- 山本英明(Hideaki Yamamoto) 助教(2013年9月当時)
ナノテクノロジーを生命科学へ
ナノテクノロジーとは、物質をナノメートル(1nmは1mの10億分の1の長さ)、すなわち原子や分子のレベルで自在に制御する技術のことです。ナノメートルスケールで材料を加工したり、ナノメートルスケールの材料を利用したり、計測したりします。私は、このナノテクノロジーを生命科学、特に脳神経科学に応用する研究に取り組んでいます。
私はコンピュータが好きで、学部生の頃は電気や情報について学んでいましたが、その後、脳神経科学に興味をもち、自分のこれまでの専門を生かした脳神経の研究をしたいと考えて、現在の研究を立ち上げました。工学者としての視点から、神経系における情報処理や制御のメカニズムを明らかにしたいと考えています。
半導体チップからひらめき
ナノテクノロジーは生命科学とは全く異なる分野から生まれてきた技術体系ですが、ナノテクノロジーを活用することで、これまでに知られていなかった現象が発見されたり、新しい医工学技術が生まれてきたりしています。例えば、通常のシャーレの上で細胞を培養すると、細胞はシャーレの底に接着し、伸展しながら生き延びます。では、細胞を小さな穴に閉じ込めて伸展できないようにするとどうなるか? 微細加工を施した基板を使って、これを確かめたところ、細胞は自殺してしまうことがわかりました。またさらに不思議なことに、たとえ接着できる総面積が先ほどと同じ程度に制限されていても、接着できる領域を点在させて、細胞が十分に伸展できさえすれば細胞は生き延びるということもわかりました。これはハーバード大学のグループが1997年に報告した実験結果です。また、ナノテクノロジーによりシリコーン樹脂に穴や溝などの構造を工夫してつくれば、その中に自在に細胞が並べられ、肺や腎臓などのモデルができると考えられています。私は、ナノ加工の技術を使って、まるで電子回路をつくるように自在に神経回路をつくれるようになれば、脳機能の神経基盤を解明するのに大いに役立つと考えました。
私が使っているナノ加工の一例をご紹介しましょう(図1)。顕微鏡の観察などに使うカバーガラスの表面を、細胞接着を阻害する薄膜で覆い、電子線で模様(パターン)を描きます。これはリソグラフィーと呼ばれる加工技術で、パソコンやスマートフォンに入っているトランジスタという電子素子をつくるために開発された技術です。リソグラフィーの後にはエッチングという工程が入り、これにより模様の通りに阻害膜を剥がします.最後に、この剥がした箇所に細胞親和性の高い薄膜を成膜することで、カバーガラス上に細胞の接着を促す領域と阻害する領域をつくることができます(図2)。

図1:神経細胞胞をパターン培養するためのガラス基板の加工プロセス。

図2:パターン基板上で培養した神経細胞。突起を伸ばす方向や本数を基板のパターンで制御できる。
この実験を立ち上げたときから、パターン基板を使うだけでは、神経回路の構造を自在に制御することは難しいだろうということには気がついていました。この課題を克服するための良いアイディアがなかなか思い浮かばず悩んでいたある日、学会の展示会で半導体チップを開封するためのレーザー加工装置を見てひらめきました。あらかじめつくっておいたパターン基板に並べるだけでなく、その後に、細胞を培養しているその場で、表面をさらに加工できれば、それこそ自在に神経回路をつくることができます。
斬新なアイディアだと思ったのですが、調べてみると近いことを考えて実験をしている先人がいることがわかりました。幸い、必要としていた技術をお持ちの先生(奈良先端大 増原先生、細川先生、岡野先生)と共同研究ができることになりました。いざ実験を始めてみると、これはこれで難しい部分もあったのですが、思い描いていた実験を成功させることができました。
細胞の「向き」を制御する
脳神経回路の機能素子は、神経細胞と呼ばれる細胞です。神経細胞は、他の細胞とはちょっと変わった形をしています。細胞体から突起が何本か伸び出しているのです。この突起は、軸索と樹状突起に分別されます。軸索は通常、1つの細胞体から1本だけ生えていて、樹状突起よりも長く伸び出します。この軸索は、他の細胞の樹状突起と接合して、ここでシナプスと呼ばれる構造をつくって信号を伝達するのですが、この際、信号は軸索から樹状突起へと一方向に受け渡されます。従って、神経回路をつくる際には、この軸索と樹状突起を区別して配線する必要があります。十字型のパターンをつくって、1本の突起だけを長く伸びられるようにしておくと、その突起が軸索に分化するということがわかりました。この方法を使うと、細胞を活かしたまま軸索と樹状突起を正確に判別できるので、この後に、レーザーなどを使って配線して回路をつくることができます。
神経細胞を操る
こうして開発した微細加工技術を使って、ガラス基板の上に適当な材料の模様をつくり、神経細胞が接着する位置や、軸索や樹状突起を伸ばす方向を制御していけば、生きた神経細胞を要素として、人工的に神経回路をつくることができると考えられます。これまでに、基板上で神経細胞同士を接続させて、単純な神経回路をつくることに成功しています。また、細胞内のカルシウム濃度に依存して蛍光を発する色素を利用して、神経細胞回路の活動を測定することもできるようになりました。
早稲田大学では、理工学術院の谷井孝至先生に協力していただきながら実験を進めています。脳の神経回路は非常に複雑なので、神経細胞をどのように配線すれば脳らしい機能がつくれるのかをはじめ、たくさんの課題があります。一つ一つ着実に研究を進めて、脳の情報処理原理を解きながら、さらに、新しい情報処理システムや製薬技術の開発など、社会の役に立つ技術の開発へと育てていければと思っています。
取材・構成:佐藤成美
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School