和菓子職人を、もっと憧れられる仕事にしたい
和菓子処 茶の子 4代目 松野 友美(まつの・ともみ)

創業は1917(大正6)年。110年近い歴史を誇る神奈川県西鎌倉にある老舗「和菓子処 茶の子」の4代目として奮闘する松野友美さんは、早稲田大学社会科学部の卒業生だ。2025年の大阪・関西万博では、和菓子職人を代表してデモンストレーターを務めるなど、確かな腕と実績を持つ松野さんだが、大学卒業時は一般企業に就職した経歴を持つ。幼少期から和菓子に囲まれて育ち、跡を継ぐかどうか迷った学生時代を経て、どのように自らの生きる道を決めていったのだろうか?
就職して再確認できた和菓子の価値
「保育園の頃は『ケーキ屋さんになりたい』と言っていた気がします。和菓子屋になる選択肢は不思議と考えなかったですね」
幼少期をこう振り返る松野さん。ただ、和菓子や家業を嫌っていたわけではなく、選択肢にも浮かばないほど和菓子が日常に溶け込んでいただけだった。
「3月3日のひな祭りには桜餅、5月5日の端午の節句にはかしわ餅…といった具合に、和菓子屋には日本の暦に合わせていくつも繁忙期があります。そういった時に、桜餅やかしわ餅を葉っぱで巻くような簡単な作業を幼い頃から手伝っていました。おかげで、両親の和菓子を作る姿をずっと見て大きくなりましたね」

店内で姉と一緒に(左が松野さん)。幼い頃から店で過ごし、小学生の頃には店を手伝っていたという
大学進学時は将来的に家業を継ぐことも考えつつ、別の選択肢を見つけてみたい思いの方が強かった。
「進学先を選ぶ上では『世界を広げたい』という思いが強くありました。社会科学部を選んだのも、早稲田の中で幅広い領域を学べる学部だと知って、今はまだ何もない自分にとって何か将来につながるきっかけが見つかるかも、という点が決め手になりました」
「世界を広げたい」という気持ちは、入学後の行動にも表れた。
「早稲田は『学部を横断して学べる』のも魅力ですよね。社会科学部でさまざまな授業を取った上で、他学部の授業もたくさん受講しました。中でも、法律系の授業が特に楽しかった記憶があります。また、周りの友人もそれぞれ夢や志を強く持っている人が多かったので、私も少しずつ感化されました。もっと視野を広げていかないと、と考えながら大学生活を過ごしましたね」

大学3年生の頃、バスケットボールサークルの試合後に撮った後輩との一枚(右が松野さん)
迎えた就職活動期。家業を継ぐべきか迷った松野さんだったが、3代目の父・邦男さんは、娘がそのまま家業に入ることを望んではいなかった。
「私自身迷っていて『お店を継ごうかな』と父に相談したところ、『社会に出ろ』と言われたんです。就職活動から逃げたい中途半端な気持ちもありましたが、学生時代同様にもっと外の世界を知ることが必要だなと改めて思い、就職活動に集中しました」
こうしてインテリア関係の会社に就職。海外向けのマーケティング開発の部署に配属され、外の世界から日本文化を見る経験を重ねたことで、和菓子の魅力を再発見することになる。

「アジア市場に向けて日本文化を発信する機会があり、実家の和菓子を『ジャパニーズ・スイーツ』として紹介したところ、すごく反応が良かったんです。私自身、和菓子はこれから衰退していく産業だと考えていた部分もありましたが、外から見ると可能性がある、と気付くことができました」
和菓子職人をもっと憧れられる仕事にしたい。そんな思いも芽生え、家業を継ごうと決意した松野さん。それでもまだ父からは反対されたため、何度も家族会議が開かれたという。
「昔ながらの職人気質(かたぎ)な世界なので、女性の和菓子職人はまだまだ少ない。そんな業界できっと苦労する、と父は考えたんだと思います。でも、私の心は決まっていたので、もう大げんかです。何度も話し合いをした結果、そのまま店に入るのではなく、『まずは和菓子の専門学校で勉強して、横のつながりや仲間をつくるべき』と言われました。その提案は、私もすごく納得できたんです」

お母さまと共に、店頭に立つ松野さん
伝統を守るためにも進化しなければならない
和菓子職人になるため、松野さんは会社を退職。昼は東京・銀座の老舗和菓子店で修行し、夜は製菓の専門学校に通う忙しい日々が始まった。

