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珍スポット? 『タイの地獄寺』著者の早大院生 現代仏教の在り方を研究

「自分の『当たり前』を疑うこと」

大学院文学研究科 博士後期課程 3年 椋橋 彩香(くらはし・あやか)

ワット・ノーンヤーオ(ナコーンサワン県)の像に混ざって映っているのが椋橋さん

皆さんは「地獄寺」を知っていますか? タイには約3万の寺院があるといわれ、中には立体像で地獄を表現している寺院、通称「地獄寺」が存在します。人間の等身大よりも少し大きいものから十数メートルを超えるものまで、さまざまなサイズの地獄の番人である獄卒や罪人の像が置かれ、実際に参拝者が地獄を疑似体験できる空間になっています。このようなタイの地獄寺に魅せられ、地獄寺を研究対象とし、ついには昨年10月に『タイの地獄寺』(青弓社)を出版するまでに至ったのが、大学院文学研究科博士後期課程で美術史学コースに在籍する椋橋彩香さんです。地獄寺の魅力や著書に関すること、今後の研究活動などについて話を聞きました。

――タイの地獄寺に興味を持ったきっかけを教えてください。

高校生のときに面白いものやグロテスクなものを探す中で地獄寺の存在を知りました。もともとタイの料理やファッションも好きで、大学2年のときに初めてタイを訪れたのですが、そのときもちろん地獄寺へも行きました。大学1年のときに第3外国語としてタイ語を履修していたものの、現地では全然言葉が理解できず、田舎にある地獄寺へ行くのは本当に大変でした。でもその分感動も大きくて、これをきっかけに本格的にタイ語の勉強を始めましたし、大学生活の中でとても大きな出来事となりました。

――それでは、タイの地獄寺を研究テーマに決めたのはいつですか?

タイの地獄寺を訪れる道中に出会い、助けてくれた方々と

卒論は大学生活で一番印象に残ったことをテーマにしようと決め、思い浮かんだのがタイの地獄寺でした。最初の旅行以来タイに魅了されて何度も訪れるようになり、タイ料理屋でアルバイトもしてタイ人の友人もできました。そういった中で、日本人は地獄寺を「珍スポット」「B級スポット」と位置付けているものの、タイ人にとってはそうではないことが分かってきたんです。そこで、地獄寺に対する日本人とタイ人の感覚の違いに着目して、タイの地獄寺を研究テーマにしようと思いました。でも、先行研究もなく、タイ語も満足にできない状況から1年で卒論を書き上げるのは厳しく、結局卒論では日本の地獄表現について取り上げました。そんなこともあり、やはりタイの地獄寺を研究したくて大学院へ進学しました。ゼロから研究して修士2年間で研究の土台がようやくできた状態で、自分としてはここから積み上げる必要があると感じ、博士課程まで進みました。

――地獄寺の研究を続ける中でどういった気付きがありましたか?

住職へのアンケート調査の様子

自分の「当たり前」を疑うということです。日本人が考えるお寺は、厳かで色あせているようなイメージが強く、それ故、地獄寺を見て「ヤバい、おかしい」と感じる人がいるかもしれません。でもそれは日本人的な価値観であり、東南アジアに行けばスタンダードでなくなります。タイの人にとって地獄寺は、訓戒・教育の場という性質が強いんです。仏教が広く根付き、現代においても「生きている」からこそ、彼らが真面目に考えた結果としての、表現の一つが地獄寺なんだと思います。それが分かったとき、自分が考える「当たり前」は、現地では通用しない、させてはいけないと実感しました。

――では、『タイの地獄寺』を出版するに至った経緯や、苦労した点を教えてください。

2018年10月に発売された『タイの地獄寺』(青弓社)

地獄寺は学問の世界では先行研究がないような状況ですが、「珍スポット」「B級スポット」としては比較的知られていて、そういったイベントに出演した際、編集者の方に声を掛けていただきました。内容は修士論文をベースにしていますが、掲載するデータを増やしたこともあり、全部書き直しました。学術論文ではなく、一般向け書籍としての出版だったので、どうやって知識や情報量を保ったまま読みやすくするかという点に頭を使いましたね。また、掲載している写真は、自分で撮りためた何千枚もの中から選びました。カラーは巻頭だけという案もありましたが、最終的には全ページカラーにしてくださったのでイメージもしやすいものになったと思います。

――読者からはどういった反応がありましたか?

