- 渡部 幹(Motoki Watabe)准教授(2009年3月当時)
人はなぜ社会をつくるのか
人はなぜ社会をつくることができたのでしょうか。人類史のほとんどを占める狩猟採集時代を見てみると、人が作ることのできる最大の集団はせいぜい150人です。しかし、文明ができて以来、現実の人間社会はもっと大きなものです。私たちは血縁関係もなく、友人でもない、一度も出会ったことのない他人と社会を形成しています。このような人間社会を可能にしたものは何でしょうか。
私は、その答えの1つは「制度」にあると考えています。制度によって、人間は見知らぬ人びととのあいだにも協力的な相互依存関係を成立させることができたのではないでしょうか。この制度が、なぜ、どのようにして成り立ち、変容してきたのか、そして人間の何がそれを可能にしているのかを調べることが、面白い学問的問題となります。私はこの問題を、実験を中心とした実証研究によって解こうとしています。
フリーライダーにどう対処するか
私は、人間あるいは組織の関係を、愛情やサービス、地位、金品などのやり取りとみなす社会的交換理論の立場からこの問題に取り組んでいます。たとえば店で、客は150円支払ってもジュースがほしく、店はジュースを渡しても150円がほしいというように、互いに利益があるときに交換が起こります。このような2者の交換は社会の最小単位で、限定交換といいます。
このやり取りのなかで、もらうだけもらって逃げる、いわゆるただ乗り(フリーライダー)の問題が生じます。フリーライダー問題の類型といえる犯罪は数多くあります。たとえば店にお金を払わずにジュースを持ち去る万引がそれにあたります。2者の限定交換であれば誰がフリーライダーかすぐに特定できますが、社会が大きくなるほどわかりにくくなり、フリーライダーは増えます。こういった状況を社会的ジレンマとよびます。
この問題に対し、人間社会は、協力者には褒賞を与え、裏切り者には制裁を行うといった制度をもっています。このような行動をサンクションといいます。いわばアメとムチです。ところが、ここで新たな問題が生じます。褒賞や罰を与えるにはコストがかかってしまうのです。これを2次的ジレンマといいます。しかし、それでもサンクションが行われています。おそらく、非協力者を罰する行動に何か利点があるからに違いありません。
実験で人間社会のふしぎを解く
私は共同研究者とともに、罰を与える人に対する周囲からの評価に注目し、実験を行いました。私は学部ではじめに生物学を学んでいましたが、人間の行動や人間関係、社会に興味があり心理学を学ぶようになりました。もともと理系だったということもあり、実験という手法をとることが多いのです。
研究の結果、懲罰行動そのものにフェアなものとそうでないものがあることがわかりました。実験ではまず、いくつかのフリーライダーの例「掃除をサボっている人」に対する「教師に告げる」「掃除をしない人の机を拭かない」などの行動を、戒めと報復の2つに分類しました。戒めとはルールに基づいて警告を行うなど理性的で合法的な懲罰、報復とは自分も悪いことをやり返すなど感情的で非合法な懲罰です。
次に120人の被験者にそれぞれの懲罰行動に対する「フェア」「信頼できる」「利己的」「親切」「友達になりたい」「関わりたくない」の6項目について、「まったくそう思わない」から「完全にそう思う」まで7段階で評価してもらいました。その結果、戒めを行う人は信頼できるが、友達になりたくないと思われること、報復を行う人は利己的で関わりたくないと思われることがわかりました。
私はこのように実験を積み重ねていくことによって、人間社会の生成の謎を解き明かそうとしています。実験は失敗することもありますが、そこから新しいことを発見することもあります。このような試行錯誤が実験の楽しいところです。
私の行う実験は1人ではできません。多くの被験者に協力してもらう必要があります。被験者については、1条件につき12グループが目安といわれています。たとえば5人グループが必要で、条件が4つあるような実験の場合、被験者は240人必要です。
それに、被験者同士があらかじめ相手のことを知っていると実験の結果に影響するため、被験者ごとに待ち合わせ場所を分けるなどの手間がかかります。また、私自身が実験を行うと、被験者にどう行動してほしいと思っているかが無意識に伝わってしまうため、他の人に実験を行ってもらいます。このようなことをすべて上手く行うためには、チームワークがとても大切です。
研究にコラボレーションは不可欠
私は研究を進めるために、さまざまな分野の人たちと積極的にコラボレーションしています。脳科学の研究者とは、人間が相手を信頼できるかどうか判断するときに脳のどの部分を使っているのか、MRIを利用して脳内の血流の変化を調べる実験を始めました。また、ビジネスコンサルタントの人たちと現代の職場内の人間関係について『不機嫌な職場』(*1)という本を書いたこともあります。他にも、社会学、経済学や政治学などの分野とコラボレーションすることで、社会的交換とフリーライダー問題を異なるレベルで研究することができるのです。
いまの社会に起こっているただ乗りの問題をいかに解決するか、といった実践的な目的は、私の研究を続けるモチベーションのひとつです。そのうえで、人間がそのような問題を乗り越えて文明を発展させることができたのはなぜかという謎解きをしていきたいと思っています。
*1 『不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか』:高橋克徳/河合大介/永田稔/渡部幹 著 講談社現代新書 2008
取材・構成:吉戸智明/竹谷知永子
協力:早稲田大学大学院政治学研究科MAJESTy