Waseda Weekly早稲田ウィークリー

アートが死ぬとき・生きるとき“創造的な問い”が人を動かす 市原えつこ、石橋友也、ドミニク・チェン 鼎談<後編>

アート < アーキテクチャー?今、最も「人を突き動かす」もの

ネットとリアルの境がなくなり、“ポストインターネット時代”といわれる昨今、私たちの住む世界の“当たり前”は大きく変わり、新しい学術領域や表現手段が数多く誕生しています。

早稲田大学でも、そんな時代に対応した、広領域的・学融合的アプローチを実践する文化構想学部が誕生して今年で10年。アート領域で活躍する卒業生も増えつつある中、今回の特集では、「文化庁メディア芸術祭」にも入選した、メディアアーティストの市原えつこさん、広告業界にも身を置きながら、バイオアートを中心にアート活動を行う石橋友也さん、そして2017年4月より文化構想学部で教鞭(きょうべん)を執る情報学博士のドミニク・チェンさんにご登場いただきます。

後編では、アートの社会的役割の変化から見えてくる「別々のものをつなげる術」「これからの時代に必要な“クリエイティブ・クエスチョン”」「アートや広告に求められているもの」などについて。「“アート”とは、未来の可能性を創造する全ての人に必要なこと」そんな示唆を含んだ鼎談になりました。

手前が市原えつこさん。後方左から、ドミニク・チェンさん、石橋友也さん

ーーチェンさんは現在ビッグデータやシンギュラリティ(※発明家レイ・カーツワイルが唱えた、人間と機械が統合された文明によって起こる技術的特異点)を専門領域とされています。アートとデータという一見すると異なる分野についてどのように捉えていらっしゃいますか?

チェン
今の時代、アートとデータの間にある矛盾に直面しているというところに、一番面白さを感じますね。2005年ころGoogleやSNSの勢いがすごく増していた時期に、僕は東大の博士課程に在籍しながらICC(NTTインターコミュニケーションセンター)で働いていましたが、アートもアカデミアも「すごく狭いな」と感じていました。いわゆるWeb2.0(※従来とは一線を画すサービス、デザイン、ビジネスモデルなどWebの新しい在り方の総称)が騒がれていた時代ですね。その頃はメディアアートでもインターネットアートの作品がありましたが、
「正直、アートセンターの中で展示されている作品より、現実のGoogleの方がすごいじゃん」と思える状態でした。
つまり「人の意識を変える」というアートの役目を、実はもうマス・プロダクトである検索エンジンやソーシャル・ネットワークがやっちゃっていた、ということ。それは、「クリエイティブ・コモンズ(以下、CC)」を提唱したローレンス・レッシグ(憲法学者)が「アーキテクチャー」と呼ぶ力が、急速に影響を増し始めている時期でした。「法律」「経済」「文化」というもの以外にも「技術的な構造」、すなわち「アーキテクチャー」こそが人々を突き動かす、という考え方です。

これからの時代、どんどんITの力が強くなり、そこに触れていかない限り本質的に人々にリーチすることはできないのだろうと当時の僕は思い、先ほどお話した会社を立ち上げました。

でも結局、先ほど市原さんが話したようなジレンマを体験しましたよ。「こんなの作っちゃったら面白いんじゃない!」というぐらいのノリでサービスを作り始め、わーっとユーザーがつく。そしていよいよ運用となった途端「じゃあ収益を…」と「いかに数字を上げていくか」へのマインドシフトが起こる。人々の生の表情を見ながらではなく、マスとして捉えながら作るというモードですね。
市原
人々の動きが、“データ”になってしまう。
チェン
そう、データとして見てしまう。そういうとき、やっぱり原点の衝動や欲動といったところへ寄り戻しをかけないと、つまらなくなるばかりなんじゃないかな。最近だとスペキュラティヴ・デザイン(※未来のシナリオをデザインし、違った視点を提示するデザイン≒デザイン・フィクション)の文脈から、いろんなアーティストが出てきていますね。数々のバイオアーティストもその中に含まれていますが、“問題を解決する”のでなく“問題を提起するデザイン”という彼らの考え方が、情報過多な社会では一層重要になるのではないかと僕は思っています。