「珍スポットやB級スポットの紹介本かと思っていたので、いい意味で裏切られた」という感想が多かったのですが、これは本望なのでよかったですね。実際、面白おかしく書いたり、写真集のようにした方が売れるかもしれないですが、それでは地獄寺を研究してきた自分が書く意味がないと思いました。そしてその考えを理解し研究書に近い形でまとめることを許してくださった出版社に感謝しています。あと、この夏にタイの地獄寺で訪問客に対してアンケート調査をしたのですが、この本を読んで来たという日本の方がいてうれしかったです。

――『タイの地獄寺』でいろいろな地獄寺を紹介していますが、椋橋さんは地獄寺のどのようなところに魅力を感じますか?

人間くさいところです。美術史的にもよく言われるのですが、天国と地獄の表現について、天国はきらきらしていい香りがして、すてきな音楽が流れていて…といったように、曖昧で観念的です。でも地獄はその逆で、この罪を犯したらこの方法で裁かれるなど、すごく具体的に細かく表現され、さらにタイにおいては、覚せい剤を使用した場合の地獄、交通事故を起こした場合の地獄、政治に関する地獄など、現世を反映してどんどんアップデートされていきます。そういう点でも「地獄」というメディアを介して人間の想像力や欲望が発散されているのを感じます。

(写真左)スワン・パーブリラットナージャーンは椋橋さんお気に入りの地獄寺。森と一体化している(スリン県)
(写真右)ワット・サンティニコムの地獄空間はお堂の地下にある。調査時は未完成で、タイの住職に聞き込みをする中で発見した(ランパーン県)

――現在、博士後期課程3年ですが、学生生活はいかがですか? また、今後の展望について教えてください。

常に追い詰められています(笑)。好きだからこそ研究しているのですが、学問や社会にとっての研究意義について悩むこともあります。でもそういうときに、トークイベントのような学問とは別の世界で地獄寺に興味のある人たちと交流すると、学業でのモチベーションを取り戻せるんです。この二つの世界があることで保っている部分はありますね。

(写真左)定期的に開催される「マニアフェスタ」に出展
(写真右)昨年12月にはタイの現地オプショナルツアー会社との合同企画で「タイ地獄寺3つを巡る極楽ツアー」を実施(椋橋さんは左から4人目)

會津八一記念博物館、會津八一書《学規》の前にて

また、今年から會津八一記念博物館で助手(学芸員)として働いています。地獄寺の研究とは直接関係ありませんが、在籍する美術史学コースの礎である會津八一先生のコレクションを扱っているので勉強になりますし、「もの」に触れる仕事としてやりがいもあります。今は11月25日から始まる企画展「藍より青く ―小杉一雄とその師父、會津八一と小杉放菴」の準備をしていて、忙しい日々を過ごしています。

これまでタイの寺院だけで100カ所以上訪れましたが、他にもまだまだありますし、知られていない場所もたくさんあると思います。さらに、中国や台湾、ベトナム、ラオス、マレーシアなど他のアジア圏にも地獄寺が存在していることは把握しているので、今後の研究としては、タイを中心にしつつも、もう少し幅広く、アジアにおける現代仏教の在り方といった形でまとめられればと考えています。研究はまだまだ終わりません。

『タイの地獄寺』の表紙にしたワット・パイローンウア(スパンブリー県)。タイの地獄寺の中でも有名で、椋橋さんいわく「ここに行けば地獄寺がどういうものか分かる」

第743回

【プロフィール】
東京都出身。都立国立高等学校卒業。2018年10月に『タイの地獄寺』(青弓社)を出版。趣味は石拾い。石に魅了されるのは「美術史専攻として研究してきた対象は人間の創作物だけど、石は誰に見せるわけでもないのに自ら勝手にきれいなものを創出しているから」だとか。好きなタイ料理はソムタム(パパイアサラダ)。

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