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巨大津波の記憶を風化させず持続可能な社会を構築していく

東北津波の教訓を、未来にどうつなげていくか

東日本大震災で広域的な被害をもたらした東北津波(東北地方太平洋沖地震津波)。海岸工学や沿岸域防災を専門とする理工学術院・柴山知也教授は、「あの津波の被害は、多くの研究者の予測を上回るものでした。私たちが得た最大の教訓は、人々の記憶から災害の歴史が消え去った時、大規模な被害に発展するということです」と語る。今後も起こる津波に対し、10年前の教訓をどのように生かしていくのか。柴山教授に話を聞く。

Profile
柴山知也
理工学術院教授
1953年東京都生まれ。東京大学工学部土木工学科卒業。工学博士。東京大学助手、同講師、同助教授、横浜国立大学助教授、教授を経て、2009年早稲田大学理工学術院教授、横浜国立大学名誉教授。専門は土木工学(沿岸域防災、海岸工学、津波・高潮)。

領域を超えた組織的研究で災害を複合的に見つめ直す

東日本大震災発生後の5月8日、早稲田大学は全学横断的な連携研究プロジェクト「東日本大震災復興研究拠点」を設立した。同組織の中に設けられた「複合災害研究所」は、東日本大震災の複合災害としての特性を明らかにしつつ、新たな防災・減災のシステムを提案することを目的とした研究機関だ。柴山教授はここで所長を務め、災害対策の組織的研究をスタートした。

「災害研究で重要になるのはグループワークです。一人一人が個別に進めてしまうと、研究対象の重複や欠落が生じます。また、地域社会を守るためには、工学や理学だけでなく、エネルギー政策や地域マネジメントなど、多くのジャンルの知見を取り入れなければなりません。複合災害研究所は、津波や高潮、高波などの沿岸災害の研究から始まりましたが、火山噴火や地震を専門とする研究者も加わり、多角的に災害対策研究を進めてきました。2018年以降、この組織は理工学術院総合研究所の『持続的未来社会研究所』に引き継がれています。多発する災害の中で、いかに持続可能な社会を構築するか。早稲田大学の幅広い領域から叡智を結集して挑んでいます」

東日本大震災の経験を海外の災害対策に生かしていく

東日本大震災では、予測されていた規模をはるかに上回る津波が襲いかかったことで、未曾有の被害に発展した。被害が広がった地域に共通するのは、「その地で大災害があった歴史が忘れられていること」だと柴山教授は指摘する。

「同じ東北地方でも、岩手県は1896年に明治三陸津波を、1933年に昭和三陸津波を経験しており、歴史的資料と経験に基づいた災害対策を進めていました。一方、宮城県平野部や福島県で大規模な津波が発生したのは、1000年以上前の貞観地震に遡ります。この地域で被害が拡大したことが、東北津波の特徴の一つです。記憶が被害を左右する現象は、海外でも見られます」

2004年のスマトラ島沖大地震によって発生したインド洋大津波は、震源地に近いインドネシアからアフリカ沿岸諸国に至る被害をもたらした。被災国の一つであるスリランカでは、以前にも大規模な津波が発生していたが、現地の人々は自国の歴史にその形跡を見つけられていなかったため、被害が拡大したという。

「スリランカの古い寺院の史料には、インド洋津波に匹敵する津波が発生した記録があるのですが、住民はそれを認識していませんでした。災害対策というのは、まず地元の人々に災害のあった歴史を認識してもらうことから始めなければなりません。東日本大震災の経験を世界に伝えることには、そうした点にも意義があるのです」

柴山教授は、「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」の一環として、早稲田大学が中核となる国際的研究ネットワークの構築にも取り組んできた。連携する海外の研究者の多くは、かつて日本に留学し、柴山研究室で博士号を取得したメンバー達だ。国境を越える共同研究によって東日本大震災の教訓が共有され、各国の災害対策に役立てられている。