彼らは問題に対する取り組み方の配列を、どんどん拡張していくようなイメージで活動をしている。結果的にそれって、アートが持つ効能を社会に及ぼしているんじゃないかな、と思います。SNSやYouTubeなどと構造的にかみ合うことで多くの人に届き、いろんな反応を引き起こしている現状そのものが、すごくクリエイティブで面白い。アートのど真ん中の文脈からは少し外れ、デザイン分野の話ではあるけれど、これって本来の意味でのアートの力というものを、ちょっと思い出させてくれるものだと感じます。

狭くタコつぼ化した「アーティストもキュレーターもみんな知り合い」という世界でなく、顔の見えない、知らない人たちにアート的な本質的な表現を届けることこそが今、求められている。それはもしかしたら、会社で作るプロダクトだったり、一人のアーティストの作品を通して実現ができることなのかもしれない。つまりそれらは分けるものじゃなく、いかに統合していくか、という話なんですよね。
市原
チェンさんは、その統合のバランス感がすごく絶妙ですよね。プラットフォームとアートの融合というか。
チェン
そうですね、統合というか、中間層がぽっかり空いてる領域があると、とにかく埋めたくなるんですよね(笑)。CCでも「著作権保護しないとは何事だー!」という一派もいれば「著作権なんてなくしてしまえ!」という人たちもいる。でもこういう極端な言説って、どちらもリアルじゃない、と思うんですよ。リアリティというものはもっとこう、ぐちゃぐちゃどろどろしている真ん中の領域のはず。そのどろどろしたままの状態をみんなで共有するということを、どう可能にするか。それこそが面白くないですか?

ーーある種、先ほどの市原さんのお話にあった「炎上」も、ど真ん中のリアリティがある部分、といえるかもしれませんね。

市原
そうですね。倫理的に「まだどうすればいいか分からない」というホットな部分にメスを入れないと意味がない、と個人的には思いながらやっていますし、そのためのリスクをとりやすくするために会社を辞めたので。
チェン
失うものはない、と(笑)。

ーー逆に石橋さんは、企業に入られてアーティストとして活動もされていますね。市原さんと同様のジレンマや、あるいは可能性が増えた部分もありますか?

石橋
僕の場合は博報堂という会社の特殊性も関係しているかもしれません。博報堂は、70年間近くも『広告』というエッジィな雑誌を出し続けたりしている、変わった広告会社です。先ほどちょっとお話しした博報堂×アルスエレクトロニカのプロジェクトも、まさに社会とアートのせめぎ合いの部分で何かを生み出せないかという活動。そういった実験的な姿勢に惹かれて入社しました。
チェン
やっぱりバイオアートの作品制作をしていた、ということが一つの履歴書となって、それを面白いと言ってくれる人が博報堂にいた、ということですよね? それは博報堂という企業の面白さですよね。普通、広告会社でバイオアーティストを採用はしないですから(笑)。
市原
ああ、うらやましい採用経緯ですね…理想的だ。石橋さん、アーティストだって分かってて採用されたんですね!
石橋
そうですね。採用試験の時にもアート活動の話は仕事に繋げる形でたくさんアピールしました。今、広告業界もみんな困っていて、いろんな可能性を模索している状況。僕はそこに投じられた一つの実験だと思いますし、そういう部分を面白がって買ってくれる会社って、すごくいいなと思っています。
これからのアートや広告の価値は個々人への“良き問い”の設定

ーーアート的な部分とマーケティング的な部分の中間を探る面白さについて、もう少しお聞かせいただけますか?

