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東京マラソン出場の難民アスリート・ヨナス選手 早大競走部と合同練習

早稲田大学競走部との寮生活も体験したヨナス選手
「素晴らしい環境で感謝ばかり」

競走部員に教わってWピースで記念撮影(左端が住吉選手、中央がヨナス選手)

大迫傑選手(2014年スポーツ科学部卒)の日本記録更新や、新型コロナウイルスによる規模縮小など、さまざまな面で話題を呼んだ「東京マラソン2020」。このレースではもう一つ、世界に向けて大きく発信された話題がありました。大会初となる“難民アスリート”ヨナス・キンディ選手(39)の出場です。

実はそのヨナス選手、今回の来日では、所沢キャンパスにある織田幹雄記念陸上競技場を事前練習拠点とし、大会前の数日間、早稲田大学競走部のメンバーと共に汗を流して調整に努めていました。ヨナス選手は一体、どんな思いで東京マラソンに挑んだのでしょうか? 大会直前のヨナス選手、そして、所沢滞在中にヨナス選手のサポートを担当した競走部員の住吉宙樹(すみよし・ひろき)選手(政治経済学部3年)に話を聞きました。

難民選手は“希望の象徴”の一員

難民選手団の一員として初出場したリオ五輪(写真提供:UNHCR)

ヨナス選手は東アフリカのエチオピア出身。若手時代から将来を嘱望される有力ランナーでしたが、政治的な理由から迫害を受け、2012年にヨーロッパのルクセンブルクへ。以降、先の見えない難民生活の中、たった一人のトレーニング生活を送ることになりました。

ヨナス選手にとって転機となったのが、2016年のリオデジャネイロオリンピックでした。この大会では、紛争や迫害などの理由で祖国を追われたアスリートにもオリンピック参加の道を作ろうと、史上初めて「難民選手団」を結成。ヨナス選手も選手団の一人に選ばれたのです。

「リオの難民選手団は素晴らしいチームであり、一つの国のようでした。もちろん、一人一人は違う国、違う言葉、違う背景を抱えていて、初めは互いのことを全く知りませんでした。でも、短い時間の中でワンチーム、一つのファミリーのように結束できたんです。難民選手団に選ばれ、“希望の象徴”の一員になれたことは、私にとって誇らしい思い出です」

だからこそ、ヨナス選手には「もう一度オリンピックに出たい」という強いモチベーションがあります。そのための飛躍の契機としても、「東京マラソン2020」への出場は大きなチャレンジでした。

エチオピアの英雄アベベ選手と同じ“TOKYO”で走りたい

競走部と同じ競技場で最終調整

また、ヨナス選手にとって「東京で走る」ということには特別な思いがありました。「裸足のランナー」の異名で知られた祖国エチオピアの英雄、アベベ・ビキラ選手(1932-1973)がマラソン史上初のオリンピック連覇を果たしたのが、1964年の東京オリンピックだったからです。

「祖国の英雄が偉業を果たした東京で走れることがとてもうれしいです」と語ったヨナス選手。こうして東京マラソン開催の5日前、日本で最終調整をするために早稲田大学所沢キャンパスの陸上競技場にやってきました。

「こんな素晴らしい環境はめったにありません。陸上トラックに併設してアスファルト部分も芝生の部分もあるので、状況に応じた練習を積むことができます。今回、私が練習できるように尽力いただいた早稲田大学の関係者には本当に感謝ばかりです」

住吉選手は競走部の中でTOEICのスコアを話題にしていたことから、通訳も兼ねて今回のサポート役として選ばれたそう

そう語るヨナス選手をサポートした一人で、今回パートナーとして近くで接した競走部の住吉選手は、共に汗を流して感じたことを次のように話してくれました。

「月並みな言い方ですが、自分たちが恵まれた環境で練習ができているのは“当たり前なことじゃないんだ”と気付かされました。ヨナス選手は、僕たちが想像もできないような過酷な経験をしながら、今こうして走っています。1秒でも速く走ろうという思いを共有するアスリートとして、逆境に立ち向かう彼の生き様そのものが刺激になるし、勉強になっています。このような人と一緒にトレーニングができる経験なんて一生に一度あるかないか。こちらこそ、貴重な体験をありがとう!と言いたいです」

競走部のメンバーも慣れない英語を使ってヨナス選手とコミュニケーション

ヨナス選手は練習だけでなく、競走部員が暮らす寮で共同生活も体験。東京オリンピックを前に、日本での生活を実体験できたことに大きな喜びを感じたと言います。

「一緒にご飯を食べたり、お風呂で湯船につかったりして、チームのようなリラックスした雰囲気を味わうことができました。日本食もおいしいし、だんだんと箸の使い方が上達しているのを自分でも感じています(笑)。去年、あるジャーナリストから、『日本に行くなら”こんにちは”と”ありがとう”を覚えるといいよ』と教えてもらったのですが、今回の滞在期間中にもっとたくさんの言葉を早稲田の皆さんから教えてもらおうと思っています」

若者にも、難民にもっと寄り添ってもらえたら

では、ヨナス選手から早稲田の学生に伝えたいことは? そう問い掛けると、「難民にもっと興味を持ってほしい」と言葉を続けてくれました。

「難民になる、というのは、自分で選んでなるものではありません。いつ、誰でも、難民になりうる可能性があります。だからこそ、世界中からのサポートが必要なんです。自分の国を離れて違う場所で生きていくのは大変な試練です。仕事だってそうそう見つかりませんし、他国への移動だって大変です。そんな難民の存在や生活を少しでも多くの人に知ってもらい、難民に寄り添ってもらえたら。特に、子どもの難民問題は私も胸がはち切れそうになります。私は走ることで、そんな難民問題について伝えていきたいと思っています」

住吉選手とのインタビュー中にはリラックスした笑顔も見せてくれたヨナス選手

迎えた3月1日、東京マラソン本番。ヨナス選手はベスト更新とはなりませんでしたが、2時間24分34秒で完走を果たしました。新型コロナウイルスの影響で沿道の観客数こそ少なかったものの、スポーツニュースなどを通してその勇姿を目撃し、“難民アスリート”の存在を知った人も多かったはずです。そんなヨナス選手の次なる目標とは?

「東京オリンピックに出場したい。もし選ばれれば、雰囲気、環境、食事にも適応できるよう、しっかり準備していきたいと思います。選考は今年の6月の予定です。今後はその選考に向けて、自分ができる最大限の準備をしていくだけです。仮に選ばれなかったとしても、難民選手団には若い有望なアスリートが大勢います。彼らが、私の思いも代弁してくれるはず。難民選手団について、ぜひこれからも興味を持ってください」

取材・文=オグマナオト(2002年、第二文学部卒)
撮影=髙橋榮

競走部寮で部員と記念撮影(前列左から2人目が住吉選手、中央がヨナス選手)

【ヨナス・キンディ(Yonas Kinde)選手 プロフィール】
エチオピア出身のマラソン選手。政治的理由でルクセンブルクに避難した5年後の2016年、リオオリンピック・パラリンピックの難民選手団の一員に選出。故郷から避難を余儀なくされた難民として、世界の一流選手とオリンピックという舞台で戦うという刺激的な経験は、アスリートとしての成長にもつながった。ルクセンブルクではフランス語の授業を受けながら、生計を立てるためにスポーツマッサージ師として働き、日々記録の更新を目指して努力を続ける。エチオピアで暮らしていた10代からマラソンを始め、故郷を離れた後もトレーニングを続け、ルクセンブルク、フランス、ドイツの大会で入賞を果たす。

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