Waseda Weekly早稲田ウィークリー

西寺郷太×土岐麻子のブラワセダ ―音楽仲間と歩く思い出の早稲田―<出会い編>

出会いは戸山カフェテリア!?カツカレーと音楽が育んだ友情

今年メジャー・デビュー20周年を迎えるバンド「Nona Reeves(ノーナ・リーヴス)」のボーカル西寺郷太さん(1996年第二文学部卒)と、「シティ・ポップの女王」「声のスペシャリスト」と評されるシンガー・土岐麻子さん(1999年第一文学部卒)。学年が二つ違いで先輩後輩の二人は、どちらも早稲田の音楽サークルに所属していました。

西寺さんは1995年に同じサークルの仲間と「ノーナ・リーヴス」を、土岐さんは1997年に隣のサークルの先輩と「Cymbals(シンバルズ)」を結成。共に在学中に立ち上げたバンドでデビューし、後にメジャーへ躍り出ました。卒業後もお互いのライブへの参加、楽曲提供などを通じてシーンをつくってきたお二人。後編では、ノーナの命名・結成にまつわる思い出の地が登場。大学から始まり20年来の仲であるお二人の、早稲田や当時からの仲間たちに抱く思いも、さらにスパークします。

左から、西寺郷太さん、土岐麻子さん
さて、次は中央図書館。1991年竣工だよね。僕は1992年入学なんで、ここができたばっかりのとき、1年生だったんですよ。まさに中央図書館の申し子! 本当によく通ったな~。
文キャン(※戸山キャンパス)の戸山図書館じゃなくてこっちですか?
うん、どちらかと言われればこっち。
私は文キャンで授業を受けて、戸山カフェテリアでバイトして、戸山図書館で勉強して…って、全て半径数10メートル以内でやってました。あまり勉強しない学生だったから、図書館に来ると目まいがします。「文字がいっぱいあってどうしよう」って。勉強アレルギー(笑)。ここには卒論を書くときとか、たま~に来ましたけどね。
卒論を書くとき、かなり使ったなぁ。テーマは「カリスマとインターネット」。主査はなぜか、入学した当時総長を務めていて退任されたばかりの小山宙丸先生(※早稲田大学第13代総長)だった(笑)。俺、お寺の息子なのに、キリスト教とかイスラム教の勉強するのが異様に好きだったんだよね(笑)。個別じゃなくて、宗教というシステム自体に興味があるというか。

そのころはインターネットが普及し始めで、「これからはいろんな人がメディアとなって発信する時代がくる」と。歴史を見ると、活版印刷にせよなんにせよ技術の革新で宗教や権威も変わる。神秘性みたいなものは触れられないことから生まれるじゃない? でもそれが崩れていくはずのこれからの時代、カリスマはどうすれば生まれるのか。そんなことを書いた論文。結論は「インターネット・メディアでめちゃめちゃ発信し続けるか、そこから全く隠れるかのどっちかだ」っていう結論なんだけど。
すごい先見の明!
俺自身は発信しまくる方にベットしたけど、ネットに登場しないことでカリスマ性を高める従来のジャニーズみたいな在り方もさすがだなと思うよ。ま、20年以上前の論文をこの前たまたま読み返したら、今になれば超普通のことが書いてあって逆に俺すごいと思ったけど(笑)。

当時は何のこと?って感じだったんじゃないかなぁ。特に小山宙丸先生は(笑)。でも総長に卒論見てもらえるのはすごいと今でも思う。優しい先生だったなぁ。そういえば中央図書館には、AVルームでタダで映画が観られたから通ってたのもあるんだよね。

AVルームは4階です。移動しましょう。

(声を潜めて)見てよ、ここ! すごくよくない? 学生にしてみれば最高の空間でしょ!
すごい! こんな場所があったなんて、知らなかった!

