Waseda Weekly早稲田ウィークリー

『松屋フーズ』も、『ユーリ!!!on ICE』も 全てのカツ丼は早稲田に通ず

松屋フーズ・瓦葺会長「カツ丼を全米で」

カツ丼特集の前編では、三朝庵の卵とじカツ丼、ヨーロッパ軒のソースカツ丼、そして早稲田大学高等学院生徒の発案によるカツ丼という三つのカツ丼起源説を紹介しました。和洋折衷のアイデアから生まれてきた、早稲田大学校歌にある「東西古今の文化のうしほ」といえるカツ丼。早稲田大学が「グローバルユニバーシティ」へと改革を進めているように、カツ丼は今、「グローバルメニュー」として世界に羽ばたいていこうとしています。

後編では早稲田大学商学部を卒業し、牛丼チェーン店大手「株式会社松屋フーズ」を創業した瓦葺利夫(かわらぶき・としお)会長のインタビューと、早稲田大学2代目学長・天野為之の出身地で同系属早稲田佐賀中学校・高等学校のある佐賀県唐津市で起きているカツ丼ブーム、そして早稲田に現れた古くて新しい「ワセカツ丼」を紹介し、「カツ丼」の最新事情を伝えます。

牛めし・定食の「松屋」を1000店舗以上展開し、全国的な知名度を誇る株式会社松屋フーズ(東京都武蔵野市)。現在、同社はリーズナブルな価格で本格的なカツ丼・トンカツを提供する「松のや・松乃家」を全国で119店舗、海外では7店舗展開しています。1966年、早稲田大学商学部を卒業した同社の瓦葺利夫会長が目指すのが、「松のや」のカツ丼・トンカツを日本の代表的な食として世界展開することだそうです。現在、米国・ニューヨークでカツ丼・トンカツの系列店を3店舗、中国・上海で4店舗を展開しています。その真意を伺うために、松屋フーズ本社で瓦葺会長に話を聞きました。

――牛丼のチェーン店である「松屋フーズ」が、カツ丼・トンカツ店を出すことになったきっかけは何ですか?

「2000年の初期、新聞で『カツ丼を500円以内で出せるお店があればチェーン展開できる』という記事を読んだことがきっかけです。当時、松屋フーズは東証1部上場を果たし、もっと会社を大きくするための将来の展望を考えていました。そこで牛めしに次ぐ2番目の柱として『カツ丼』を考えたのです」

――カツ丼の魅力とはどのような部分でしょうか?

「大衆性がありながら、ごちそうとしての魅力がある食べ物だということですね。昔は卵も肉も非常に高価な材料だった。それが今では安い値段で食べられるようになり、肉と脂の甘みで何ともいえないおいしさがあります」

瓦葺会長

――実際にカツ丼を500円、ワンコインで販売しています。

「値段が一番安いということは意識していきたいですね。粗利を削ってでも今できる最高のことをしようと、肉もうまみを保てるチルド(冷蔵)肉を使うなど工夫をしています」

――メニューへのこだわりは?

「もともと健康志向でやってきたのですが、油には特に気を使っています。外国によくある酸化防止剤などを入れたものは絶対に使いません。ソースも無添加にこだわっています。今は少子高齢化の時代ですが、年配の方にも良いものを食べてもらいたい、という気持ちで提供しています」

ニューヨークにある「松のや」のどんぶりメニュー

――米国・ニューヨークでもカツ丼・トンカツを展開しています。

外食業を営んでいる友人がニューヨークでとんかつ店を展開していたのですが、思うように売り上げが上がらなかったので、売却を打診されたことがきっかけで進出しました。上海では既にかなりお客さまがついていましたし、ニューヨークには他にトンカツの専門店がなかったので、値段や早く提供する方法を改善していけば現地で受け入れられると思いました。私自身もニューヨークに憧れがあり「いずれはアメリカで」と思っていました。それに松屋フーズ社員は平均年齢が若いので、『海外にも行ける』という夢を抱いてほしかった。日本のマーケットは小さい。いずれグローバル化の必要に迫られると思っていました。現在、『かつ濱』として2店舗、『松のや』1店舗の計3店舗を展開しています」

――アメリカでの評判はいかがですか?

「みんな『うまい』と言ってくれますね。ただ値段が約15ドルと日本に比べて高い。だから日本のようにワンコインとはいきませんが、せめて10ドル以下で出せるように努力しないといけません」

海外の店舗

――卵とじのカツ丼もニューヨークでは人気はあるのですか?

