IT革命以前と以降では、私たちの住む世界の“当たり前”は大きく変わり、新しい学術領域や表現手段が数多く誕生しています。早稲田大学でも、これまでの学問領域を越え、広領域的・学融合的アプローチを実践する、文化構想学部が2007年にスタートしてから今年で10年。
今回は、その文化構想学部の記念すべき1期生であったメディア・アーティストの市原えつこさん、また2008年に開設された先端生命医科学センター(TWIns)で大学院時代を過ごしたアーティストの石橋友也さん、そして2017年春より文化構想学部で教鞭(きょうべん)を執ることになる情報学博士のドミニク・チェンさんにご登場いただき、“アート”について特集します。
「メディアアート」「バイオアート」「ビッグデータ」「人工知能(AI)」「シンギュラリティ」「スペキュラティヴ・デザイン」といったキーワードとともに、すでに新しい時代のスタンダードとなった「アート × テクノロジー」から見えてくる、私たちの未来とは? またアートの社会的な意義とは? 前編では「“新しい文脈を生み出す術”としてのアート」を軸に、学生時代からの気付きや違和感を糧とし活動してきたお三方の、現在までの活躍を振り返ります。
ーー今回はアートとテクノロジーについて、お話を伺っていきたいと思います。
- 市原えつこ
(以下、市原) - 早稲田でアート勢がこんなに集まるなんて、珍しいですよね! アート系のイベントではいつも結構アウェイなんで(笑)。
- 石橋友也
(以下、石橋) -
僕も、“野良アート”です(笑)。実は僕(取材を受けている)この場所『先端生命医科学センター(TWIns)』に、3年間いたんですよ。
- ドミニク・チェン
(以下、チェン) -
へえ、ここがホームなんですね!
- 市原
- 私は今日初めて来ました。出身が文化構想学部で、戸山キャンパスの方だったので。
ーーまずは自己紹介も兼ね、皆さんの最近の活動などを教えていただきたいです。
ちなみに、チェンさんは2008年に、市原さんと石橋さんは2014年に、文化庁メディア芸術祭でそれぞれ作品が選出されていらっしゃいますね。
- 石橋
-
僕は、先進理工学部生命医科学科の出身で、もともとはバイオ医療について学び、その後“バイオアート”(バイオメディアアート、バイオロジカルアート)なるものを知ったことで、大学院は同学部の電気・情報生命専攻の岩崎秀雄教授の研究室( http://www.waseda.jp/sem-iwasakilab/index.html )に進みました。活動としてはかなり多岐にわたりすぎた感もありまして、修了時に若干進路が不明になってしまい(笑)、フリーター兼アーティストとして1年過ごした後、現在は博報堂で働きながらアート活動をしています。
岩崎教授の研究室には「metaPhorest」( http://metaphorest.net/ )というバイオアートや生命美学と呼ばれる領域のアーティストインレジデンス制度(※制作・研究をするためのプラットフォーム)があり、僕はそのメンバーでもありました。修士課程では主に「金魚解放運動」という実験生物学を含むアート作品の制作と研究を行いました。金魚を逆品種改良して祖先である鮒(フナ)の形に戻す、という作品です。金魚は鮒から出発して、1700年間にわたって品種改良され、現在は自然環境下では生きていけなくなった生物です。その金魚に逆品種改良を施して、祖先の姿に戻し、彼らの野性を回復しよう、という主旨のアート・プロジェクトです。このプロジェクトでは実際に交配実験を行って鮒の姿へと戻しています。 他にも大学院時代には、「Revital HgS」という映像作品も制作しました。これはSF短編映画に近いのですが、現代科学の視点から見れば、ナンセンスに思える錬金術を、現代の分子生物学の実験室で再現する、という内容で、現代科学にも潜んでいる呪術性をや魔力といったものを描きたいというモチベーションで作りました。 あとは、高校時代から仏画・曼荼羅(まんだら)の制作もしていたのですが、大学院卒業後に謎にお寺で個展の機会を得て、バイオアートと自作の曼荼羅の展示をしたこともありました。 現在、会社に入ってから2年ほどたちまして、最近は博報堂とオーストリアにある世界的なアートとテクノロジーの研究・制作を行う機関「アルスエレクトロニカ」による共同プロジェクトにも関わっています。 これは先端テクノロジーと「アート・シンキング」を活かして、産業や社会にイノベーションを生み出そう、という試みです。アートの持つ“問いを再設定する力”や“創造的な問い掛け”のことを、このプロジェクトでは「クリエイティブ・クエスチョン」と呼んでいます。未来の視点から現在の課題を捉えることが現代社会において重要なのではないか、という仮説の下、クリエイティブ・クエスチョンを産業や社会、地域に活かしていきたいと思っています。 この一環で、アーティスト・起業家・研究者が集まる「PLATZ」というトークイベントやワークショップもやっていて、僕はここで「死を想うテクノロジー ?あなたの描く20年後の弔い方」という、“弔い”の未来について考えるトークイベントを企画し、光明寺というお寺で開催しました。その時まさに市原さんにも登壇いただき、“クリエイティブ・クエスチョン”を作る試みを一緒にしていただきましたよね。
- チェン
- それはメチャクチャ面白そう。僕も参加したかったです!