漫画喫茶より映画の数も多いですしね。ここにはCDも収蔵されています。

カード式の目録があるね。たくさんカードが入ってるなあ。「井上陽水」「小澤征爾」…。
私もこの中に入れるように頑張りたい。
でも土岐さんは、さっきのレコード屋さんにも1枚くらいはCDが置いてありそうだったよ。あの店員さんに俺らの名前を言っといたら、来る人来る人に宣伝してくれる可能性あるよね。サインくらい置いてくればよかったなあ。
後で今日の写真をお店に送りましょう!(笑)

西寺さんが「ノーナ・リーヴス」というバンド名を思いついたのも中央図書館だったんですよね?

最初はバンド名じゃなくて、僕のソロプロジェクト名だったんですよ。バンドを組むために東京に来たのに、全然組めなくて。僕はマイケル・ジャクソンやワム!が好きだけど、地元・京都には同じレベルで話せる友達がいなくて孤独でした。東京に出たら…と思って出てきたけど、東京に出てもやっぱり、自分と同じようなファンは周りにいなかった。今だったらSNSで趣味が同じ友達ができていくけど、当時は当然それもなかったし。だから、どこかズレてましたね。「バンドを組もう」と声を掛けても、断られまくり。
で、卒業間際にバンドを組むのを諦めて、一人でやることに。せめて名前は「Cornelius」や「AIR」(※両者ともソロプロジェクト)みたいにグループっぽくしたいと…。
切ないですね…。
それで「何がいいかな?」とずっと名前を考えていて。で、ふいにマーヴィン・ゲイの娘のノーナのことを思い出したんですよ。「ノーナって名前かわいいな」と思って、英語の辞書で調べたら「ラテン語で“9”のこと」って書いてあった。それで「ほんとかな」と思って、あらためて中央図書館にラテン語の辞書を引きに来たんですよね。
ちなみに「ノーナ・リーヴス」の「リーヴス」のほうは、ダイアナ・ロスの先輩なのに、一気に追い抜かれてしまったマーサ・リーヴスから。
へえ、知らなかったです! 素敵なエピソードですねえ。そして、郷太さんの辞書を読み慣れてる感じが、私とは全然違う!(笑)
「ノーナ・リーヴス」という名前を付けてから、結果バンドになったし、僕の暮らしはなぜか好転しましたね。今思えば、大学時代は不遇の時代だった(笑)。小松シゲルも「あのころの君、不遇だったよなー(笑)」ってたまに思い出して言いますもん(笑)。でもバンドを組むのを諦めて100%自分印で曲を作ったら、その小松が「これはいい!」って加入してくれたんです。それが4年生のときですね。
◇ ◇ ◇
せっかくだから、本キャン(※早稲田キャンパス)に寄って行きませんか? うわ、ほとんどの校舎がビルに建て替わったんですね!
昔とは違うけど、カッコいいよね。古い建物も少しだけ残ってる。懐かしいな。高校3年生のとき、早稲田を目指してた友達と京都から一緒にキャンパスを見に来て「絶対ここだ」と思いましたね。ちなみにノーナは2001年、早稲田祭でライブをやったんですよ。
私も学生時代は早稲田祭のとき、本キャンでライブをしました。あとは新歓のとき、この辺りで勧誘したり、されたり。本キャンは、やっぱり建物がダイナミックじゃないですか。キャンパス感を味わいに、ただ散歩しに来たりもしましたね。たまり場だった第二学生会館(※26号館大隈記念タワーの場所にあった。2002年解体)がすぐそこだったので、「通り道」「散歩道」という感覚でした。
今はなきファミリーマート夏目坂店でバイトをしていた重要人物とは?

大隈庭園に来ました。ここはけっこう広くて、いろんなスポットがあるんですよね。土岐さんがよく行っていた場所はどこですか?

