Waseda Weekly早稲田ウィークリー

「山頂での3分間」ヒマラヤ未踏峰で見た景色の価値 早大山岳部×石川直樹

誰も踏み入れたことのない山に登る未踏峰は登山の「最大級」

あらゆる情報がインターネットに集約され、世界最高峰のエベレストでさえも効率的な登り方が簡単に検索でき、年間数百人が登頂できるようになった現在。

「情報も写真もない、地図すら正しいか分からない場所に行く」早稲田大学山岳部出身の萩原鼓十郎さん(2015年政治経済学部卒)と鈴木雄大さん(2017年法学部卒)、そして現役山岳部主将の福田倫史さん(スポーツ科学部4年)という3人の登山家たちは、そんな偉業を成し遂げました。2017年10月17日、ヒマラヤ山脈にある標高6,426mの未踏峰「ラジョダダ(Lajo Dada)」に、有史以来初めて、人類の足跡がつけられたのです。

いったい彼らはなぜ、そんな挑戦を行ったのか? そして、どのようにしてこの挑戦を成功に導いたのか? 七大陸最高峰を世界最年少(2001年当時)で登頂した経験を持ち、エベレストにも2度の登頂を達成している写真家・石川直樹さん(2002年第二文学部卒)を聞き手に、この挑戦の裏側を聞きました。

左から早大隊の福田倫史さん、鈴木雄大さん、写真家・石川直樹さん、早大隊の萩原鼓十郎さん
石川
ラジョダダの登頂成功おめでとうございます。
3人
ありがとうございます!
石川
成功の知らせを聞いて、本当に偉業だと思いました。登山計画はいつごろから立てていたんですか?
鈴木
2014年にネパール政府が未踏峰リスト104峰を発表しました。それらをグーグルアースに打ち込みながら候補となる山を絞り込み、形がよくて、自分たちの力で登れそうな山として2016年の10月ごろ、ラジョダダの登頂を決定したんです。
石川
「形がいい」というのは?
鈴木
周りに高い山がなく、この地域では一番高い山であり、山容(山の形)もきれいな三角形をしているということですね。

石川さんはラジョダダの存在はご存知でしたか?

石川
いえ、全く知りませんでした。未踏峰を探している人じゃない限り、知っている人はいないと思いますよ。

お手製のマップで石川さんに
ラジョダダの場所を説明する早大隊

お手製のラジョダダマップ

鈴木
未踏峰として残っている山がほとんどないこともあり、未踏峰を探している登山家はあまりいません。おそらく「ラジョダダ」という名前すら、知っていたのは僕らくらいだと思います。そもそも僕と福田は2015年に山岳部の春合宿でアイランドピーク(※ヒマラヤ山脈エベレスト東側にある山。標高6,160m)に登り、その経験からまたヒマラヤに行きたいと思っていました。そして、せっかくなら次は自分たちにしかできない登山をしたいと思い、未踏峰を探していて、ラジョダダにたどり着いたんです。

未踏峰に登る魅力とはどのようなものでしょうか?

福田
情報が全くないので、自分たちで情報を探りながら冒険心を持って登れることですね。地球上で誰も見たことのない景色が見られる、そんな場所に憧れていました。
石川
登山には、標高の高い山を無酸素で目指したり、速さを競ったり、バリエーションルートで登ったりと、さまざまなスタイルがありますが、特に現代において、未だかつて誰も足を踏み入れたことのない山、すなわち未踏峰を登る行為は、登山の中でも最大級に素晴らしいことだと思います。20代前半のまだ若い年齢で未踏峰を目指すのは、志が高いですよね。

ラジョダダ遠征を決定してから、およそ1年の間にどのような準備をしたのでしょうか?

鈴木
当初は、まだ学生だった僕と福田の2人で計画を立てていました。けれども、山岳部OBの方々から、それでは実力不足だと言われ、パートナーとなる3人目を探すことになったんです。そこで、先輩の萩原さんに声を掛け、仲間に加わってもらうことから始まりました。
石川
他にもOB・OGはたくさんいるのに、なぜ萩原さんを?
福田
卒業されると、どうしても山から離れてしまう人が多いんです。その中で、自分が入学したときのカリスマ的な先輩でもある萩原さんは、社会人になってからも情熱を持って山に登っていました。また年齢が近く、同じ時期に山岳部に在籍していたので、登山の実力が高いことも分かっていましたし、リーダーシップがあって尊敬していました。そこで、萩原さんに声を掛け、2人で説得したんです。

当時、萩原さんは大手商社に勤務する社会人でしたが、今回の遠征には、会社を辞めて隊長として加わっています。葛藤はなかったのでしょうか?