- 市原
- なかなかシュールな空間でしたよね(笑)。私は早稲田大学の文化構想学部1期生で、誰一人先輩のいないところから始まりました。メディア・アートのキュレーターである草原真知子先生(※文学学術院教授 http://www.f.waseda.jp/kusahara/media/ )のゼミに入ったところ、先生が1年間在外研究へ行かれるタイミングでした。そのとき、システムアーティストの安斎利洋先生( http://renga.com/anzai/ )がいらして、そこで“妄想をこじらせる”ということを教育されました。
- チェン
- おお、安斎さんはクリエイティブ・コモンズの「創造性の連鎖」にもつながるカンブリアン・ワークショップを以前から展開されているのでよく存じ上げてます。市原さんは、安斎チルドレンでもあるんですね!
- 市原
-
ええ、そうなんです。安斎先生に触発され、自分でも作品を作り始めました。でも、その後はわりと堅実な道を歩み、2011年に新卒でYahoo! JAPANへデザイナーとして入社したんです。で、5年間働く中で、課外活動としていろいろやっているうちに作品が世に出る機会も増えてきて、2016年7月に独立し、今はフリーランスのアーティストとして活動しています。
作品制作の際は、企画、ディレクション、UX設計(※ユーザーがサービスを使用する際の体験の設計)などを自分が担当し、実装やプログラミングは別の方にお願いすることが多いです。ちなみに初めて大学生のときに作ったのが「セクハラ・インターフェース」。当時、日本の性文化にとても興味があり、日本独特の性に関するイマジネーションとデジタルテクノロジーを組み合わせたところで何か作れないか、と挑戦してみたものでした。 この作品はもう、自分では全くアートと思っておらず「やりたい!」という情熱だけで作った感じでした(笑)。当時、自分ではアーティストになろうなんて全く思ってなくて、卒業後は堅く生きていこうと就職したものの、その後も作品制作からはなんだかんだで足が洗えず…(笑)。そうこうするうち、脳科学者の藤井直敬先生( http://www.brain.riken.jp/jp/faculty/details/6 )と出会う機会があり、共同プロジェクトを立ち上げました。「SRシステム」という、目の前にあるものが現実か虚構か分からなくなる藤井先生が研究しているシステムと、先ほどの「セクハラ・インターフェース」を組み合わせた、虚構のお姉さんを触覚的にも視覚的にも体験できる、視聴覚+触覚の実験という名の悪巧みです(笑)。 こういったことを続けるうちに、会社での仕事と作品がリンクし始め、ソフトバンク社製のロボット、Pepperのアプリケーション開発に携わる機会を得ました。そのための自主勉強として個人的に開発イベントに参加し、Pepperの胸部タブレットにおっぱいを表示させておき、触ると反応し、後でPepperから通報されてしまう、というアプリをチームで作りました。話題にはなったものの、まあ、これがかなり炎上しまして…(苦笑)。Pepperって、iPhoneのような“単なるデバイス”ではなく「人間は人型のものを見ると、やはり人間と認識する」という気付きがありました。 また、ちょうどその頃に祖母が亡くなり、初めて身内の葬儀を体験したことから「デジタル・シャーマン・プロジェクト」を立ち上げました。亡くなった人の通夜、告別式、火葬、四十九日を経て徐々に気持ちを落ち着かせていく、という日本の葬儀システムはとても人間のメンタリティに合ってよくできていると気付き、「弔い」を家庭用ロボットでアップデートできないか、と始めたものです。 他に最近では「ISID(※電通国際情報サービス)イノラボ」(http://innolab.jp/)と共に、日本のお祭りをリデザインするプロジェクトもやっていて、秋田県男鹿市のナマハゲ行事を東京に“翻訳”する映像を制作しました。 私の場合、一環して「日本の土着的な文化や昔から続く民間風習」といったものに興味があり、それとテクノロジーを掛け合わせて何ができるか、ということをテーマに活動しています。
- チェン
-
お二人とも“弔い”に関係する活動をしているんですね。僕も弔いについて何かやりたいな、という気持ちになります(笑)。ちなみに僕は、大学はUCLA(※カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のデザイン学部にいまして、学生当時は、先ほど市原さんがゼミでお世話になったという草原真知子先生の授業も取っていました。