市原
アーティスト自身も「作品をどう広めるのか」「どう問題提起するか」など、マーケティングができた方が良いと思っています。そういう意味で、プロの現場でもまれながらそれを学べる石橋さんの環境はうらやましさもありますね。
石橋
現代のアーティストって「アーティスト/研究者/デザイナー」という三つの肩書を並列するような人たちも多く出てきている。先程お話のあったスペキュラティブ・デザインなんかは、リサーチに基づいてコンセプトを立て、それをストーリーテリングなり、写真なり、映像なりで仕上げて行く。こういったアートによる論争喚起の手法は、伝統的に広告がやってきていた手法でもあります。その辺り、アートとして新しく現れた領域と、広告が可能性を探索している領域って、実は近いかもしれないと思っています。
市原
確かに。言われてみれば手法的に親和性が高いですね!
チェン
僕自身、「シンクル」という共感をベースにした匿名コミュニティの開発と運用をしていることもあって、「共感の新しい形を知りたい」と企業の方から質問されることが最近増えてきています。既存の広告やマーケティングがちょっと飽和状態にある今、企業以外でも政府や行政の現場でもみんなが危機感を抱いている。その合意形成をうまくやらないと国のレベルでも機能不全が起こってしまいます。

チェンさんによるSNSアプリ。自分が偏愛するモノゴトを自由に投稿し、
つながった人と匿名でトークできる。
AppStore 2016年ベストアプリに選出された。
http://www.fringe81.com/product/syncle.html

市原
広告業界や行政もどこかタコつぼ化していて、融和させるための触媒としてアートが役割を求められることも多いですね。
石橋
これまで行政やビジネスには、ソリューションが求められてきた。けれどこれだけ多様化した社会では、大きな組織が一つの答えをバンと出すのは難しい。それよりも今生きている僕達一人一人が、自分の中で答えを持つことが大事だと思います。なので大きい組織は、個々人の中でそれぞれの答えを誘発するような「クリエイティブ・クエスチョン」を提供する必要があるのではないかと。時代における、大きな“問いの設定”が必要になってきている。それが、社会がアートに求める重要な力となってきているのではないかと思います。
市原
昔のように「テレビCMを流して共同幻想を植え付ける」という時代じゃないですものね。どう生きたいかという価値観も、個体差がある。
石橋
そうですね。昨年、女優の樹木希林さんが登場し「死ぬときぐらい好きにさせてよ」というコピーが添えられたジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』を模した宝島社の企業広告が話題になりましたが、ああいった時代に即した大きな問いを提供することが重要な気がしています。

宝島社 2016年企業広告「死ぬ時ぐらい好きにさせてよ」。
JAGDA賞、ADC賞、TCC賞、グッドデザイン・ベスト100など数多くの広告賞を受賞した。
http://tkj.jp/company/ad/2016/

市原
そんな問いが求められる時代、個々のアーティストの作品と、広告代理店のアウトプットとのせめぎ合いが生まれてくるのは当然ですが。結果、どちらが強いんでしょうね? 話をしていて、アーティストである自分としては、自分の強度をさらにとがらせないといけないな、とつくづく思いました。
チェン
マーケティングに回収されてしまっては、アーティストとしては「死」ですからね。

ーーこれまで、アーティストとして「多くの人へ届けたいけれど届かなかった」という閉塞(へいそく)感を抱いたことやジレンマはありましたか?

市原
私の場合、作品の発表の仕方としてマスメディアで作品を出していくことが多く、ホワイトキューブ(※装飾を極力排した白い立方体の部屋。1929年ニューヨーク近代美術館が導入し、アートの展示空間のスタンダードとされる)に作品を展示するスタイルではないため、「届かなかった」というジレンマや閉塞感は今のところ、あまり感じないです。もともと美術業界に閉じこもるのが嫌だったので、総合大学で揉まれたくてあえて美大ではなく早稲田へ入ったことも大きいかもしれない。
石橋
僕のやっている「バイオアート」と呼ばれるような領域は、例えば「金魚がフナに戻る」という実験的な驚きもあるので、アートの文脈を抜きにしても届きやすくはありますね。時代の問題意識と寄り添うことで、アートに関心のない人にも興味を持ってもらえる可能性は高いと思います。