萩原
もちろんありました。1年あまりの時間をかけて就職活動をし、やっと入れた会社です。入社3年目だったので、徐々にできることも増えてきて、ここから海外勤務などいろいろ可能性が広がっていくという時期。だから、できることなら仕事も続けたかった。

けれども、ラジョダダという山が未踏峰である期間は本当にわずかですし、次に他の未踏峰が出てくる保証もない。自分の体力がいつまで持つか、という問題もある。何より、遠征に向けて仲間がそろうのは今のタイミングしかない。だから思い切ってラジョダダ行きを決めたんです。
石川
その決断は素晴らしいと思います。大手商社に勤めていれば、安定した生活が保証されている。それを捨てて未踏峰に向かったんですよね。知らない人から見ればばかげた行為かもしれませんが、僕からするとリスペクトできる生き方です。

萩原さんが加わったことによって、OBも納得したんですね。

福田
はい。トレーニングや装備を集めるという準備よりも、OBを説得するという作業が一番の難関だったかもしれません(笑)。というのも、山岳部には100年近い歴史があり、その中では海外遠征での死亡事故なども起こっています。実際に事故に遭遇したOBも多く、安全面に関しては細心の注意を払っているんです。
雪崩、高熱、高山病…アタック26時間 踏破の道のり

登山の過程では、さまざまな苦労を経験したと思います。トラブルに見舞われることはなかったのでしょうか?

福田
まず、ベースキャンプ(登山の基地として資材や物資を蓄えておくキャンプ地)までたどり着けるのかすらも、出発の段階では分かりませんでした。数日かけておよそ100キロの道のりを歩いて麓の村ムグンバ(※この時点で標高3,620mと富士山とほぼ同じ)に着いて、「ようやくここから登って行くことができそうだ」という確信を得られたくらいです。

カトマンズから麓の村まではおよそ100km。
キャラバンのスタート地点までは悪路を16時間、
ローカルバスで移動。
その後4日間、現地ガイドと荷物を運ぶ12頭の馬とともに、麓の村までのキャラバンが始まる。

キャラバン中に見えた、計画初期では登る
可能性もあったラジョダダ南稜。
自然保護区も含む壮大な谷を歩き続けた。

萩原
一般のルートからでは、ラジョダダの山頂すら見ることはできません。現地の人たちも「ラジョダダという山があるらしい」というのは知っているけれど、それがどういう山で、正確にどこにあるのかすらも分からない。だから、どのようにアプローチするかという情報はゼロでした。中には「ラジョダダはもう登られている」と話す現地の人までいて。もちろん、ガセ情報だったんですが(笑)。

麓の村ムグンバまでのキャラバンの途中。
ラジョダダの位置を現地ガイドと確認する。

福田
トラブルという面では、僕が何度か高山病にかかりました。アイランドピーク登頂時から高山病が出やすいということは分かっていたのですが…。
萩原
海抜0mでほぼ100%のSpO2(血中酸素飽和度)が、5,000mあまりの高度では70-80%のところ、福田は55%まで低下していました。一般に90%未満は呼吸不全を意味するので、これはかなりやばい数字でした。

標高5,000mの高山病とは、どのような苦しみなのでしょうか?

福田
人によって症状は違うんですが、僕の場合は立って歩けないほど激しい頭痛が延々と続きました。
石川
例えるなら『西遊記』の孫悟空のように、ずっと頭を輪っかで締め付けられているようなイメージですよね(笑)。
鈴木
また、福田が高山病で倒れたのと同じタイミングで、僕は現地の水を飲んで食あたりになってしまい、下痢と高熱で寝込んでしまいました。
萩原
僕らは高所に体が慣れていないので、極地法(※困難な探検でベースキャンプから順に拠点を設営し目的地に向かう方法)で、ベースキャンプ、キャンプ1、アタックキャンプというように拠点を作って、そこを行き来しながら登るのですが、物資を1人で荷揚げするなど、一時はどうなるかと(笑)。

3人のうち2人が倒れたら、もしかしたら登れないかも…という不安もあったでしょうね?