僕はこれまでインターネット系事業のNPOと会社を運営してきました。一つが13年ほどやっている「クリエイティブ・コモンズ」(以下、CC)。もう一つは大学を休学して作った会社「Dividual」で、ここではソフトウエアを作ったりしています。日本国内のIAMAS(※イアマス。岐阜県大垣市にある、技術と芸術の融合による新しい表現者を育成する大学院大学)でも講義を持ってきましたが、今年の4月から早稲田大学文学学術院の准教授になることになりました。 「CC」とは何かと言うと、そもそも著作権という法律は文化を発展させるためにできてきたものだったけれど、インターネットの時代においては権利を保護する力が強くなりすぎてしまったために、自由な作品の流通やコラボレーションを阻害してしまっているのではないか、という問題意識からスタートしています。そこで、「私有」と「公有」の間の「共有」というグラデーションを作り、もう少し柔らかくしよう、という考え方です。つまり、制作者自身が自分の作品をこういうふうに流通してほしい、使ってほしい、というのを決められるシステムです。 それを始めの頃にICCで採用し、かつ日本国内でその考えややり方を広める機関がなかったので、弁護士の仲間たちとクリエイティブ・コモンズ・ジャパンという団体を作りました。Wikipedia、TEDの動画( https://www.ted.com/talks?language=ja )、MIT(マサチューセッツ工科大学)の教材などが、CCライセンスの付いた作品の代表例です。ちなみにインターネット上では現在、CCライセンスの付いた作品は10億個以上あります。
人の意識を変えたり、著作権そのものの取り扱い方も改造していく、というような運動に自分が関わったことで、社会制度やそれを支えるテクノロジーというのは全てハックできるんだ、つまり既存の仕組みを別の形に作り変えることができるという意識を持ったことは、僕の思想形成の根本となりました。こういった活動を経て、自分でもインターフェース(※人と物の世界の接点、コミュニケーション空間)を作りたいと思い、1年間休学して会社を作りました。
それで最初に作ったのが、「タイプトレース」というサービスです。 これは、ワープロで打たれた原稿が、どのようなプロセスで入力されていったのかを再現する、というものなんですが、昔の文豪の手書きの生原稿を見ると、グッとくるじゃないですか? どうやって書いて、推敲して、最終形ができあがったのかということを追体験できるわけですが、そのデジタル版を作ろうと。誰かの執筆プロセスを追体験することで、意味や内容以上に、その人の思考の気配みたいなものを感じることができるんですよね。 2008年には、作家の舞城王太郎さんが3カ月かけて小説を書いていく過程を見てもらうような展示を、東京都写真美術館で行ったりもしました。自分たちはソフトウエアを作っているけれど、デジタルでも人間の存在感や気配を共有できる、ということが分かるきっかけとなりました。
その後は、少しアートから離れ、一般ユーザー向けにWebサービスやスマホアプリを作るようになりました。アートに関わっているときとは違って、数百万人が日々の生活のなかで触るものを作るようになると、“ユーザーの幸せをどう設計し、どう運用していくか”ということを考えるようになりました。小さな変更一つとっても、喜ぶ人も悲しく思う人も両方いる。このような観点は、会社を作ってサービスを走らせたからわかったこと、ですね。
それから、ITの技術動向に関する翻訳もサイドで行ってきましたが、今年の1月には『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)という一冊を監訳しました。シンギュラリティ(※発明家レイ・カーツワイルが唱えた、人間と機械が統合された文明によって起こる技術的特異点)やビッグデータ解析によって人間の行動が決定されていくと言われている状況に対して、僕としては、もう一度人間の苦しみや喜びといった心の部分を、もう少しサイエンティフィックに捕まえられないか、という部分に強く興味を持っています。この辺は、自分自身の今後の研究活動にも重なるところです。 非常勤で教えてきたIAMASでは、「個人的なペインから発想するワークショップ」というものをやってきました。すでにある社会問題からスタートするのではなく、学生一人一人のごくパーソナルなペイン、つまりつらいことやストレスに感じることをテーマにして未だ見ぬ情報技術を考え、作り出すという内容です。ペインというのものは一般的にはネガティブとされて、“クサいものにフタ”をするようにあまり共有されないけれど、実はそういう「苦しみ」を起点にしてこそ、本質的に意味のあるクリエイティブの源泉が見つかるのではないか、と考えています。そういったことを踏まえ、“問題解決”ではなく“問題提起”をテーマにするスペキュラティヴ・デザイン(※未来のシナリオをデザインし、違った視点を提示するデザイン≒デザイン・フィクション)的な視点も含め、4月から早稲田大学の授業をやっていこうと思っています。
ーーお三方とも、一般社会で封印されているようなことをアートやテクノロジーで捉え方を変えていこう、というところは共通していらっしゃいますね。そういったことに興味を持つ、あるいはこの表現方法でいこう、と決めたきっかけは学生時代にありましたか?
