
先日、とある地方都市の大学で一週間ほど客員教員をした。中部地方にあるその街は山からも海からも近く、にぎわいはあるが過密ではない。通勤の時間帯でも電車やバスで座ることができる。至る所で街路樹が木陰を作り、肌には常に穏やかな風を感じた。
東京の都心にはもう何年も、そよ風が吹かない。吹くのはビル風だ。木陰もない。昨年の猛暑の間、熱中症で道にへたり込んでいるお年寄りに何人声を掛けたことか。私とて、毎朝満員電車に長時間揺られてたどり着く都心の研究室のドアを開ける頃には、既にその日のエネルギーを枯渇させている。
私が滞在した大学は街の郊外にあり、広大なキャンパスには屋内外を問わず多くのコモン・スペースがあった。そこでは学生とおぼしき人たちが、読書をしたりネットを見たり、語り合ったり議論したり、昼寝をしたりしていた。独創的な研究のアイデアはこんなところで生まれるのかもしれないなと、構内のあちこちに掲げられているノーベル賞を受賞したこの大学の教員の顔写真を見るたびに思った。
この地方都市の大学の研究室で、窓を開け放って木々の葉擦れの音を聞き、そよ風を頬に感じながら、私は無性にうらやましかった。この風通しの良い環境が、余白が、心底うらやましかった。大学とは本来、心と体と頭にとって心地良い風が吹く、風通しの良い場所ではなかったか。
そよ風も木陰も奪われた都心に戻った私は今日もまた、絶えず業務を消化し続ける。今日もまた、一瞬たりとも研究する時間を作れなかったと、自分に失望して家路につく。
(SK)
第1194回