東京製菓学校の卒業旅行でパリを訪れた際、実演しながら現地の方々に和菓子を提供したそう
「和菓子の開店準備はどこも早いので、朝6時の電車で出勤。その後、夜学を終えて帰宅すると23時。体はヘトヘトでしたが、和菓子を自分の手で作っていく工程そのものが単純に楽しかったですし、20代は身を粉にして頑張ろうと決めていたので、その気概で何とか乗り越えられました」
2年間の修業期間を終えた2014年、松野さんは全国和菓子協会の「優秀和菓子職」認定審査を受験。何年もかかって合格することも珍しくない審査を、最高評価で一発合格した。

店頭に飾られた「優秀和菓子職認定証」
「腕試しと思って受けたので、自分でも驚きました。この認定をいただいたおかげで、地元のタウン誌に取り上げられ、そこからテレビの取材が来たり、お客さまからも『見たよ』と反応をいただけたりと、反響は大きかったですね」
4代目として、「地元の皆さんに愛される店を目指しています」と語る松野さん。日々の和菓子作りや店舗運営はもちろん、創作和菓子の研究・開発とやるべきことは多い。
「和菓子店はなかなか休めないのが実情です。暦の休日・祝日が繁忙期というのもありますが、ナマモノを扱っているため、店が休みでも仕込みは毎日必要だからです。その意味でも、店を維持するプレッシャーと闘いながら毎日朝早くから勤勉に働き続けてきた父がいかに大変だったか、日々痛感しています」
そんな中でもやりがいを感じるのは、日本文化の担い手としての矜持(きょうじ)があるからだ。2025年の大阪・関西万博では、文化庁主催の和菓子ブースで和菓子作りの実演を披露。「優秀和菓子職」の中で、関東圏からの選出は松野さんただ一人だった。

万博でのデモンストレーションの様子。来場者を間近に、和菓子の作り方や菓銘の由来を丁寧に説明しながら実演した
「万博以外でも、北京の日本大使館で和菓子のデモンストレーションをしたり、日本に来た海外の大学生向けにワークショップを開いたりと、日本文化の一つとして紹介する機会をいただくことは多いです。店舗がある鎌倉は日本文化が好きな人・知りたい人が集まる街なので、和菓子を通した文化発信をこれからもしていきたいですね」
伝統の世界に身を置きつつ、商売としては新しさや変化も求められる日々。「伝統」と「革新」のバランスをどう意識しているのだろうか?
「最近よく考えるのは、伝統を守るためにも進化しなければならない、ということです。例えば、豆の煮方でも、伝統的な製法よりもおいしくなることが科学的に証明された、新たな製法も研究・開発されています。大事なのは、製法を守ることなのか、おいしいものを守ることなのか。新しい知識や技術をどんどん習得していかなければ、おいしい伝統を守れないのではないか、と考えています」

店の厨房(ちゅうぼう)で上生菓子を作る松野さん。練り切りを手のひらで整え、専用の道具で花びらを一枚ずつ形づくり、小さく愛らしい菊を表現した「姫菊(ひめぎく)」を仕上げていく
そのためにも日々アンテナを張り、伝統的な技法や装飾も学んでアップデートし続ける松野さん。学生に向けても、学び続けることの価値を訴える。
「時間があるなら、もう一回大学で学び直したい。学生だった当時も積極的に授業を受けていたつもりですが、もっと頑張って学べば良かったなぁと痛感しています。学生の皆さんもいつかそんな風に思わないように、勉強も友人関係も、ぜひ全力で楽しんでください」
取材・文:オグマナオト(2002年第二文学部卒業)
撮影:橋本 千尋

【プロフィール】
神奈川県出身。2011年、早稲田大学社会科学部を卒業後、株式会社バルス(現・株式会社Francfranc)に入社。2012年に退職し、東京製菓学校和菓子科に入学。2014年に卒業後、家業の「和菓子処 茶の子」である有限会社松埜に入社。同年、全国和菓子協会「優秀和菓子職」に認定される。
和菓子処 茶の子
X:@chanoko_wagashi
Instagram:@chanoko.nishikamakura
Webサイト:https://www.chanoko-nishikamakura.com/