第18回文化庁メディア芸術祭アート部門の
審査委員会推薦作品(2014年)にも選出された、
石橋さんのバイオアート作品「金魚解放運動」

逆に、ギャラリーで展示を企画することもありますが、その場合はそもそもがもう少し“アート・ワールド”に向けて発信したものなので、広く一般へ、という意味では届きにくくなりますね。…ただ、この議論が難しいのは、「届きやすければ良い」「届きにくければ良くない」というわけでもない、ということでしょうか。自分が表現する際の目的に応じて、届けたい範囲も変わると思います。
市原
届いてほしくない人にまで届いたり、はたまた届き方が雑だったり、ということもありそうですね。私の場合、100人くらい受け取ってくれる人がいるとしたら5人くらいは刺さってくれればいいかな、という印象です。割合的にはそれくらいが妥当だろう、とも思います。つまり、誰もに好かれることはできない、と。そこはもう諦めているので、100人いればすごく怒ってくる人もいるでしょうし、逆にすごく良いと言ってくれる人もいる。むしろ、みんなが好きって言ってたら、気持ち悪い(笑)。
チェン
一般通念として「届きやすいことは良いことだ」とされているかもしれないけれど、そんなことって全然ないと思います。多くの人に届きやすく、みんなが簡単に食べられるファストフードを作れたなら、事業としては成功といえる。でも、その味は本当に自分の届けたいものなのかどうか?

つまり今って「多くの人に届きやすい、飲み込みやすい、分かりやすいって一体何の意味があるのか?」ということをみんなが考え始めている時代で、それが現代の面白さなんだと思います。まさに今アーティストと呼ばれる人たちの社会的な役割って、その悩みを考え抜くことだと思うんですよね。だから、多くの人がうっすら気付いてきているということに対しての考え方として、アートがより普遍的な価値を持つものとして、再認識されるべき時が来てるのではないかな。

例えば、あるベストセラーの本が100万冊売れたとする。でも一方でそれを読破した人がどれだけいるのか。仮にその半分の50万人がその本を読んだことで、何か新しい行動へと触発されていたら、素晴らしいことだと思うんです。でもそんなことはなかなかないような気もする。一方で1000人しか読んでいないけれど、そのうち900人が何か思い立って行動するようなテキストがあったとする。その二つを、何らかの指標をもって計測し比較することは、本当はできるはずです。けれどもまだまだ、今のテクノロジーではそこまで追いかけるのに限界があると思います。
市原
まさにインターネットの弊害でもありますが、PV(※ページビュー。Webページのアクセス数の指標の一つ)なんて、「どれだけ見たか」しか測れないですもんね。
来たる、“経験こそが価値”の時代「バズ記事」に惑わされるな
チェン
WebはまさにPV至上主義に陥ってゆがみが生まれてしまっている。あるテキストの、どの部分でみんな感動しているのかというようなことは、実はまだよく分かっていない。だからある一点だけを見て、すごい・すごくないという話をするのではなく、もっと長い時間軸で考えたらいい。その意味で一つ、もっと評価されるべきと思うのは、あるアクションが他人のアクションや表現につながっているかどうかという点です。

社会をネットワーク構造として見れば、その中で自分は一つの結節点であり、また別の結節点につながっているかもしれない、ということに気付けます。また、そういうリアリティを認識することが、テクノロジーによっても可能になってきている。そういうことが見えると、先ほどの右も左がつながっていることが、分かるようになる。それが大事なんじゃないかな、と思います。
市原
薄ーく分かりやすーくして、センセーショナルに届けることが、いかに空虚なことかだんだんみんな分かってきてますよね。バズ疲れといいますか。
石橋
そうですね。バズとはいったい何なのかについては広告代理店の中でもよく話題に登ります。ちなみに先ほどの市原さんの100人に5人が分かってくれればいい、という話に関連して言うと、僕は表現を通して誰かに“生産的なトラウマ”を与えたい、と思っています。
市原
そうですよね! トラウマを与えたい。ずっとその人の一生に残ってしまうようなものを作れたらもう、御の字ですよね。私たちもそういう体験があって、こういう道に進んだわけなので。

ーーちなみに、これから一緒にものづくりをしたい方や、会いたい人はいらっしゃいますか?

