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キャリアコンパス

人気漫画家から54歳で大学生に。そして大学教授に。 『ゲームセンターあらし』作者 すがやみつる

「大学の学びで役に立たないものはない」

漫画家・京都精華大学教授 すがやみつる

170224_099「インベーダーゲーム」が社会現象を巻き起こした1979年、小・中学生に爆発的な人気を誇ったのが『月刊コロコロコミック』で連載された漫画『ゲームセンターあらし』だ。その作者である漫画家すがやみつるさんは、54歳で早稲田大学人間科学部通信教育課程(以下、eスクール)に入学。その後、同大学院人間科学研究科修士課程も修了し、現在は京都精華大学の専任教授として学生指導にあたっている。漫画家・作家として活躍しながら大学で学ぼうと思った理由、そして「大学で学ぶことの意義」とは何だろうか。

「やる気」で漫画家になり、「熱気」で人気作家に

61obyp3fmBL中学生の頃から『仮面ライダー』や『サイボーグ009』の作者である漫画家・石森章太郎さんに憧れていたというすがやさん。高校卒業後、何人かの漫画家のアシスタントを経て、憧れだった石森プロに所属。そして1971年、21歳のときに石森章太郎原作『仮面ライダー』のコミカライズで漫画家デビューを果たした。

「当時、石森先生は週刊誌連載が6本あり、月に600ページを描く多忙ぶり。これ以上は描くことができない状況で『仮面ライダー』の連載が決まり、ならば事務所の若手に描いてもらおう、と事務所内でオーディションをすることに。皆が2、3枚のスケッチを提出する中、私だけスケッチブック1冊分描いて持っていったんです。『お前は下手だけれどやる気はある』とOKを頂き、デビューすることができました」

『仮面ライダー』シリーズで漫画家としての実績を積んだ後、1978年に「コロコロコミック」に描いた読み切り作品が『ゲームセンターあらし』だった。

「当時の編集者はほとんどが文系人間。趣味でアマチュア無線やマイコン(マイクロコンピューター)をいじっていた私は、よく『宇宙人』と呼ばれていました(笑)。でも、そのおかげで、ゲームをテーマにした作品を載せることが編集会議で決まったとき、満場一致で『すがやしかいない』とご指名をいただいたんです。雑誌掲載までほとんど時間がなく、編集者と2人、1万円分の硬貨を持って新宿・歌舞伎町のゲームセンターに行き、『今日はこれを使い切るまでは帰ってはいけない』と、一日中ゲームをしながらアイデアを練りましたね」

当初、1回だけの読み切り企画だったという『ゲームセンターあらし』は、時代とリンクし、熱狂的な人気を博すことになる。

「『あらし』を描いてしばらくして、全国各地のゲームセンターや喫茶店が『スペースインベーダー』をプレーする人であふれかえるインベーダーブームが起こりました。そこで、スペースインベーダーを題材にした新たな読み切り漫画を『ウルトラマン』の特別増刊号に載せたところ、ウルトラマンの雑誌にもかかわらず、アンケートで8割の得票を得てしまったんです。それですぐに連載が決まり、1年間でコミックスが発行部数100万部、総計500万部に達する、私の代表作となりました」

『あらし』以外にもラジコン漫画や『こんにちはマイコン』といった実用漫画の執筆など、興味・関心のある話題で次々と連載を手掛けたすがやさん。だが意外にも、若い頃は「趣味は仕事にしない」ポリシーがあったという。

「仕事は仕事でクールにお付き合いしたいと思っていた時期がありました。でもあるとき、編集者から『すがや君。君が好きなテーマを描かなくても、別の作家が描くことになる。その作品を見たら、きっと後悔するよ』と言われて、考え方を変えました。よく編集者が使う言葉に『熱気は技術を超越する』というものがあります。自分の中のこだわりや熱気を形にすることが一番大事なんじゃないでしょうか」

自分の経験則だけを教えるのは学問ではない

170224_019漫画以外にも小説を手掛けるなど、数々の作品を世に送りだしてきたすがやさん。クリエイターとして確かな地位を築きながら、2005年、54歳のときに、人間科学部eスクールに入学。大学生へと転身した。

「かつて通っていた高校は進学校だったこともあって、大学に行かなかったのは自分くらい。高卒コンプレックスというと大げさですが、もし機会があれば学んでみたい、という思いはずっと心にありました」

そしてもう一つの大きな理由が、2000年に京都精華大学に誕生した「マンガ学科」の存在だった。

「当時、京都精華大学マンガ学部の入試倍率が20倍にもなったおかげで、他にもマンガの学科やコースを設ける大学や専門学校が増え、そんなところから『教員をやらないか』とお誘いを頂きました。でも、漫画を学問として学んだことがないのでカリキュラムの組み方もわからない。そして、自分の経験則だけを教えるのは学問ではない、という考えがありました。そんな折、2003年に早稲田大学人間科学部でeスクールがスタートし、2005年に念願かなって入学することができたんです」

教育工学などを学び、統計学の重要性にも目覚めて「こんにちは統計学」という、オンラインで計算ができる統計Webサイトを在学中に自作。今も利用者が多い人気サイトとなった。

「教育工学を学んだのは、将来的には『漫画工学』のようなものが作れないかなと前から考えていて、調べてみたら心理学をベースにエンジニアリングの発想で教え方を学ぶことがわかったからです。そして、心理学を学ぶ上で重要なのが統計学でした。統計学を学んだことで、科学的なものの見方の基礎を知ることができました」

170224_125すがやさんは2011年3月に修士課程を修了した後、eスクールで教員の補助をする教育コーチを担当。2012年には京都精華大学マンガ学部の非常勤講師となり、2013年からは同学部キャラクターデザインコース専任教員として教壇に立っている。学ぶ立場から教える立場へと転身したからこそ感じる、「学ぶことの意義」はなんだろうか。

「実感したのは、大学の学びで役に立たないものはない、ということです。同世代の友人がよく、『大学の授業は役に立たなかった』『大事なことは全部酒場で学んだ』みたいなことを言うんですけど、とんでもない! かつてはそうだったかもしれないですが、今の時代、学びは本当に役に立ちます。例えば今、キャラクターについて学ぶ学生に『“カワイイ”は数値化できる』といった話ができるのも、早稲田で学んだ経験があるからです」

だからこそ、より大事なのは能動的に学ぶことだと、すがやさんは語る。

「eスクールの仲間たちは、懇親会のような場でも勉強について話していました。授業料の分は元を取ろう、というのは社会人学生の発想かもしれません。でも、親が出す授業料に対しても同じ発想で臨んでもらえると、得るものは大きいと思いますよ」

【プロフィール】

170224_150本名は菅谷充(すがや・みつる)。1950年、静岡県富士市生まれ。高校卒業後、漫画家を目指して上京し、1971年、『仮面ライダー』のコミカライズで漫画家デビュー。代表作に『ゲームセンターあらし』『こんにちはマイコン』など。2005年、早稲田大学人間科学部通信教育課程に入学。現在は京都精華大学マンガ学部マンガ学科キャラクターデザインコースの教授を務めるほか、文筆業などでも幅広く活躍中。

早大生のための学生部公式Webマガジン『早稲田ウィークリー』。授業期間中の平日はほぼ毎日更新!活躍している早大生・卒業生の紹介やサークル・ワセメシ情報などを発信しています。

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