私は学生時代、いわゆる伝統芸能サークルに所属し、お師匠さんのもとに通いつつ、今は無き第一学生会館内の部室に入り浸っていた。そのお師匠さんの技量と人格に惚れ込んだ私は、卒業後も、細々とではあるが、その修業を続け、現在に至っている。そんな私が最近つくづく思うのが、伝統芸能とは今日の世界において如何なる意味を持つのか、ということである。
伝統芸能をやっている、と言うと、大体の人は、「渋いですね」とか「いいご趣味ですね」とか言って好意的に捉えて下さる。しかし同時に、実際に伝統芸能を観に行ったり、聴きに行ったりしたことがある人は極めて少数であることも事実なのである。
これは一体何を意味するのか? もし多くの人が、伝統芸能を自発的に観たことも聴いたこともないし、はっきり言って興味もないが、しかし、そういうものがなくなってしまうのは困る、と感じているのであれば、それは、興味がないとは言え、そういうものに偶然接したりした時に、やはり、自分の中に流れている何かを揺さぶられるからなのか、それとも単に、「舶来」の文化で世界と勝負するのは難しい、いざという時に世界と勝負できる「日本」を誰かが残しておいて欲しい、と望んでいるからなのか?
その答えは私にもよく分からないが、もし後者が圧倒的なのであれば、伝統芸能の未来は暗いと言わざるを得ないであろう。これは、我が国のみならず、今日、多くの国や地域が直面している問題であり、「文化」とは何か、という人間にとっての根本問題に関わることでもある。以上、秋の夜長に考えたこと。
(J)
第1062回