皆さんは「ボディ・ポジティブ」という言葉を聞いたことはありますか? ボディ・ポジティブとは「自分の体をありのままに愛そう」という欧米発祥のムーブメントで、日本でもその考えが広まりつつある一方、「正直、“ありのまま”は受け入れられない…」と思う人もいることでしょう。
そんなボディ・ポジティブに「素晴らしさと矛盾がある」と話すのは、校友(卒業生)で文化人類学者の磯野真穂先生。発言の真意や運動の背景にある社会の仕組み、そして同じく「ありのまま」を人々に求める昨今の風潮についてお話を伺いました。さらに、大学生が抱える体の悩みに対する磯野先生からのアドバイスも掲載。あなたの体や自分らしさのこと、立ち止まって考えてみませんか?
INDEX
▼ボディ・ポジティブは万能ではない。“ありのまま”の罠(わな)とは?
▼私を取り巻く体の悩み、磯野先生教えてください!
Q1:それでも私は脱毛も整形もしたい。こんな考えはあり?
Q2:パートナーと食事を楽しめなくてつらい!
Q3:親から言われた「太ったね」が心に重くのしかかっている。
Q4:周りの人の「毛」が気になって仕方ない。
Q5:私の体は好きだけど、きれいな人がうらやましい。
ボディ・ポジティブは万能ではない。“ありのまま”の罠(わな)とは?

磯野 真穂(いその・まほ)長野県出身。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文化構想学部助教、国際医療福祉大学大学院准教授を経て、2024年から東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。Webサイト: https://www.mahoisono.com/、X: @mahoisono
現代社会に生きる皆さんは、SNSなどを通じて脱毛や美容整形といった情報に晒(さら)されています。そのため、科学技術で“体を変えること”が身近になっているのでは、と感じています。
美容に関する広告に着目すると、かつてはダイエット関連がほとんどでしたが、今は痩せている人もそうでない人もターゲットとなる二重整形や脱毛などを多く見掛けるように思います。つまり、美容産業は利益を増やすためにマーケットを広げているんです。
特に脱毛は清潔感とも強く結びついていて、周りから汚いと思われたくないからやる、という人も多いでしょう。そうして皆がツルツルになっていくのを目にして、ますますやりたい人が増えていく。そうした状況から逃れられなくなっているのかもしれません。
そのような社会の潮流に対抗するべく、ボディ・ポジティブの運動も広まりつつあります。これは“多様な体の美しさを認める”という点では素晴らしい運動ですが、そこにはいくつかの矛盾も潜みます。
そもそもボディ・ポジティブは“痩せた体だけが美しさではない”という考えから始まっているので、“全ての体が美しい”という理想は掲げていますが、やはりその中には認められにくいであろう体も存在します。「鼻毛こそ、私の美しさだ!」と主張して鼻毛をボーボーに生やしても、美しさとは認められないでしょう。つまりボディ・ボジティブの運動の中にも、受け入れられやすい体とそうでない体がある。主張と矛盾してしまう部分があるのです。
より視野を広げると、現代社会でよく聞く“ありのままの自分”や“自分らしさ”にもボディ・ポジティブと同じ矛盾が潜んでいます。
「自分ってどんな存在だろう?」「自分らしさとは何か?」と悩んでいるときは、自分自身に自ら光を当てて周囲と比較している瞬間であるとも言えます。つまり、自分らしさを探せば探すほど、周囲の人たちとの終わりなき比較に陥って、満たされない承認欲求に苦しんでしまう可能性があるのです。
だからこそ、趣味でも人でも何でもいいので、自分以外の物事と関わっているときに、楽しいとか面白いとか、心地良い状態でいられるときが、「自分らしくある」瞬間だと思うんです。そのときは、自分に着目して「自分はどんな人か?」なんて考えていないはずですからね。
自分のことをあまり考えていないけれど心地良い状態。それが“自分らしい”のかもしれません。
私を取り巻く体の悩み、磯野先生教えてください!
今回、大学生が抱えがちな、体に関する悩みを複数ピックアップ。それぞれに対して磯野先生からアドバイスをもらいました。
Q1
ボディ・ポジティブは理解できますが、私は脱毛したいし、美容整形にも興味があります。きれいな方が何かとお得だからです。こういう考えはアリなのでしょうか?