「受け入れられているみたいですよ。ニューヨークの店舗での売り上げは4位です。また、ソースカツ丼も、調理工程が少ないので値段も安く、みんな『うまい』と言ってくれます」

――学生時代、カツ丼との出合いはありましたか?

「あのころはなかなか食べられなかった。お金がなかったから『タンメンライス』のような安くてボリュームのあるものばかり。確か当時は学食で80円だったかな? 3年生になってアルバイトなどで少しお金が入ると、たまに『金城庵』に行きました。そこで天丼を食べてビールというのが最高のぜいたくでしたね」

――早稲田がカツ丼発祥の地だということはご存じでしたか?

「知らなかったですね。『三朝庵』は行ったことはなかったけれど、昔から格調の高い良いお店だった記憶があります」

――世界展開するカツ丼・トンカツチェーンの会長として、早稲田発といわれる「カツ丼」を世界に広めていくという気持ちを持っていただけますか?

「カツ丼の代表のような顔をするのは、先人に対して申し訳ないですよ(笑)。でも、先人が付けた名前を時代の流れとともに世界に普及させていったという存在に、松屋フーズがなれたらうれしいですね。早稲田がカツ丼発祥の地だとしたら、世界に広めるという意味で松屋フーズも、『カツ丼』仲間の端っこに入れてもらえますかね?(笑)。でも、早稲田の学生はカツ丼の思い入れが強そうだし、裏切れないですね。ウチに来て食べてもらうときは価値のあるものを出さないと」

――今後の海外展開の予定は?

「働き手にビザや永住権などの問題があって、なかなか容易ではないのですが、できれば全米で展開したい。どうせやるなら、それくらいの気持ちを持たないと。松屋フーズは、日本の1100店舗も含めて1兆円産業を目指しています」

――瓦葺会長は「瓦葺利夫奨学金」を設立し、本学学生のために多大なるご支援をいただいております。後輩の早大生に向けてメッセージを下さい。

「日本の若い人は海外に比べると起業する人が少ないと聞いています。今は人手不足なので、企業で会社員として働くことはいつでもできると思うので、自分でやりたいことがあれば、積極的に事業を興してもらいたいですね。そうすれば日本のファンダメンタルが強くなる。与えられたことをやるだけでは、自分の思いがなかなか遂げられないが、自分の手でやりたいことを実現すれば、やりがいにもなります」

松屋フーズ本社ビルの1階にある「松乃家 三鷹店」で、「ロースカツ丼」(税込み490円)を食べてみました。ちょうど昼時で、店には長い行列ができていました。「松屋」の看板メニュー「プレミアム牛めし」で培った風味と鮮度を保って熟成を進めるチルド技術を応用し、アメリカ産熟成チルドポークを使ったメニュー。食感と熟成感は冷凍にはないうまみを感じ、ジューシーかつボリューム満点です。値段を考えたら“驚き”といえる品質です。まさに「健康で安くてうまいものを、たくさんの人に届けたい」という瓦葺会長の情熱がこもった一品。全米展開を掲げて「カツ丼」から「Katsu Don」へと進化する、「早稲田から世界へ」の可能性を感じずにはいられませんでした。

『ユーリ!!!on ICE』で、佐賀・唐津にカツ丼ブーム

早稲田大学2代目学長・天野為之の出身地で、早稲田大学系属早稲田佐賀中学校・高等学校がある、玄界灘に面した佐賀県唐津市。同校のそばには町のシンボル「唐津城」がそびえ立ち、唐津湾沿いに虹の弧のように連なる松原は「虹の松原」として日本三大松原の一つに数えられています。海産物にも恵まれる風光明媚(めいび)な同市ですが、「唐津市論点データ集」(2015年、同市発表)によると、少子高齢化の進み具合は全国平均を上回り、50年後には現在の人口約12万5000人が半減すると予想されています。この唐津市でカツ丼ブームが起きているという話を聞き、早稲田ウィークリー編集室は同市へ向かいました。

アニメに登場する商店街

モデルのなった京町商店街。右端の虎の絵が描かれたトレーナーに注目して、アニメ画像を見てみましょう

高齢化・過疎化問題を抱える唐津市では2016年10月以降、普段はない光景が市内のあちらこちらで見られるようになりました。JR唐津駅前に広がる京町商店街にある衣料店の男性店主は言います。「店の前で写真を撮りまくる、若い女性や外国人観光客が増えたんです。一体、何が起こっているのか、そのときはさっぱり分かりませんでした」。そして同市内の温泉施設にも、同様にカメラを携えた若い女性や外国人観光客が多数訪れるようになり、そこで全員が「カツ丼」を注文するようになったのです。