- 石橋
- 僕は高校生のころからサイエンス・フィクションに関心があり「今はバイオテクノロジーが熱いぞ」と聞きつけ、バイオ医療の学科に進みました。学部の講義でテクノロジー的・科学的側面からさまざまな事例を学ぶにつれ、どうも自分はそれぞれの事例の背後にある“ヤバさ”の正体みたいなものに興味があるんだ、とわかってきました。 それはきっと、バイオテクノロジーの持っている倫理性と表裏一体のかっこ良さやはかなさのようなものだと思うのですが。そんな折に「バイオアート」呼ばれる領域を知り、既存の理系の枠組みでは言及できないところに、アートのフォーマットであれば言及できるんだなと気付かされ、その道に進んだんです。
- チェン
- “ヤバさの正体” っていいですね。先ほどの曼荼羅もそことつながっているんですか?
- 石橋
- もしかするとつながっているかもしれません。曼荼羅って、あるものが平面的に配置されて一つの世界観が構成されている。そういった有機的なもののつながりというか、ある種の“生命性”のようなものが、あの平面の構成の中から立ち現れてくる、という意味では、バイオアートの活動とも共通しているかもしれないですね。
- 市原
- 私の場合は、さっきチェンさんもおっしゃったように一般社会だとネガティブとされるような、いわゆる「クサいものにフタをする」という部分にすごく興味がありました。 学生時代、劇作家の宮沢章夫先生(文学学術院教授)による「都市空間論」という演習に参加したときに私は新宿の調査を割り当てられ、歌舞伎町でフィールドワークを行いました。すると、リアルな街の中ではすごくいろいろなものが排除されていることが気になってきて。ゲイバーのお兄さんたちが呼び込みしているんだけれど、警察にバレたらマズいから掃除しているふりをしていたり、とか(笑)。西口側でもホームレスの人たちを排除するためにパブリック・アートがあったりする。
- 石橋
- ああ。いわゆる“排除アート”ですね。
- 市原
- そう。負のものを徹底的に隠蔽(いんぺい)したり排除しよう、という力学みたいなものがすごく気になってしまって、そこに当時すごく憤っていたんですよ。私自身は、汚いもの、みっともないものとして排除されているもののほうに、すごく興味があって。その流れで、性なども注目するようになったんだと思います。
- チェン
- じゃあ、歌舞伎町が市原さんの原点?
- 市原
- そうですね(笑)。もっと拡張すると、人間の毛穴とかムダ毛とか、整形とかもそうですけども、どんどんツルツルの質感にしていくという過剰な清潔願望が、現代の日本では強いような気がしています。別にそれが絶対に嫌だ、と言うつもりもないんですが、「それだけだと逆に不健全なんじゃないだろうか」と。これは自分が上京して以来の違和感かもしれない。広島・愛知など地方を経て、大学へ進学するときに東京へ来たのですが、都市空間の中では異様に行動を統制されている感じが気になって。清潔すぎるし、なんでみんなこんなに人工的な方向に行くのかしら、と。
- チェン
- それは面白いね。ずっと東京に住んでいると、そういう違和感をも内包化して、あまり意識的に考えようとはしなくなっちゃうと思う。
- 市原
- 特に、始めの1〜2年は違和感がすごく強かったんですよね。
- チェン
- それが原動力になっているということなんだ。なんだかある種“外国人”ぽい視点かも。『ここがヘンだよ日本人』みたいな(笑)。
- 市原
- かもしれません(笑)。外国の方が書いた日本文化論なども好きで、学生のころは好んで読んでいました。「異物から見た東京や日本」という目線は、今も大事にしています。
- 石橋
- それが市原さんの「テクノロジー × 呪術」、「テクノロジー × 土着」といったテーマとつながっているんでしょうかね?