チェン
お二人を代弁するつもりはないのだけど…。個人で自分の名前を背負って、突き詰めて活動していると、会いたい人ってどんどん会えるようになりませんか?
市原
そうなんですよね。自分でものを作って発表していくと、会いたい人が魔法のように寄ってきてくれます。大企業の名前で言っても会えないような人であっても。
石橋
確かに。でも僕は逆に、だからこそ親戚や地元の知り合いに、例えば「自分の子どもを遺伝子改変するようなことについてどう思うか」など、会って話を聞いてみたい、なんて思ったりもします。同じ業界の方や専門家に話を聞くことは、できるようになったので。

ーーありがとうございます。では最後に、早稲田の後輩の皆さんへメッセージを。また皆さんの今後について、お伺いできればうれしいです。

石橋
自戒の念も込めて言うと、学生の皆さんにはレポートや卒論を頑張って、ぜひ学生のうちに、自分の意見を組み立てる術を得ておいていただきたいです。あとは本の読み方と図書館の活用の仕方。一番学費を取り戻せるところはそこだとも思うので(笑)。
市原
アーティストらしからぬ、まともなメッセージですね(笑)。でもそのあたり、本当に大切ですよね。教育学部の神尾達之先生(教育・総合科学学術院教授)が「学費をドブに捨てないための小さなヒント集」( https://sites.google.com/site/kamiowaseda/gakuhi-wo-dobuni-sute-nai-tame-no-chiisana-hinto-shuu)というノウハウを公開されていたり、アカデミックな学習の基礎を演習をとっている学生にも、すごくたたき込んでくれました。私も卒業後に早稲田の授業で話す機会がありましたが、優秀な方ほど保守的になってしまうのがもったいないなと思っているので、ぜひみんな好きなようにやっていただきたいです。

今後の話でいうと、長期的には日本の文化や信仰についてはもう、自分が死ぬまで関わっていきたいと思っています。ナマハゲは北だったので、次は南のお祭りで何かできればうれしいです。今は沖縄県宮古島で行われている泥を塗るお祭り「パーントゥ」にとても興味がありますね。また「デジタル・シャーマン・プロジェクト」は何らかの形でサービス化を検討中です。

市原さんが「イノラボ(http://innolab.jp/)」と共に行う、
日本のお祭りをリデザインするプロジェクト。

石橋
僕の場合、会社の仕事では「アートシンキング」の視点、未来の視点から課題を捉える視点を活かして、企業・社会・地域の中で実際に事例を生み出していきたいです。アート活動としては、生物と表現の共進化のようなことに興味があります。また、仕事の関係で女子高生カルチャーにも興味があるのですが(笑)、それと関連して、最近金魚がフナに戻らなくなることがあって、交配でフナに戻す限界を感じたりするので、そこを女子高生が使う自撮り加工アプリで画像加工してフナに戻すシリーズなんかできないかと、思ったりしています。
市原
それ、かなりすごいですね(笑)。
チェン
市原さんと石橋さんは、活動が良いグラデーションになってますよね。就職してからもやりたいことをやっているタイプ、そしてさらに突き詰めたくて会社を辞めるタイプ、という。学生の皆さんは、働き方や表現の仕方などについて、本当にステレオタイプに惑わされずに進んでいただきたいです。自分の場合、一度も就職したことはなくて、もちろん苦しいことも経験してきました。自分の会社の社員には給料を払うけれど自分の給料はなしにする、とか(苦笑)。
でもこの経験値って、絶対にいくらお金を払っても得られないものだし、どこかで教えてもらえるものでもない。“単なる情報”はこの先さらにコモディティ化(※均一化)していきますが、感覚値、身体感覚、経験値っていうのは交換が可能ではないからこそ、その価値は今後どんどん高まっていく。それを大学生のうちに、うまく見つけてほしいな、って思います。