勇利の実家である温泉宿「ゆ〜とぴあ かつき」

「鏡山温泉茶屋 美人の湯」のエントランス

実は同じ頃、フィギュアスケート・グランプリシリーズの世界を描いたアニメ『ユーリ!!! on ICE』(テレビ朝日系列 以下、ユーリ)の放送が始まり、劇中の舞台「九州の長谷津町」が唐津市をモデルにした町だったため、アニメファンにとっての“聖地”と化していたのです。さらに、主人公・勝生勇利やそのコーチであるヴィクトル・ニキフォロフ、ライバルであるユーリ・プリセツキーら人気キャラクターの好物が、勇利の実家である温泉宿「ゆ〜とぴあ かつき」のカツ丼だったのです。その温泉宿のモデルとなった温泉施設「鏡山温泉茶屋 美人の湯」によると、放送以降の土日・祝日のカツ丼注文数は1日約200杯に上るそうです。

カツ丼をおいしそうに頰張るヴィクトル

勇利のライバルであるユーリもカツ丼が好物に

「ゆ〜とぴあ かつき」の食堂

「鏡山温泉茶屋 美人の湯」の食堂。ここで多くの観光客がカツ丼を食べています。※平日のお客さんが最も少ない時間帯を狙って撮影しました。

劇中、カツ丼はとても重要な存在として描かれています。

鏡山温泉茶屋のカツ丼

アニメ人気は世界中に広まり、フィギュアスケート世界女王のエフゲニア・メドベージェワ選手も大ファンであることを公言、海外ファンによる「Katsu Don」レシピのYoutubeへの投稿も相次ぎました。

ヴィクトルと同じポーズをとるメドベージェワ選手(同選手のツイッターより)

そして、アニメ人気が国内外でうなぎ登りになるにつれて、唐津は観光地として盛り上がりを見せ、アニメの作者・久保ミツロウさんも現地を訪問してソーシャルメディアで情報発信するなど、次第に地元とアニメのコラボレーションが進みました。唐津が“聖地化”しカツ丼を食べる女性の増加現象は地元新聞でも報道されるようになり、市民による応援団体「長谷津と唐津をつなぐ会」が設立され、ついには佐賀県や唐津市という行政を巻き込んだ地域振興企画「サーガ!!! on ICE」(2017年3月6日~5月7日)という一大キャンペーンが始まったのです。

公式聖地巡礼マップ

多くの地方と同じように過疎に悩む唐津で、その魅力を多数の人に知ってもらう千載一遇のチャンスとして、アニメを地域活性につなげようとする地元の人々。2カ月にわたるこのイベントでは、佐賀県と唐津市が劇中に登場したスポットを巡る「公式聖地巡礼マップ」を製作・配布して、地元名産品や飲食店とのコラボフードやオリジナルグッズなど、唐津を訪れないと体験できない企画を展開しました。もちろん、聖地巡礼コースの締めは鏡山温泉茶屋で「カツ丼を堪能」です。

アニメに登場する長谷津のアイスリンク

アイスリンクの“立地モデル”となっている早稲田佐賀

カツ丼あるところに早稲田あり。こうした地域振興のドキュメンタリーを撮影している高校生がいます。早稲田佐賀高校2年生で、放送部員の高山凱(たかやま・かい)さんは、「長谷津と唐津をつなぐ会」会長の河上彰範(かわかみ・あきのり)さんの活躍を中心とした作品を制作しています。河上さんがシェフ・店長を務めるステーキ店によく通っていることから懇意になり、制作することになりました。作品は「高校生最大の芸術文化の祭典」と言われ、芸術文化活動に取り組む全国や海外の高校生約2万人が宮城県に集って活動成果を発表する「全国高等学校総合文化祭 みやぎ総文2017」に出品する予定です。

「みやぎ総文2017」に出品するドキュメンタリーを撮影中の高山さん(右)。左はドキュメンタリーとは別に、ドラマを共同で撮っている同じ放送部の迎紀彦(むかい・のりひこ)さん

東京都杉並区出身で中学1年生のときから早稲田佐賀の生徒寮「八太郎館」に入寮し、唐津を第二の故郷として過ごしている高山さん。「僕も実際に『ユーリ』を見ました。河上シェフが『このアニメで唐津を良い町にしたい。だから長谷津と唐津をつなぐ会を立ち上げた』と話しているのを聞いて、唐津にいる間に自分も一役買えたらと思い、ドキュメンタリーを制作することを決めました」と動機を説明します。