ちょっと小高い丘みたいな、芝生のところです。
あんまりここには来てないな、俺。
私はこの辺りで冬、よく昼寝をしてました。晴れてる日はけっこうあったかくて、案外熟睡できるんですよ?(笑)。こうやって寝っ転がってみると、なんか丸い感じしません? 空が。プラネタリウムっぽい。
そういえばそんな気も(笑)。なんか、落ち着くなー。
そうそうそう。なんか、ここが世界の中心っていう感じが…。
世界の中心が早稲田(笑)。土岐さんは、Cymbalsを何年くらいやってたの?
デビューしてから4、5年ですね。
そうか、もうソロになってからの方が、ずっと長いねんなー。俺はバンドが長く続いてる分、レーベル移籍が一つの区切りになってるかもな。でもデビューから20年だからね。そう思うとやっぱり東京に出てきてからの最初の4年間、早稲田での生活は激動だったなあ。今思い返せば、僕の大学時代には、ギリギリみんな携帯を持ってなかったんですよ。
サークルのたまり場に行かないと本当に誰にも会えなかったから、人に会いたくてサークルに入ってた部分もあるんですよね。でも、ちょうど卒業するかしないかのときに、学生もみんな携帯を持つようになった。早稲田祭もそのころ、何年か連続でなくなって…。そこから何となく、個人個人の世代になったのかなって。俺の世代はまだすっごい昭和なムードの学生生活だったんだろうなって思います。
◇ ◇ ◇
…え、ここにこんなお店あったっけ? ちょっと入ってみていい?

ここは2002年にできた「Uni.Shop & Cafe 125」ですね。早稲田大学が管理するオフィシャルショップで、カフェも併設されています。

あ、ロゴ入りのキャップを売ってる。えんじに白抜きの「W」がかわいい。郷太さん、かぶってみてください!
へえ、これ本当にいいかも。あまりワセダワセダしてない。この「W」だったら自然な感じでかぶれそう。かわいい形ですよ。この辺りでかぶってたら、「早稲田の人だ」と思われるのかな?(笑)
でも似合ってますよ、かわいい。今日の格好にも合ってます!
これいいかもね。買っちゃおうかな。紺とか黒とかもあるけど、どうせやったら、えんじかな。好きな色でもあるしね。UCLAとか、プリンスの出身地に旅した時に買ったミネソタ大学のグッズとか、アメリカのキャンパスものは基本好きなんだけど。早稲田グッズはストレート過ぎる気がして今まで持ってなかった(笑)。でもこれは形かわいいし、買お(笑)。
◇ ◇ ◇
だいぶ歩きましたね~。ブラワセダはダイエットにいいかも(笑)。
着いた、夏目坂! ここにはどうしても来たかったんですよ。昔はこの並びにレコード屋とカフェと本屋、それからファミリーマート夏目坂店があったんです。そこで同じサークルだった小松シゲルが深夜、バイトしていて…。
そうでした! 私も小松さんが好きだったから、ファミマでバイトしてる様子を見に来てましたよ(笑)。
それ言っていい話題なん?(笑) 土岐さん、ノーナの最初のおっかけ的存在だったもんね、というか小松の(笑)。あいつ当時からいろんなバンドにドラム誘われてライブも頻繁にやってて、ほんとに忙しかったんですよ。でもノーナ名義の最初のデモテープが出来た時、どうしても俺は彼にドラムをやってほしかった。

あいつは当時ここ(※写真「王将」の辺り)にあった「ファミマ」で、朝の4時か5時までバイトしてたんです。意を決して朝方バイクでここに来て、やつのバイトが終わるのを待ち、早稲田通り沿いに今もあるマクドナルドの2階に連れてって、ドキドキしながら「BIRD SONG/自由の小鳥」という曲のテープを聴かせたんです。そしたら「こういうのが聴きたかった、これだったらやる」。それから、ギターに奥田健介を入れて頑張ろうって。夏目坂から早稲田通りに至るルートが、まさにノーナの結成につながっているんですよ!