磯野:アリかナシかと聞かれたら、いまの時代ならアリでしょうね。相反するように見えるボディ・ポジティブと、脱毛や美容整形などの「身体変工」には似たような側面があります。どちらも「自分」という存在に強烈な光を当てているんです。その背後には、個性を殊更に強調し、「あなたはどんな人間なの?」「自分という存在をアピールしなさい」と言い続ける社会があります。そんな現代社会の構造に気付けば、少しだけ冷静になれるでしょう。ただ、美容整形などで一度体を変えると元に戻すのは難しいので、そこはどうか慎重に。
また、「きれいな方が何かとお得」なのは事実ですが、それに気を取られていると、自分より若くてきれいな存在がたくさん現れたときに焦りますよ。人生は「きれいがお得」だけではないと、ぜひ学生のうちにたくさん体験してほしいです。
Q2
パートナーが食べる量や食材を異様に気にしていて、食事を一緒に楽しめないのが悩みです。
磯野:解決策は簡単。一緒に食事をするのは諦めましょう。あるいは一緒に食事するのを3日に一度だけにするとか。おそらくあなたは、食事を一緒に楽しむことで相手との関係性を深めたいと思っているのだと思います。でもきっとパートナーさんにとって食事は楽しいものではなく、単なる栄養摂取でしかないのかも。そうなると「一緒に食事を楽しんでください」って言っても難しいですよね。食事は、別の人と一緒に楽しんだ方がお互いのためです。でも、あなたがパートナーの方を大切に思うなら、栄養摂取以外の食べることの意味を、さりげなく示せるといいかもしれませんね。ただ、くれぐれも押し付けないように気を付けながら、です。
Q3
久々に実家に帰省したら、親から「あんた太ったね」と言われてショックを受けました。親のことは好きですが、今は顔を合わせたくないです。
磯野:親の“太った”という言葉にネガティブな意味が含まれていなかったとしても、もしかしたらあなたは「自己管理ができていない」「美しくない」といった、否定的なメッセージを読み込んでしまったのもしれません。ここでも大切なのは、ショックを受けたあなたには、何の非もないということ。あなたは“痩せていることが素晴らしい”という価値観の中で育った一方で、親は同じ価値観の中で育っていなかったかもしれない。外見についてとやかく言うべきでないのは確かですが、否定的なメッセージをあなたがどこで読み取ったかを考えてみるのもありでしょう。そして、親にははっきり、そういうことは二度と言わないでほしいと伝えた方が良いですね。
Q4
自分には関係ないことなのに、毛深い人を見るとつい「なんで脱毛しないんだろう」と思ってしまいます。どうしたらいいですか?
磯野:思ってしまうのは仕方ないと思います。体毛に不潔なイメージを結びつけて、脱毛したい気持ちをあおるような社会に生きているのですから。ただ、そう感じてしまうご自身を、無条件で受け入れる前に考えてほしいことがあります。例えば、永久脱毛をするにはお金が必要ですよね。人はさまざまな経済状況の中で生きているので、全ての人が脱毛できるわけではありません。そうすると、経済状況のせいで“汚い”というラベルが貼られてしまう人が出てくるかもしれないのです。
そう考えると、脱毛していない人を見たときに、条件反射的に不快感を抱いてしまうのは、恐ろしくないでしょうか? もしかしたら、あなた自身も何らかの理由で、脱毛できない人と同じ状況に陥るかもしれない。感じてしまうこと自体は仕方ないですが、自分の感情の中に織り込まれた“社会のあり方”について考える癖を付けてほしいです。
Q5
自分の一重まぶたを気に入っています。でも、二重整形をした友人と会ったとき、すごくきれいだなとうらやましくなってしまった自分に驚き、もやもやしています…。
磯野:きれいな人を見たら、誰だってうらやましいと思いますよ! ボディ・ポジティブに賛同しているからといって、「周りの人をうらやましく思っちゃいけない」「どんな体でも愛さなければならない」ということではないのです。それでも、外見で順位付けられる社会に生きることにもやもやしてしまったら、私の専門でもある文化人類学が助けになるかもしれません。「痩せている人が美しい」「二重のほうがかわいい」という以外にも、「女性が上半身裸でいることは何でもない一方、太ももをさらすことを非常に恥ずかしいと考える社会がある」など、世界にはさまざまな“理想的な体”があることが分かりますよ。
磯野先生の著書から一冊ご紹介!

(磯野真穂、『ダイエット幻想』、筑摩書房)
『ダイエット幻想─やせること、愛されること』(筑摩書房)
体型に関するさまざまな悩みの根源には、他者との関係性があった! 文化人類学の視点から、悩みや気持ちを軽くする考えを伝授。食べること、そして他者と共に生きることについて、新たに再検証する一冊。
取材・文:吉田 けい
【次回フォーカス予告】4月29日(月)公開「留学特集」