2026年9月21日、早稲田大学の第18代総長に本間敬之教授(理工学術院)が就任しました。新たに早稲田大学を率いる本間総長は、どのような方なのでしょうか。今回は、『早稲田ウィークリー』早大生読者モニターから寄せられた「どんな学生時代を過ごしていた?」「普段はどのような生活をしているの?」といった質問を通して、本間総長の学生時代からの変わらない価値観や素顔、そしてこれからの早稲田大学への思いを伺いました。
▼変わらぬ価値観は「実際に見ること」と「チームの連帯感」
▼総長の「ガクチカ」と人生最大のピンチ
▼見据えるのは「結集の力」と「世界での貢献」
変わらぬ価値観は「実際に見ること」と「チームの連帯感」
――総長就任でお忙しい日々ではないでしょうか。そんな中で、気分転換やリフレッシュはどうされていますか?
週末はよく走っています。30年ほど前にスタンフォード大学客員准教授を務めていた際、自転車通勤がちょうどいい運動習慣になっていましたが、日本に戻ってからは運動不足に。そこで、週末に散歩がてらに1時間半くらいかけて約12〜14キロ走るようになり、今も無理のない範囲で続けています。普段、室内にいることが多いので、外の空気を吸って季節の変化を感じることが良いリフレッシュになります。おかげさまでめったに風邪も引かず、懸案事項があっても走っていると気持ちが沈んでいてもだんだん晴れますね。
身体を動かすことは昔から好きで、小さい頃は剣道少年。中学・高校も剣道部でした。剣道は個人競技ですが、団体戦もあって、そこでチームとしての連帯感の大切さも学びました。

2026年9月入学式の本間総長
――そんな剣道に打ち込んだ本間総長が早稲田大学を志望されたきっかけ、理工学部応用化学科を選んだ理由を教えてください。
実は、父親が旧制早稲田中学校から早稲田大学高等学院、そして政治経済学部卒業と根っからの早稲田人でした。物心ついた時から「ワセダワセダ」と言われて育ったので、早稲田に進むことは何の疑いもありませんでしたね。
その上で何を学ぶか。私は実際にモノを見て、触って確かめたい人間なので、実験を重ねて物事を確かめていく化学の世界が合っているなと。本当に原子があるのなら、自分の目で見てみたいという好奇心が根本にはありました。
研究者の道に進んだのは、技術的進歩の影響も大きかったですね。ちょうど私が博士課程に進学した頃、「走査型トンネル顕微鏡」という新しい顕微鏡が誕生し普及し始めて、従来の電子顕微鏡では見えなかった、液体中の原子や分子を見られるようになったんです。それがいち早く早稲田にも導入されたことで、研究がより楽しくなりました。
また、チームで研究する魅力を知ったことも、研究者を続けられた理由の一つです。例えば数学などの理論系の分野では、自分のアイデアを基に一人で研究を深めていくこともできますが、実験系の研究は一人では絶対に完結しません。実験でも剣道の団体戦のようなチームワークが大切で、指導した後輩が成長していく姿を見るのもまた楽しくて、どんどんハマっていった形です。
勉強に夢中になった後は、当時の理工生協食堂の名物だった寿司コーナーやトンカツコーナー、またキャンパス内にあったレストランにクレープセットを食べに行ってリフレッシュしていました。
総長の「ガクチカ」と人生最大のピンチ
――本間総長が学生時代に力を入れたことは何でしょうか?
サークル活動ですね。アルバイトをする時間もないほど、早稲田大学理工英語会(公認サークル。以下、WRESS)で英語演劇に没頭していました。最初は役者もしましたが、そのうち裏方が面白くなって舞台監督に。インカムをつけて、照明チームや音響チームと必死にやり取りして生の舞台を作り上げていく。みんながチームになって一つにまとまる、というのがやっぱり好きみたいです。
熱中したのもWRESSですし、学生時代に一番肝を冷やした経験もWRESSでした。年に一度、複数の大学で集まって合同公演を開催するんです。プロダクションと呼ばれるそれぞれ数十人からなるチームが2時間ほどの劇のために半年近くかけて準備する一大イベントで、3年生の時、私はその公演全体の舞台監督を任されました。
本番は1985年12月1日。その2日前の11月29日、本番会場の公会堂にトラックで舞台装飾を搬入し、分刻みのスケジュールで各プロダクションが入れ替わりでリハーサルをする大事な日の未明に、首都圏の日本国有鉄道(現JR)が運行停止する「国電同時多発ゲリラ事件」が起きたんです。電車が止まっていますから車も大渋滞。私自身、当時住んでいた中野から会場までどうやって行けばいいか分からない。これはもう終わった…と一度は思いました。
――当時はスマホもなかったですからね。
でも、半年かけて何百人も関わっているわけですから、「終わらせちゃいけない。諦めちゃいけない」と無我夢中。かろうじて動いている地下鉄を乗り継ぎ、バスを乗り継ぎ、結構な距離を歩いて、どうにかこうにか会場に到着。練りに練って作ったタイムテーブルはめちゃめちゃになってしまいましたが、そこからなんとかリカバリーできました。あれが今でも人生最大のピンチです。おかげで、ちょっとやそっとでは動じなくなりましたね。
見据えるのは「結集の力」と「世界での貢献」
――田中愛治前総長(名誉教授)は、「世界で輝くWASEDA」というスローガンを掲げていました。本間総長はどんな言葉を掲げますか?