萩原
それまで順調だった行程の貯金分が一気になくなって焦りましたし、自分が倒れたら終わり、という危機感がありましたね。しかし危機的状況に直面することで、頂上を目指すことより「まずは登山を楽しもう」と気持ちを切り替えました。数日で2人とも回復し、数百メートルのクレバス(氷河や雪渓などの割れ目)や高さ20mの氷壁を越えながら進み、キャンプ1を5,200mに、頂上制覇のためのアタックキャンプを5,730mに設置しました。

立ちふさがる氷壁を見つめる萩原さん

石川
頂上へのアタックの際には26時間歩き続けたと聞きました。かなり長い時間の頂上往復だったんですね。
鈴木
まず、登頂の朝、歩き始めてすぐに僕が小さな雪崩に巻き込まれました。30cmくらいの表層雪崩だったのですが、それでも10〜15mくらい流されました。
石川
やばいと思った?
鈴木
流されながらも落ち着いてはいましたね。反射的に「とにかく走らなきゃ」と思い、うまく横に逃げたことで危機は回避しました。「ゴォォォー」っていう聞いたことがないような迫力の音が記憶に残っています。

のっけから波乱の展開ですね…。その後は順調だったのでしょうか?

鈴木
途中まではいいペースで稜線まで出たのですが、予想以上に雪が溜まっている場所があり、膝くらいの深さまで落ちながら1キロほどの雪をかき分けて進むことになりました。どれだけ足を前に出して進んだと思っても、後ろを振り向くと、数メートルしか移動していないという状況だったんです。

アタックキャンプを出てすぐ、
3人の前に立ちふさがった雪原

石川
それはつらい…。
鈴木
そこを抜けるだけでも4時間以上かかりました。
萩原
ようやく雪原を脱して、高低差2,000mあまりの崖を進み、山頂を踏んだのは夕方の5時半ごろ。予想以上に時間がかかり、既に辺りは暗くなり始めていました。
「頂上も立ってみるまで分からない」胸が熱くなるのは意外な瞬間

さまざまな困難を乗り越え、ついにラジョダダの頂上に立ったときの気持ちはいかがでしたか?

鈴木
僕が先頭を歩いていたんですが、誰の足跡もない雪山なので、どこが山頂なのか分かりません。ひたすら歩き続けると、もうこれ以上高い場所がないというところに出たんです。そこでようやく、「ああ、ここが頂上か」と初めて分かったんです。
鈴木
実際に山頂に立ったときは、登山が成功して終わってしまうのが寂しいようなうれしいような、複雑な気分でしたね。
福田
夢がかなったという達成感はありましたが、そんな気分に浸っていたのは2〜3分程度。暗くなり始めていたので、いかに素早く下りるかを考え始めました。

ラジョダダ山頂からの景色。
わずか10分の滞在の間に、登頂証明や撮影を行うため、
感傷に浸っている暇はない。

10数時間かけて、たったの2〜3分!? 感傷に浸っている余裕はないんですね…。

福田
それが普通なんですよ(笑)。登頂証明や記録のために写真を数枚撮影して、すぐに下山する準備に取り掛かりました。

素人としては、頂上で喜びを分かち合うのが登山の醍醐味(だいごみ)というイメージですが、実際には、あくまで通過点という位置付けなのでしょうか?

萩原
もちろん頂上が登山のハイライトであることは間違いありません。でも一番うれしいのは、「頂上まであと数十メートル…」ってところですね。無事に帰って来るまでが登山なんです。山頂に立った次の瞬間には、いかに安全に下りるかにシフトするのが当然のことですね。

山頂前に立ちふさがった雪深い道

石川
特に、下山のときに事故が起こりやすいんです。僕も同様に、頂上に立っても写真を撮影したらもう下りることしか考えていません。
福田
だから、下山して山頂を見上げたときにじわじわと感動が湧いてくるんです。今回で言えば、アタックキャンプまで下り、仮眠をとって起きたときに、遠くにラジョダダの頂上が見えました。そこで「あそこに行ってきたんだ」と、胸が熱くなりました。
萩原
ラジョダダの山頂は麓からは見えないので、アタックキャンプよりも下に下りるともう見ることができなくなってしまいます。ひょっとしたら、もう一生見ることができないかもしれない。しっかりと目に焼き付けてから下山しました。

ラジョダダ登頂には、およそ1年の準備期間を経て登頂に成功しました。偉業を達成し、燃え尽きたりはしないのでしょうか?