東北の研究結果が応用される各地域の新たな沿岸災害対策

東北津波の教訓は、国内のあらゆる地域にも生かされている。震災発生後、全国の都道府県は津波ハザードマップを再検討する必要に迫られた。日本の海岸工学、津波学の研究者たちは、長年の現地調査を経て、現在スタンダードになっている2段階の津波対策「津波防護レベル」「津波減災レベル」を共同で提案。各自治体ではこのモデルに基づいた避難計画が策定されている。柴山教授は現在、神奈川県で沿岸災害対策の再構築を進めている。

「地震・津波が発生する確率を地域ごとに算出しながら、過去の資料を調査し、数値予測モデルも用いてまずは防潮堤や海岸堤防の高さを決めていきます。そして氾濫域を計算し、避難計画を立てていく。こうした活動はかなり進んでおり、全国に展開しています」

沿岸災害は津波だけではない。ここ数年の気候変動によって、かつてとは異なる挙動をする台風が増えており、高潮・高波のシミュレーションも改良が必要になってきている。常に変化する自然の猛威に対し、起こりうる被害を正確に予測することが、柴山研究室の新たな課題になっている。

この10年で見直された津波対策のあり方

震災発生から10年。災害対策の研究は、どのように進展してきたのだろうか。

「東日本大震災発生直後、全国の災害研究者は早々に現地に向かいました。そこで目にしたのは、私たちの予想を超える被害状況です。いったい何が起こったのか? まずは現状を正確に把握することが最優先課題となりました。現地調査を進めながら、シミュレーションモデルや室内実験を駆使し、災害そのものを分析したのが、研究の第一段階です」

こうして状況が把握された後、研究は津波や地震に耐えうる構造物を再検討する段階に移行する。ここで重要になるのは、建物が倒壊した原因の究明だという。

「例えば、防潮林の木が津波で流され、衝突したことで建物が倒壊したのであれば、防潮林自体を見直さなければなりません。こうした研究結果は、被災地はもちろん、全国の防災にも役立てられるデータになります」

そして、避難計画の策定だ。地域ごとに避難の困難さが異なるため、各地における最適な計画を作成するためには、多くの検討が必要になる。

「地形や道路はもちろん、お年寄りや障がい者の分布、避難所の位置など、地域ごとに細かくデータを集積していく必要があります。こうした計算は、研究室の学生たちの協力を得て進めています」

持続可能な土地利用を再考し災害列島から脱却する

柴山教授は現在、避難計画の策定と並行して、土地利用の新しい形を模索している。

「いくら避難計画を練り上げても、日本で地震や津波が発生し続けることに変わりはありません。長期的には、『災害列島から脱却する』という視点が必要になります。具体的には、国民一人一人が被災リスクの低い場所を住環境に選んでいくことです。持続的未来社会研究所では、自然災害リスクをコストとして算出し、地域別に計算を進めています。この『自然災害リスク費用』が、転居や新築をする際に地価や利便性と一緒に提示されれば、人々はリスクや災害費用が低い方を選んでいきます。つまり、日本人が自然な形で少しずつ安全な場所に移動するのです。政府や自治体のトップダウンで現地の人を転居させるのは不可能ですが、50年レベルの長期的視野でこの仕組みが浸透すれば、持続可能な未来を構築できるかもしれません。災害リスクをお金に換算することに否定的な意見もあります。しかし現段階では、この方法が最も確実な解決策と考えています」

震災の記憶をつないだ学生たちの現地調査

早稲田大学は、震災後に3回、各研究室の学部4年生・大学院生を被災地に派遣して現地調査を行う「早稲田大学合同東北調査」を実施してきた。現地で学生を引率した柴山教授は、教育者の視点で当時を振り返る。

「合同東北調査では、災害を総合的に理解するために、土木や建築などさまざまな領域の学生を集めました。被災地の光景は、学生たちに大きなショックを与えたと思います。それでも彼らは果敢に現地調査を進めました。当時の調査に関わった学生の内、現在、大学教員や公務員、研究者として災害に関わっている卒業生が多数います。震災の記憶を未来社会に継承するという点において、被災地の現地調査が果たした教育的役割は、非常に大きかったのだと思います」

Haian高潮フィリピン

圧縮東北合同調査学生2016

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東北調査中の学生