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『新R25』副編集長「変われることは強み」試行錯誤の日々が今を照らす

なんとなくでも楽しい、でもその先に行くには「熱中」が必要だ

Webメディア『新R25』副編集長 天野 俊吉(あまの・しゅんきち)

「仕事も、人生も、もっと楽しもう。」をスローガンに、R25世代(20~30代)の人生を豊かにする情報や考え方を提供する人気Webメディア『新R25』。毎日のように生まれる話題の企画や記事を取りまとめる副編集長を務めるのが、教育学部出身の天野俊吉さんだ。

2000年代に人気を博したフリーマガジン『R25』(リクルート社発行)時代から編集者として活躍。その後、“紙メディア『R25』の休刊”と、親会社を変えての“Webメディア『新R25』創刊”という、メディア界でも話題となる激動期を経験し、“バズる”企画を生み出し続けている。そのコツはどこにあるのか? 学生時代の思い出と共に話を聞いた。

大事なことは、コンテンツが拡散するイメージまで設計して記事を作ること

日々、情報が溢(あふ)れるWebの世界。玉石混交の記事の中で、有益で話題になるものはほんの一握りだ。にもかかわらず、バズった話題のネタ元は『新R25』だった、ということは珍しくない。

的確に、高打率でヒットコンテンツを生み出す印象が強い『新R25』。だが、2017年の立ち上げ当時はヒット企画に恵まれず危機感ばかりだった、と天野さんは振り返る。実は天野さん、『新R25』編集部の中では、フリーマガジンとして一時代を築いた『R25』編集部時代を知る、唯一の生き残りだ。

「『新R25』立ち上げ当初は、『R25』時代と同じような感覚で記事を出していました。でも、全くウケない。むしろ『R25の劣化コピーだ』と言われたこともありました。編集部も自分自身も、何をやっても手応えがありませんでしたね」

紙メディア『R25』時代に天野さんが編集を担当した企画。読者目線に立った企画立案の基礎はこの時代に培ったものだという

そんな苦しい立ち上げ期に見つけた光明は、グラビアアイドル倉持由香さんへのインタビュー記事だった。

「大事だったのは、コンテンツが拡散するイメージをちゃんと持って記事を作る、ということ。それを意識的にやって初めて成功したのが倉持さんのインタビュー記事でした。記事内容そのものに関しても、単に学びがあるだけではダメ。意外性があるだけでもダメ。意外性があって学びもある、その2つが備わって、かつそれが拡散するイメージまで設計していけばちゃんとヒットするんだ、という手応えを掴(つか)むことができたんです」

この記事をきっかけに、広く拡散されるための「逆算での記事作り」ができるようになったという。

「経験を重ねると、なんとなく手癖で作ってしまうことも少なくありません。でも、どんなコメントが付いてリツイートされるのかをイメージし、そこからの“逆算での仕掛け”をどうすべきか、ということを考えるようになりました」

なんとなく、ではなく、明確なイメージを持ってコンテンツを生み出し続ける天野さん。だが、学生時代を振り返ると、大学選びも就職先も「なんとなくで決めてしまいましたね」と、今とはギャップのある答えが返ってきた。

「早稲田を志望した理由も明確なものはなく、よく読んでいた村上春樹のエッセイによく早稲田の話が出てきて、なんとなく親近感があったんです。自分に合いそうかな、って」

こうして始まった早稲田での学生生活。熱中したのは大好きな草野球と、バンドサークルでの活動の日々だった。

「サークルでの一番の目標は、早稲田祭での合同ライブへの出場権を勝ち取ること。毎日のように学生会館の地下で練習をして、バンドのことばかり考えていました。その甲斐あって、3年次の早稲田祭では、合同ライブのトリを務めることができました」

早稲田大学や編集者という仕事が身近になったという1冊「村上朝日堂の逆襲」(村上春樹・安西水丸著、新潮文庫)

音楽と野球に明け暮れた学生生活から、いよいよ就職活動へ。天野さんが目指したのは出版業界だった。

「何かの本で、『三番目に好きなことを仕事にしよう』といった内容を読んだことがあったんです。僕にとって一番と二番は音楽と野球。三番目に好きなのは本かな、と。それこそ、村上春樹のエッセイにはよく編集者みたいな人が出てきて、遊ぶように仕事をしていました。その描写がすごく楽しそうだなと思って、安易な気持ちで出版業界を選んで、唯一採用された会社に深く考えずに飛び込んでしまいました」