鈴木
2015年にアイランドピークに登ったときも、下りてくるときには既に次の山に行きたいと思っていましたが、今回も下山中に「次の山を探したい」と思いました。

常に「次へ次へ」とに心が移っているんですね。

萩原
2020年に山岳部は創立100周年を迎えます。今回のラジョダダ遠征は、100周年遠征の前哨戦という意味も含まれているんです。ラジョダダを制覇して満足するだけでなく、20年にもまた、山岳部の仲間とチームを組んでいい山に登りたいという気持ちですね。
石川
また会社を辞めることになりそうだね(笑)。
萩原
その頃には僕だけでなく、就職しているみんなにも決断してもらうしかないですね(笑)。
石川
今は3人ともラジョダダから帰ってきたばかりで情熱に燃えています。でもきっと人生には紆余(うよ)曲折があり、ひょっとすると山の世界から離れてしまう人もいるかもしれない。けれども「誰も登ったことのない山に登った」という経験は、本当に一生の宝物です。生きる指針になるほどの偉業を達成したこと、その仲間がいることを誇りに思ってほしいです。
3人
ありがとうございます!
プロフィール

早大山岳部
隊長・萩原 鼓十郎(はぎはら・こじゅうろう)
2015年政治経済学部卒業。山岳部元主将。大学在学中にはヨーロッパアルプスにも挑戦。卒業後は大手商社に勤務するも、今回の遠征を機に退職。遠征参加決定後は現役に混じり合宿遠征にも参加するなど、ハードなトレーニングを積んでいる。座右の銘は「人生スリルとロマン」。
副隊長・鈴木 雄大(すずき・ゆうだい)
2017年9月法学部卒業。2016年には米国・オレゴンへ1年間の交換留学。これまでで印象に残っているのは、世界遺産ヨセミテ国立公園にある世界最大の一枚岩花崗岩エルキャピタンのノーズで、4日間かけて高低差1,000mの垂直な岩壁を登りきったこと。
隊員・福田 倫史(ふくだ・のりふみ)
スポーツ科学部4年 山岳部主将。栃木県出身。県立宇都宮高等学校卒業。高校時代に山岳部の顧問だった恩師の影響を受けて登山を始める。大学では一流の環境で登山をしたいと思い、大学選びの段階から山岳部の強い大学に絞り、念願の早稲田大学へ入学と同時に山岳部へ入部。

石川直樹
1977年東京都生まれ。写真家。2002年早稲田大学第二文学部卒業。2008年東京芸術大学大学院美術研究科博士課程修了。高校2年生のときにインド、ネパールへ一人旅に出て以来、2000年に北極から南極までを人力で踏破するPole to Poleプロジェクト、翌2001年に七大陸最高峰の最年少登頂(当時)、熱気球による太平洋横断など、旅をするように世界中で冒険を行う。
主な著書・作品に、開高健ノンフィクション賞受賞『最後の冒険家』(集英社)、日本写真協会新人賞受賞『NEW DIMENSION』(赤々舎)、講談社出版文化賞受賞『POLAR』(リトルモア)、土門拳賞受賞『CORONA』(青土社)、ヒマラヤの8,000m峰に焦点をあてた写真集シリーズ『Lhotse』『Qomolangma』『Manaslu』『Makalu』『K2』(SLANT)などがある。
http://www.straightree.com/

取材・文:萩原 雄太(はぎわら・ゆうた)
1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。
http://www.kamomemachine.com/
撮影:きくちよしみ
撮影協力
エナジークライミングジム高田馬場店
http://www7a.biglobe.ne.jp/~energy/

カモシカスポーツ本店
http://kamoshika.co.jp/
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