「でもそれって、どうやったら見つけられますか?」って、学生たちに聞かれることがありますが、大事なのは「誰にも頼まれていないのに、好きでやり続けられて徹夜してでもできること」だと。それが見つかったら、本当に一生楽しくなるはずです。僕が好きな60代とか70代の先生たちって、そういった感覚を若いうちにつかんで、ずっとそれをやっている方々です。だから実年齢よりずっと若い印象の人たちですね。それはいつからでも得られる感覚ではあるはずだけど、若いうちの方が、より感覚が研ぎ澄まされているし、失敗しても早く立ち直る体力がある。だからこそ失敗をもっと価値付けたいですね。
市原
野生の感覚、のようなものですね。そういうものって意外と、自分では「興味があるけど他愛(たわい)もなくて何にもならないな」って思っているものだったりするんですよね。私の場合は、それが“日本の性文化”でした。もともとは私も、美大に行かないとアーティストになれない、という自分自身のバイアスに苦しめられてきたんですが、大事なのはどんどん解き放っていくことだと思います。
石橋
アートって、「“n=1の人生から出てきた仮説”を表現という形で実験して検証する」みたいなことだと思っています。でも意外と、その“n=1の仮説”をいざ世に出してみると意外とみんなも「そう感じてたよ!」と言ってくれるみたいな。
チェン
そういう、自分ではくだらないだろうな、他愛もないなって思うようなことを、どんどん外に出していけるような、そういう思考実験のようなものをぶつけ合える環境を作りたい。特に大学には、そういう場所があってほしいですよね。だから僕はこれから早稲田大学でも“安心して失敗できる教室”を作っていこうと思ってます。
プロフィール
市原 えつこ(いちはら・えつこ)
アーティスト、妄想監督。1988年、愛知県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。日本的な文化・習慣・信仰を独自の観点で読み解き、テクノロジーを用いて新しい切り口を示す作品を制作する。アートの文脈を知らない人も広く楽しめる作品性から、国内の新聞・テレビ・Web媒体、海外雑誌など、多様なメディアに取り上げられている。主な作品に、大根がなまめかしくあえぐデバイス「セクハラ・インターフェース」、虚構の美女と触れ合えるシステム「妄想と現実を代替するシステムSRxSI」、家庭用ロボットに死者の痕跡を宿らせ49日間共生できる「デジタルシャーマン・プロジェクト」などがある。 2016年にYahoo! JAPANを退社し独立、現在フリーランス。2014年「妄想と現実を代替するシステムSRxSI」で第18回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門審査委員会推薦作品に選出。2016年 総務省異能vation(独創的な人特別枠)に採択。
市原えつこ サイト
http://etsukoichihara.tumblr.com/
石橋 友也(いしばし・ともや)
アーティスト。1990年、埼玉県生まれ。早稲田大学先進理工学部卒業、同大学院先進理工学研究科修士課程修了。在学中の2011年より早稲田大学生命美学プラットフォーム「metaPhorest」に参加。2014年第18回文化庁メディア芸術祭アート部門にて「金魚解放運動」が審査委員会推薦作品に選出。バックグラウンドである生物学の知見や技術を応用しながら、現代の生命観や自然観をテーマに表現活動を行う。現在は株式会社博報堂に在籍。
FUTURE CATALYSTS
http://future-catalysts.com/
ドミニク チェン(どみにく・ちぇん)
1981年、東京都生まれ。フランス国籍。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)卒業。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。NPO法人コモンスフィア(旧クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)理事。株式会社ディヴィデュアル共同創業者。主な著書に『電脳のレリギオ』(NTT出版、2015年)、『インターネットを生命化する〜プロクロニズムの思想と実践』(青土社、2013年)、『オープン化する創造の時代〜著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論』(カドカワ・ミニッツブック、2013年)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック〜クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』(フィルムアート社、2012年)がある。2017年4月より早稲田大学文学学術院准教授に就任。
株式会社ディヴィデュアル
http://dividual.co
NPO法人コモンスフィア
https://commonsphere.jp/
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