まさに「思い出の地」なんですね。夏目坂もだいぶ変わりました。

ちょうどあの道の向かい辺りはレコード屋でしたからね。思い出すなあ。マイケルが1995年、『History』というアルバムを出したんですね。当時は今みたいにネットで買ったり、フラゲ(※発売に先がけて作品を入手すること)するなんてできなかったから、ここにあったレコード屋に朝から並んで買って、近くのカフェでコーヒーを飲みながら必死に聴いてたら、同じサークルだった現「KIRINJI」の千ヶ崎学に見つかって「焦り過ぎ!」みたいに鼻で笑われました(笑)。

そういえば、西寺さんと土岐さんには「マイケルが好き」という共通点がありますよね。

私は大学生のとき、まず子どものころのマイケルの歌にハマったんですよね。サークルではギターを担当してたけど、家ではまねして歌ったりして。
土岐さんはマイケルのカバーをよくしてるよね。「Human Nature」とか。土岐さんのボーカルは、やっぱ僕、語尾とかのリズムが好きなんですよ。日本人で歌がうまい人は「うまいでしょ」ってやりがちなんですよね。大きい声を出すとか、こぶしを効かせるとか、ためるとか、隙間があればフェイクする(※アドリブを入れること)とか。僕はそういうのが全部嫌いなんです。

代わりに見てるのは、ボーカルがスタートする地点の速度と、終わるところのドラムやベースとの兼ね合いのポイント。そこには、ほんとに小さな隙間しかないんだけど、マイケルはそのリズムで(ボーカルを)入れてくるんですよ、必ず。
私も小さいときから、メロディーよりリズムの方が耳に来るんです。パーカッシブに歌う人、リズム感やスピード感がある人の歌が好き。マイケルには子どものときから、そのスピード感がすごくあるんですよね。子どもって音痴になったりするじゃないですか。マイケルも小さいときはピッチを外したりもしてるんだけど、リズム感だけは全く変わらないし、ビシッとハマってるんですよね。それがカッコいいし、面白いし、すごいなあって。人の歌を聴くとき、そこを見る。郷太さんと似ていますね。
プロはそこができてるかどうか。でも土岐さんは、その中でもずば抜けてる。土岐さんの歌を僕が最初に聴いたときから好きなのはリズム感。歌を志していたわけじゃないのに、なぜか最初から完成してた。歌って、そういうもんなんですよね。100メートル走とかに近いのかなぁ。もちろんトレーニングで上達することもあるけど、能力は最初から差がある。そこにはサックス奏者のお父さんの影響もあるはずですよね。
郷太さんはドラマーだった時期があるし、私も下手っぴなりにギターをやっていた。バンドの中で楽器を担った経験があるからかもしれないですね。ボーカルを聴いて「なんかそうじゃないんだよな~」と思いながら演奏したりして。

いいボーカリストが歌うと、ハモってないのにコード感(※和音のハーモニーに対する感覚)が感じられたりして、声が楽器の一つみたいなんですよね。曲のよさを引き立てようとして歌っている。私もサウンドに溶けるようなイメージで歌うようにしていますね。
“馬場下町の純喫茶で「18歳の自分」を思い出す
いやあ、今日はたくさん歩きましたね。郷太さん、ここ入りましょうよ。カフェGOTO! 私は3年の終わりくらいに、ちょっと大人な雰囲気を味わいたくて通い始めました。就職活動とCymbalsが同時進行で始まった時期だったんですよ。当時はいつも、サークルのたまり場にたむろしてる感じだったんですね。必ず友達や誰かと一緒にいた。だけど、就職活動では自分と向き合わなきゃいけない。誰にも会わず、一人きりになって考えられる場所が、大学の空き教室かGOTOだったんですよね。
僕もこのお店は初めてじゃない気がする。誰かと一緒に来たことあるかも。
いつもバイトの子がかわいいんですよ。以前、私の友達も働いてました。それとここ、ケーキが手作りでおいしいですよ〜。ボリュームもあって、食事みたいでお腹にたまります。私はバナナタルトとチョコレートケーキが好きです。
(ショーケースの方をのぞいて)うまそう! じゃあアイスコーヒーとクランベリーチーズケーキで!
私はアイスコーヒーと新商品のキャラメルバナナタルトにします。私、以前はあまりコーヒーを飲まなかったんですよね。「想像とは違う味だなあ、何がいいんだろう」と思ってて(笑)。でも、GOTOでコーヒーを飲んで、初めておいしいと思ったんですよ。

GOTOは本当にいい店ですよね。就活の話が出ましたが、土岐さんは確か放送作家になりたかったんですよね?