「河上シェフの地元に情熱をささげる姿が格好(かっこ)いいんです。町おこしで今、一番盛り上がるのはアニメだと思います。時代に合った新しいやり方です。休日になるとコスプレをした人たちが市内に現れるので、そうした観光客の方々にインタビューもしています。鏡山温泉はカツ丼が人気なので僕も取材に行って食べました。今、町の盛り上がりを強く感じています。唐津の人々が必死に活動している熱い思いを、ドキュメンタリーで伝えていきたいです」

ステーキを焼く河上シェフ

映画の舞台裏を描いたメーキング映像が好きだという高山さんは、卒業後は早稲田大学文学部演劇映像コースに進学し、将来は映画に関わる仕事に就きたいそうです。「早稲田佐賀高校では1年時に東京研修があるのですが、残念ながらカツ丼発祥といわれる『三朝庵』には行っていません。今後はカツ丼を食べることも研修コースに入れると、早稲田大学の歴史・文化に触れることができるいい機会になるかもしれません」

ユーリのコスプレをする河上シェフ

ドキュメンタリーの主人公・河上シェフが営むステーキ店「キャラバン」に行って、直接話を伺ってみました。「早稲田佐賀の生徒は中1で親元を離れて生活している子も多いでしょう。だから、子どもたちだけで来店したときは、『早稲田割り』といって佐賀牛ランチを特別に安く提供しているんですよ。唐津を、佐賀を、国を背負っていってほしい子どもたちですから」と語る河上シェフ。

今年2月、河上シェフは「長谷津と唐津をつなぐ会」会長として地元紙・佐賀新聞の中尾清一郎(なかお・せいいちろう)社長(1984年早稲田大学商学部卒、早稲田大学校友会佐賀県支部長)を訪問し、『ユーリ』による町おこしの必要性を説明、地元紙としてできる範囲の協力をとりつけました。高山さんも同行し、この様子をドキュメンタリー映像に収めています。精力的に活動する河上シェフ。行政も巻き込んだキャンペーン「サーガ!!! on ICE」は、河上シェフがいなかったら実現しなかったかもしれません。

河上シェフと佐賀新聞の中尾清一郎社長。アニメキャラと同じポーズをとっています(河上シェフのfacebookより)

河上シェフは『ユーリ』ファンの間ではすでに有名人。東京で行われた『ユーリ』イベントに参加したときは、羽田空港で多くの人に囲まれてしまったほどです。キャラバンの店内は“聖地巡礼中”のお客さんであふれ、作者のサインや各種グッズなどに囲まれています。お客さんに向かって「全力で唐津をぶちかましてます!」などと唐津・ユーリ愛を披露し、フィギュアスケートのトリプルアクセルに見立てた鉄板焼きパフォーマンスで楽しませていた河上シェフ。閉店後、「とっておきの光景を見せたい」と唐津城へ連れて行ってくれました。石段を上がっていくと、そこにはアニメにも登場した、勇利とヴィクトルが座っていたベンチがありました。目の前には唐津湾や松浦川に光の弧が描かれた、壮麗な夜景が広がっていました。

唐津城を背景にして見た唐津の夜景

アニメでは反対方向から見た情景が登場している

東京や福岡で料理人として修行を積み、5年前に亡くなった父親から経営に苦しんでいた店を引き継ぎいだ河上シェフ。その店をミシュラン一つ星店に成長させた河上シェフは唐津の現状を話してくれました。「この光のカーブを見ると、唐津にいるんだ、帰ってきたんだと強く実感できるんです。だけど、唐津の衰退は止まりません。どんどん活気がなくなっている。商店街もシャッター街のようになっている所がある。破産して命を絶つ人だっている。『ユーリ』を地方創生の一つの糧にして、あの光を絶やさないようにしたいんです。そのために私はこれからも全力を尽くして、行動し続けます」

アニメ人気で空前の観光ブームに沸き立ちながらも、その影には唐津が長年にわたって抱えている悲しみがありました。高山さんのドキュメンタリーでは、どのような唐津が描かれるのでしょうか。

100年ぶり。ソースカツ丼、早稲田に帰還

グローバルメニューとして世界に羽ばたいていくカツ丼。1913(大正2)年に早稲田で生まれ、現在は福井名物となっているヨーロッパ軒発祥のソースカツ丼でしたが、同店の移転後は跡形もなく早稲田から消えてしまいました。ところが2016年5月、約100年ぶりにソースカツ丼がヨーロッパ軒と同じ住所地である新宿区の「早稲田鶴巻町」に帰ってきたのです。店の名は「奏す庵」。福井県出身のオーナーがカツ丼誕生にまつわる歴史を知り、「日本初のカツ丼」へ敬意を込めて発祥地にこだわって出店したそうです。