「人はいつまでも変われる」、そして「変われる人は強い」

出版業の中でも編集職を希望していた天野さん。だが、最初に勤めた会社で待っていたのは、出版営業として地方を回る日々だった。

「全然やりたくなかったのに、なぜか営業は結構できたんです。目標300%達成、といったことも最初のうちはありました。でも、だんだんと、自分自身が熱中もせずに本を売っていることが周りにバレていったんです。やっぱり、自分が熱中できることじゃなきゃダメだなと思って、最初のボーナスで編集の学校に通ったり、出版業界のさまざまな人に会って話を聞いたり…。今思えば、だいぶ試行錯誤していましたね」

こうしてたどり着いた舞台こそ、リクルート社時代の「R25編集部」だった。

「編集の知識も経験もゼロで入ったので、最初はミスばかり。Wordの変更履歴をそのまま入稿して文章がダブったまま記事が公開されたりと、失敗談は数え切れないほどあります。でも、とにかく夢中で過ごした5年間でした。年齢も25歳から30歳。『R25』として狙うターゲットと重なるから、企画会議はいつも楽しくて刺激的だったし、みんな深夜まで残って記事を作って、夜中の3時くらいから飲みに行くとか、めちゃくちゃ楽しいじゃないですか。バンド時代に次ぐ、第二の青春時代でした」

だが、人気メディアでも避けては通れない出版不況の時代。フリーマガジンとしての『R25』は、発行する度に赤字という危機的状況を迎え、2015年についに紙メディアの休刊が決定。2017年にはWebメディアでの配信サービスも終了することとなり、その後、サイバーエージェント社が運営するバイラルメディアとのブランド統合を経て、『新R25』が誕生した。

(左)年1回開催されるサイバーエージェント全社総会では、社員の活躍に対して表彰が行われているそう。その「誉れ」を目標とする社員も多いという
(右)同総会で『新R25』は「ベストプロダクト賞」を受賞。そのお祝い会にて(天野さんは前から2列目中央)

人気メディアがなくなり、そして別の会社で新規事業として立ち上がる。そんな稀有(けう)な経験を経て、天野さんが学んだこととは何だろうか?

「この経験を通して良かったなと思うのは、『人はいつまでも変われる』、そして『変われる人は強い』ということが分かったことです。多くの場合、『自分は変えられない』と思いがち。実際、自分もそうでした。そりゃ、プライドがあるし実績もあるがゆえに、新しいことを受け入れられない。その結果、『僕は今までこうしてきた』と過去の体験に固執してしまう。でも、それじゃダメだということを、『新R25』の初期に学べたおかげで、今、なんとかやれているのかなと思います」

在学生に伝えたいことも、この「人はいつまでも変われる」ということだった。

「実は僕、在学中は愛校心も何もなかったんですけど、卒業式で校歌を聴いたとき、とても感動したんです。今でもめちゃくちゃたまにですけどYouTubeで早稲田の校歌を聞いてますから(笑)。たぶん、校歌の3番の歌詞にある『集り散じて人は変れど』の部分が刺さったんです。本当にそうだなと思って。『卒業してからも人は変われ!』と。母校愛ゼロだった男がこんなにも変われるんだから、学生の皆さんはまだまだ何者にもなれるはず。まずは、自分が没頭できるもの、自己肯定できることを見つけてみてください。その先に、自分の向いていることが見つかるんじゃないでしょうか」

取材・文=オグマナオト(2002年、第二文学部卒)
撮影=小野 奈那子

【プロフィール】

月1回行われる社内総会では「ベストプレイヤー賞」を受賞したことも

東京都出身。2010年教育学部国語国文学科卒業。新卒として入社した出版会社で出版営業を経験。2012年にリクルート社発行の『R25』編集部へ。2017年、『R25』の休刊に伴い、サイバーエージェントが運営母体の『新R25』編集部へ。現在、副編集長を務める。好きなスポーツチームは、野球が横浜DeNAベイスターズ、サッカーが横浜F・マリノス。

Twitter:@amanop

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