そうなんです。ちょうど3年生のころ、「めちゃイケ」とか「料理の鉄人」のチーフ作家をやっている伊藤正宏さん(※第一文学部出身)の存在を知って、思い切ってサイトからメールを送ったんです。「私は早稲田の後輩の者なんですが、放送作家になるにはどうしたらいいでしょうか」って。そしたら「最近は放送作家の事務所もできつつあるけど、女の子の場合は事務みたいな感じで扱われたりしてなかなか厳しいから、最初は制作会社に入って、テレビ番組のシステムを熟知してから、転向するのが良いと思います」って返してくださったんです。
いい人だねえ。
すごくいい方なんですよ! 結局、アドバイスの通り採用試験を受けてテレビ制作会社の内定をいただいたのですが、同時にCymbalsでメジャーデビューすることが決まり、そのときのやりとりもそこで終わってたんですけど。でもその後、Twitterで伊藤さんを見つけたんです。それでそのときのことを聞いたら「覚えてはないけど、僕はあなたの曲をこのポイントでビブラートをかけるとか、そこまで暗記するくらい聴き込んでます」って言ってくださって。今ではライブにもしょっちゅう来てくださってます。

縁ですねえ、すごくいい話! 卒業してからもGOTOには通われているんですよね。

そうそう。その就活で悶々(もんもん)としていたころから、バンドで歌詞を書くにあたって集中したいときとか、開店と同時に入って端っこの席で考えていました。その後も、何度か雑誌でも紹介させていただいたりとかしていて。ケーキを焼きあげてる時間に来ると、店中すごく良い匂いがするんです…。ケーキ買って帰ろうかなあ、取材だっていうのに(笑)。
確かにここは歌詞や原稿を書くのにも、良さそうだよね。ケーキも本当においしい。

土岐さんが早稲田に進学したのはバンド活動を続けるためだったって本当ですか?

はい。中学からバンドを始めまして。でも女子校だったからか、みんな途中で彼氏ができたり、受験の準備をし始めたりして、「やり切った」という感じではなかったんです。メンバー募集で学外の男の子と知り合ったりもしたけど、活動にはならなかった。そうこうするうち、高2の終わりになって、みんな「受験する」って言うんですよ。

