることができることなどであろう。それがあれば、大切な人と一緒だから頑張れる、何とかなる、一緒に楽しく生きて死んでいきたいという心の豊かさや幸福を感じることができる。そのための心の拠り所や居場所づくりも重要である。

注1 もっとも知られた論としては、マーサ・ヌスバウムのケイパビリティのリストがある。

これらのケイパビリティを日常から大切にしているコミュニティは、たとえ大きな災害に直面しても人々が持てる力を発揮できるから困難を乗り越えてゆける。被災しても住宅や建物が再建されれば、人はそこに戻ってくる。人々の輪ができ、NPOなども多く設立されることになる(図1)。

図1 震災後の人口一万人あたりNPO設立数

たとえば、陸前高田市は「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」を掲げてSDGsに取り組んでおり、「高田暮らし」というサイトが好評で若者のUJIターンも多い。そのため人口の減少が他の沿岸地区と比べて緩やかである。

田野畑村では、津波で流された番屋群をまず再建し、漁師たちの心の癒しの風景を再生して復興のシンボルとした。さらに暮らしやすい村のグランドデザインを村民総ぐるみで策定した(図2)。海・里・山がつながる将来像を語りあう明るい灯(ともしび)のような輪が生まれている。

ようやく心豊かな日常が戻ってきたこと、明日・未来に向けてなんとか頑張ってみようと思えるようになってきたことが9年の歳月を経た大きな成果と到達点ではないだろうか。

図2 田野畑村の暮らしやすい村のグランドデザインの策定風景

※当記事は「WASEDA ONLINE」(2020年3月9日掲載)からの転載です。

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