私はアメリカ史の研究者です。中でも専門分野はNativism(ネイティヴィズム)といわれる移民排斥論と移民法です。膨大な史料から歴史を紐解き、反移民感情の実態を掘り下げる研究をしています。社会史および法制史を中心とした歴史学的分析に、文学、文化表象学、政治学、法律学などの視点を統合した領域横断的アプローチが私の研究の特徴です。
Nativismとは?
Nativismという言葉は、英語でもなかなか聞きなじみがないかもしれません。日本語では「反移民感情」「移民排斥論」と訳され、「外国人、部外者、アウトサイダーが国を脅かしているという感情に基づく、移民に対する敵意」を意味します。
この反移民感情の理由は、たとえば「合法移民でないから」「白人でないから」「宗教が違うから」など様々です。また、歴史の中で、だれに対する敵意なのか、といったことはその都度変わってきました。現在のトランプ政権下では、メキシコ系を主とした非合法移民の排斥が積極的に推し進められており、国境付近での警備も強まっています。
移民制限の起源はいつ?
アメリカは「移民の国」でありながら、移民制限が行われてきました。その政策はいつから始まったのでしょうか。移民制限政策の起源は一体どこにあるのでしょうか。研究を続ける中で、ある重大な事実が浮かび上がりました。それはこれまでの通説を大きく覆す発見でした。
これまで、アメリカで移民制限が始まった時期は「連邦政府による中国人排斥法が施行された1882年」というのが通説でした。主に西海岸で実施されたこの政策以前はアメリカの国境は開かれていたという解釈が一般的でした(図1)。

図1:移民政策の起源
1882年に制定された連邦政府による中国人排斥法を機に、国境が規制されていったというのがこれまでの通説。この風刺画では中国人が追いやられている。
しかし実はそれ以前の1840年代から、東海岸において、移民貧困層に対する移民制限が州レベルで実施されていたのです。明文化はされていませんが、貧しいアイルランド系移民を強制送還するための政策でした。たまたまある文献の末尾に、この史実にまつわる、ごく小さな記述をみつけ、私は衝撃を受けました。移民史の専門家であっても見落としていた史実でした。連邦政府によるアジア系移民に対する排斥はよく知られていましたが、それ以前に州政府によって、ヨーロッパ系移民に対する排斥が政策として実施されていたことは、これまでのアメリカ移民史の理解を大幅に書き換える発見でした。
研究を進めていくと、米国市民権をもっていたアイルランド系アメリカ人までもが非合法的に英国やアイルランドへ強制送還されていたことがわかりました。さらに、入国審査の際、風貌があまりにもみすぼらしく自活できない状態になりそうであるという理由だけで国外退去させられたケースまでみつかりました(図2)。
アメリカは「移民の国」というよりも、「選ばれた移民による国」といったほうが、実態をよく表しているのではないかと思います。

図2:貧困に陥ったアイルランド人のようす
1840年代。アイルランドでは、ジャガイモが疫病で枯死し、大飢饉となった。アイルランド人の多くは食糧難、貧困、餓死に追い込まれ、200万人以上のアイルランド人がアメリカ、カナダなどへ国外移住した。
移民法の起源をまとめた本
こうした移民法の起源をまとめた1冊が拙著Expelling the Poor: Atlantic Seaboard States & the 19th-Century Origins of American Immigration Policyです(図3)。

図3:著作表紙
Expelling the Poor: Atlantic Seaboard States & the 19th-Century Origins of American Immigration Policy (New York: Oxford University Press, 2017)
『貧民の追放/大西洋沿岸諸州と19世紀におけるアメリカ移民政策の起源』
当時の新聞、アメリカ、イギリス、アイルランドの公文書、福祉施設史料、移民が書いた手紙や日記の分析を通して、アイルランド系移民排斥の実態を明らかにした博士論文を著書にまとめて出版した。
本書及び関連論文の受賞歴は以下参照。いずれも日本人として初受賞。
https://www.waseda.jp/inst/wias/other/2018/08/01/5618/
表紙にある風刺画が示すように、当時のアメリカ人は、「アイルランドの救貧院(今日のホームレスシェルターに似た福祉施設)に収容されている貧民が、事実上救貧院ごとアメリカに移住してきている」と感じていました。貧しいアイルランド系移民の多くは、移民してまもなくアメリカ国内の公共の救貧院に収容されました。これらの施設はアメリカ人による税金によって維持されていたため、アイルランド系移民は、税金を吸い上げる存在、「ヒル(蛭)」と称され、アメリカ人の怒りを買いました。
このアイルランド系移民に対する排斥感情こそが、州政府による移民制限政策の原動力となったのです。アメリカにおける移民制限の起源は、19世紀前半に大西洋沿岸諸州で高まった、貧しいアイルランド系移民に対する敵意にあると言えます。連邦政府が移民制限を始める以前から、すでにアメリカの国境は、すべての移民に対して開かれていたものではなかったのです。
多くのアメリカ人が考えているよりも、移民制限のルーツは根深いことを、拙著を通して明らかにしました。
アメリカにおけるNativism全体史を通じて
現在取り組んでいるプロジェクトは、「アメリカにおける移民排斥の全体史的研究」です。移民排斥がアメリカの歴史を通じてどのように展開したかについて考察します。1776年に始まったアメリカ独立革命から現在までを網羅する予定です。
アメリカにおける移民排斥の通史に近い書物は過去に出版されていますが、最後に主要な通史的研究が出版されてから60年近く経っています。その間に発表された研究成果も含めて、移民排斥の全体史的分析を総括的にまとめた研究書を出版したいと考えています。社会、文化、思想的視点と、法律、政治、経済、外交的視点を併せて多角的に考察し、移民排斥の全体史的分析に挑みます。
日本でも移民政策の面やさまざまな社会的な場において、外国人に対する不寛容や敵意が見受けられることが多々あります。アメリカにおける移民排斥研究を通して、専門家のみならず、広く多くの方々が、自国や世界の現状を見直すきっかけになればと思っています。
取材・構成:松平 節
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School