- 市原
- そうですね。そういったものが一見するとほとんど消えてしまっている東京でも、人間の本質はそんなにすぐには変わらないと思うから。必要とされている部分は、まだあるのではないかな、と。なので、土着的な文化や風習をテクノロジーと掛け合わせ、現代版にリメイクしてみたり、ということをしています。
ーー市原さんは先ほど「作品制作から、なんだかんだで足が洗えず」とお話しされていましたが、企業に入って感じたジレンマを個人の作品制作で消化する、という部分もあったのでしょうか?
- 市原
-
大きな企業でサービス設計の仕事をしていると確かに「こういうマーケットがあって」「こういうことに不便を感じている人がいて」といった、ユーザーニーズありきといいますか…、他人に憑依(ひょうい)し「彼らはこういうものが必要なのでは?」という仮説で考えるわけです。でも私の場合、とにかく「自分がこうやりたいんじゃー!」という原動力でつくったものの方が、周りからの反応も良かったので。
でも、これはおそらくアプローチの向き・不向きが大きいかもしれません。自分の場合は、誰かのニーズを仮定してにものを作る才能が全くないなって気付いてしまっただけ。なので、デザイン的なアプローチでなく、もうこれはアートとして腹をくくってやっていこうと決意し、会社を辞めました。
会社員時代は、先ほどの炎上の件ではないですけど、自分がやることで会社に迷惑が掛からないか、もう常にひやひやしながらだったので、フリーランスになり何も気にしなくてよくなりましたね。
- 市原 えつこ(いちはら・えつこ)
-
アーティスト、妄想監督。1988年、愛知県生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業。日本的な文化・習慣・信仰を独自の観点で読み解き、テクノロジーを用いて新しい切り口を示す作品を制作する。アートの文脈を知らない人も広く楽しめる作品性から、国内の新聞・テレビ・Web媒体、海外雑誌など、多様なメディアに取り上げられている。主な作品に、大根がなまめかしくあえぐデバイス「セクハラ・インターフェース」、虚構の美女と触れ合えるシステム「妄想と現実を代替するシステムSRxSI」、家庭用ロボットに死者の痕跡を宿らせ49日間共生できる「デジタルシャーマン・プロジェクト」などがある。 2016年にYahoo! JAPANを退社し独立、現在フリーランス。2014年「妄想と現実を代替するシステムSRxSI」で第18回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門審査委員会推薦作品に選出。2016年 総務省異能vation(独創的な人特別枠)に採択。
市原えつこ サイト
http://etsukoichihara.tumblr.com/
- 石橋 友也(いしばし・ともや)
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アーティスト。1990年、埼玉県生まれ。早稲田大学先進理工学部卒業、同大学院先進理工学研究科修士課程修了。在学中の2011年より早稲田大学生命美学プラットフォーム「metaPhorest」に参加。2014年第18回文化庁メディア芸術祭アート部門にて「金魚解放運動」が審査委員会推薦作品に選出。バックグラウンドである生物学の知見や技術を応用しながら、現代の生命観や自然観をテーマに表現活動を行う。現在は株式会社博報堂に在籍。
FUTURE CATALYSTS
http://future-catalysts.com/
- ドミニク チェン(どみにく・ちぇん)
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1981年、東京都生まれ。フランス国籍。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)卒業。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(学際情報学)。NPO法人コモンスフィア(旧クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)理事。株式会社ディヴィデュアル共同創業者。主な著書に『電脳のレリギオ』(NTT出版、2015年)、『インターネットを生命化する?プロクロニズムの思想と実践』(青土社、2013年)、『オープン化する創造の時代?著作権を拡張するクリエイティブ・コモンズの方法論』(カドカワ・ミニッツブック、2013年)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック?クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』(フィルムアート社、2012年)がある。2017年4月より早稲田大学文学学術院准教授に就任。
NPO法人コモンスフィア
https://commonsphere.jp/