私は「別に受験しなくてもいいや」と思ってたけど、学校が進学率100%の進学校だったから、「大学に行かないっていうのもなあ」という気持ちも一方であったんです。大学を「モラトリアム期間」と捉えるのであれば、バンドをやり切ってないから、それができる環境に行きたいなと思って。リサーチしたら、早稲田が一番音楽活動がやりやすそうだったんです。
賢いなあ! でもそうやって大学に入って、18歳くらいのときに知り合った音楽サークルの仲間が、今もたくさんプロでやっているっていうのはうれしいよね。
あらためて当時を思い出しますね。私が最初に会ったとき、郷太さんはすでに3年生。今とはあまり変わらないかわいらしい格好で「おしゃれな人だな」と思いました。だけど、サークルのラウンジには、歌手のプリンスみたいな格好をした1年生のときの郷太さんの写真が飾ってあって。もう全然違うんですよ、髪が長くて、シャツもはだけてる(笑)。
当時郷太さんはサークル内では「面白い」って扱いになってたけど、私は「すごくかっこいい人だな」と思ってました。好きなものを「好き」と言うのが難しい時代でもあり、年頃でもあった。その中で、自分の好きなものが詰まった格好をしているのが、すごくいいなと思ったんですよね。
あのころは今くくられると「渋谷系」の時代だったけど、それこそネットがないから、僕は全く知らなくて。京都から出てきて革ジャン着て。『グラフィティ・ブリッジ』って映画に出てきたプリンスみたいな格好真似してましたね。バイクもプリンスみたいな「JAZZ」っていう50CCに乗って(笑)。10代のころは体重48キロのガリガリ体型で、そういった意味でもプリンスを意識してたけど、いかんせん全体的にダサかったんですよね(笑)。なんかズレてて。でも下北沢に通ったころから、あれ?皆のカッコおしゃれだなぁなんて思ってるうちにこういう格好に(笑)。
そんなプリンス時代を経て、ノーナが始まって…(笑)。
そうそう…(笑)。あ、実はちょうど2、3日前、ノーナの新しいアルバム『MISSION』ができたんですが、ありがたいことに、心から最高傑作だと思えるんです。プロになって20年でいろいろインタビューとかでも振り返るんですが。もっとさかのぼれば、上京して25年の道のりを考えてみると、小松、奥田、千ヶ崎とか「才能あるな、すげーな」って思うやつとこれだけ長い間、音楽で関わり合えてきたこと、プロになる前に「君はすごい、だから一緒にやろう!」って見抜けて組めたこと。その審美眼こそが、俺の最大の才能だなとあらためて思いましたね。土岐さんもそのころからのつながりだし。
もし仮にみんなそれぞれポツンと東京に一人でいたら、あるいはもし仲間がそんなに力のない集団だったら、誰もプロにはなれていないと思う。だから切磋琢磨(せっさたくま)じゃないけど、大学時代から今もつながっている縁から、いろいろ生まれてる。ゴスペラーズもライムスターも真心ブラザーズもSCOOBIE DOも、って言ってたらキリがないけど。「早稲田に入ってなかったら、どうなってたんやろ」とは何度も思いますね。
ホントそうですね、別の大学行ってたらどうなってたんだろう。…なんか郷太さん、変わらないなあ。アルバムも楽しみです!
ブラワセダMAP

その他、大学構内については「早稲田キャンパスMAP」を参照ください
https://www.waseda.jp/top/access/waseda-campus

プロフィール
西寺郷太(にしでら・ごうた)
1973年東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成したバンド『NONA REEVES』のシンガーであり、多くの楽曲で作詞・作曲も担当している。音楽プロデューサー、作詞・作曲家としては少年隊やSMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉などの多くの作品に携わる。また、ソロ・アーティスト、堂島孝平・藤井隆とのユニット「Smalll Boys」としても並行して活動。そして、日本屈指の音楽研究家としても知られ、特にマイケル・ジャクソンをはじめとする80年代の洋楽に詳しく、これまでに数多くのライナーノーツを手がけ、近年では80年代音楽の伝承者として執筆した書籍の数々がベストセラーに。代表作に小説「噂のメロディー・メイカー」(扶桑社)、「プリンス論」(新潮新書)など。テレビ・ラジオ出演、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在WOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。

土岐麻子(とき・あさこ)
Cymbals の元リードシンガー。2004年の解散後、ソロ始動。数々のCMソング、他作品への歌唱参加、テレビ・ラジオ番組のナビゲーターを務めるなど、“声のスペシャリスト”。2017年1月25日に、約1年半ぶりとなるオリジナル・ニューアルバム「PINK」をリリース。同年7月26日に、ベストアルバム「HIGHLIGHT - The Very Best of Toki Asako -」をリリース。レギュラーラジオ/JFN系「TOKI CHIC RADIO」、TOKYO FM「キュレーターズ ~マイスタイル×ユアスタイル」。2017年12月にワンマンライブツアー開催。

取材・文:松本香織(まつもと・かおり)
フリーライター/編集者/社会人大学院生。「ハフポスト日本版」をはじめ、いくつかのニュースメディア立ち上げに編集者として携わる。ライターとしては、カルチャー系ニュースメディア「CINRA.NET」などで活動中。現在は早稲田大学政治学研究科ジャーナリズムコースの修士1年に在学中。
撮影:Susie(すーじー)
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