前提として、私自身が田中先生の理事会の一員として、さまざまな取り組みをしてきました。また、田中先生の前の総長である鎌田薫先生(名誉教授)が掲げ、田中先生も引き継いだ2032年の創立150周年に向けた中長期計画「Waseda Vision 150」はしっかり継承していきたいと思っています。
その上で、私は「世界に貢献するWASEDA」を掲げます。何のために輝くか、と考えていくと、世界のさまざまな分野で頼りにされ、貢献するため。「輝くWASEDA」の次は、どう貢献していくか、という点を明示していきたいと考えています。
もう一つは、「結集の力で挑戦する」です。早稲田が持つさまざまな力を結集したい。今、世の中の課題は非常に複雑で、一つ二つの専門領域だけでは太刀打ちできないことばかり。力を合わせて立ち向かうことが絶対に必要です。
これまでも私は教務担当理事として、各学部・研究科の先生方とやり取りをしてきましたが、皆さん本当にすごい! そして、多くの皆さんが「もっと横連携したい」「他分野の先生と一緒に研究したい」とおっしゃっています。その意向をわれわれ大学本部がしっかりつないで、早稲田の力を結集させたいと思っています。

――まさに英語演劇で学んだチーム力ですね。では、個々の学生に期待したいことは?
私の研究室に入ってくる学生を見ても皆さん優秀で、良い意味でスマートですよね。さまざまなことをソツなくこなせる。その反面、「失敗するぐらいならやらない方がいい」といった感じで、新しいことに挑戦するのをためらう人が少し増えている気がします。
でも、失敗できるのが学生時代なんです。失敗したら何が悪かったのかを振り返って、また先に進めばいい。もっと積極的にチャレンジしてほしいと思っています。そこで、力を入れていきたいのが「アントレプレナーシップ(起業家精神)教育」です。もちろん、全員が起業する必要はありませんが、自分のアイデアを形にし、その価値を他者に伝え、共有してくれる仲間を集める。そうした経験は、どんな進路に進んでも役立つはずです。
また、情報が簡単に手に入る時代だからこそ、物事を幅広い視野で捉えられるようになってほしい。昔に比べるとインターネット、SNS、AIと道具は充実しているので、ピンポイントにパッと情報を取得できますが、結局そのピンポイントの情報はただの“点”に過ぎません。大事なのは点をただ集めるのではなく、点をつないで“線”にして、“面”にして、“立体”にしていくこと。いかにつなげていくかが重要です。そのためにも、自分に興味のある情報ばかりをピックアップするのではなく、世の中全体で今、何が起こっているかにもぜひしっかりと目を向けてほしいです。
――早稲田大学は、2032年に創立150周年を迎えます。本間総長はこの節目をどう見据えていますか?
150周年は、さらにその先の200周年へ向かうための大きなマイルストーンです。そこに向かってさまざまな体制を整備することが私自身の使命ですが、学生の皆さんには「今までの早稲田がどうだったか」だけでなく、「これからの早稲田は自分たちがつくっていくんだ」という気概を持ってほしいですね。
早稲田で過ごす時間は、長い人生でほんの一瞬かもしれません。でも、卒業して何十年経ってからでも、心の中で戻ってこられる場所になり得ます。そのためにも、仲間と語り合い、挑戦し、時には失敗する。その一つ一つの経験を大事にしてください。
本間 敬之(ほんま・たかゆき)
東京都生まれ。早稲田大学理工学部応用化学科卒業、同大学院博士後期課程修了、博士(工学)。同大学理工学部助手、専任講師、助教授を経て、2005年より同教授(2007年より理工学術院先進理工学部教授)。2010年より教務部副部長、同部長、理事(教務担当)、常任理事(教学総括・副プロボスト)を歴任。国際電気化学会副会長、米国電気化学会・学会誌テクニカルエディター、文部科学省・中央教育審議会はじめ省庁等審議会委員、評価委員などを多数務める。
取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒)
撮影:布川 航太
【次回Special Issue予告】11月9日(月)公開「恋も、進路も、どうしよう? 教えて! 佐伯ポインティ先輩」