からっと揚げて甘いソースに浸す「ワセカツ」

「日本の食文化を世界に広めたい」。自らも店頭でカツを揚げる奏す庵オーナー・森武彦さんは「日本の伝統的なものに海外からもたらされた文化を融合させることが『和文化』の特徴といえるのではないでしょうか。トンカツとどんぶりとウスターソースを掛け合わせてできたソースカツ丼は、代表的な和食だと思っています」と語ります。

熱々のご飯にカツから滴るソースをかける

そして「早稲田生まれの、早く仕上がるカツとして、『ワセカツ丼』と命名しました。早稲田で生まれ、その後、私の故郷である福井の代表的グルメとして定着した『ソースカツ丼』こそ、世界へ紹介するメニューにふさわしいと思います。現在、海外出店の準備も進めています」と続けました。

ワセカツ丼をうれしそうに食べようとする北陸学生稲門会の学生。左から酒井さん、南部さん、中町さん

福井県出身の学生にその味を確かめてもらおうと、公認サークル「北陸学生稲門会」に所属する人間科学部3年・酒井拓海(さかい・たくみ)さん、文化構想学部3年・南部彩乃(なんぶ・あやの)さん、商学部3年・中町諒佑(なかまち・りょうすけ)さんの3人に集まってもらいました。

“ソウルフード”を前に、思わず笑みがこぼれます

福井帰省の際は、絶対にヨーロッパ軒のカツ丼を食べるという3人。酒井さんは「前回帰省したときは、1週間で3杯食べました」と言うほど。南部さんは「卵とじカツ丼はテレビで初めて存在を知った程度です」、中町さんも「卵とじのほうは生まれて一度も食べた事がありません」と、ソースカツ丼への思い入れは筋金入りです。

ワセカツ丼

「薄いトンカツ」「早く仕上がる」「ソースに浸す」というヨーロッパ軒譲りの三つの特徴を持った「ワセカツ丼」。若干厚めのカツ2枚、薄カツ3枚が乗った看板メニューに、3人はおいしそうにかぶり付きました。

それぞれ感想を述べてもらいました。

ワセカツにかぶり付く酒井さん

酒井さん「カツを上皿に挙げて、まずはソースだけでご飯を味わうのが僕流です。留学生の友達もいるので、ぜひ、連れてきて世界にこの味を広めたいですね。ソースカツ丼はきっと、気に入ると思います」

口一杯にカツを頰張る南部さん

南部さん「カツ丼は、カツがちょっとしっとりしていて、薄いのが絶対条件です。自分のソウルフードのルーツが早稲田にあったということに誇りを感じます。今、友達と早稲田の昔の文化を取り戻すことを目的としたサークルを設立して頑張っています。ソースカツ丼は外せなくなりました」

胃袋に染み渡る故郷の味にしんみりとする中町さん

中町さん「おいしい、というよりも、うれしさがこみ上げてきました。地元ではそば屋のカツ丼セットも当然、ソースでした。日頃からずっと食べていたものなので、東京で食べられるところがあるのはほっとした気持ちになります。商学部のある11号館は留学生がたくさんいるので、和文化代表の一つとして、ソースカツ丼を紹介してみます」

前編では早稲田生まれのカツ丼の歴史をたどり、後編ではカツ丼の最新事情を紹介し、早稲田大学と同じように、大手チェーン店でも、アニメの世界でも、そして出生地早稲田でも、世界へ羽ばたこうとしているカツ丼を見てきました。

「グローバル」と「カツ丼」の親和性。そもそも、早稲田大学は1882年の創立当初から、強く「世界」を意識してきた大学でした。創立の2年後には留学生を迎え入れており、130年以上経た現在、国内で最も多い約5,400人の外国人留学生が在籍する大学となっています。カツ丼が早稲田で生まれ、その世界進出にも早稲田が絡んでいるというのは必然なのかもしれません。

1966年11月16日発行の早稲田ウィークリーには、早稲田大学の初代図書館長・市島謙吉が、世界の要人が大隈重信邸を訪れて早稲田大学で講演することから「世界の道は早稲田に通ず」という言葉を残していたとあります。「全ての道はローマに通ず」にちなんだような言葉ですが、早稲田の歴史を振り返りながらソースカツ丼を食べているうちに、こんなフレーズが浮かんできました。

全てのカツ丼は早稲田に通ず――。

箸がとまることなく、ワセカツは次々と3人の口へ運び込まれていった
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