

この夏、112年にもおよぶ歴史に幕を閉じたそば屋「三朝庵」をはじめ、洋食店「エルム」(2016年)や、ラーメン店「西北亭」(2017年)、「ラーメンジャンボ」(2015年)、「天ぷら いもや」(2017年)、そば屋「長岡屋総本店」(2018年)といった早稲田を代表する老舗が続々と閉店。一体、ワセメシはどうなってしまうのか…?
変わりゆく早稲田の食。新興の油そば店「武蔵野アブラ学会」、ワセメシを象徴する存在である「メルシー」、そして老舗「昇龍軒」の味を受け継いだ「かわうち」を取り上げた前編に続き、後編では早稲田キャンパス西門のほど近くで半世紀以上にわたって営業を続けている「三品食堂」店主で、早稲田大学周辺商店連合会会長の北上昌夫さんと、かつて「チョコレート+とんかつ」という有り得ない組み合わせで学生たちを魅了した「とんかつ フクちゃん」元店主・金刺正巳さんの対談が実現。
誰よりも深く早稲田の街を、ワセメシを知る2人は、どのようなまなざしで学生たちを見つめてきたのだろうか?

「ワセメシ」を代表する店舗の一つである三品食堂は、一体どのような経緯から始まったのでしょうか?
- 北上
-
1965(昭和40)年に食堂を始める前は、この場所で帽子屋をやっていたんです。学生帽を扱っていてね。しかし、だんだんと学生たちが帽子も学ランも着ない時代となり、父親は帽子屋を廃業して勤めに出るようになった。
そこで、空いてしまった店をもったいないと感じた母親が牛めし屋を計画したんです。ただ、牛めしだけではすぐに学生たちに飽きられてしまう。そこで、牛めしの他にカレーとカツライスを提供する三品食堂をオープンしました。
創業当初から、今も続く3品を作り続けていたんですね。
- 北上
- 今では30通り以上のメニューがありますが、その全てがこの3品の組み合わせ。最初は、お客さんから「カツライスに牛をかけてほしい」というオーダーから「かつ牛めし」が誕生しました。

- 次に、かつ牛めしを食べているお客さんから「カレーをかけてほしい」と頼まれて、「ミックス」というメニューができた。お客さんの要望に応えながら、メニューが増えていったんです。
2代目である昌夫さん自身がお店に立つようになったのはいつ頃からなのでしょうか?
- 北上
- 私がお店に入るようになったのは、1990(平成2)年から。実は三品の看板キャラクターである牛の絵も、私が店に入ってから自分で描いたんですよ。

あの牛は自作だったんですか!? ところで、半世紀以上にわたって愛されている三品食堂には、やはり、OB・OGの方も数多く来店しているのでしょうか?
- 北上
- 土曜日や会社が休みのときにはよく来てくれますね。それに稲門祭の日は、懐かしんで来てくれるOB・OGたちで賑(にぎ)わいます。そのため、どのメニューも作り方を一切変えず、母親から継承された通りの味を、53年間守っているんです。やっぱり、愛されてきた味を変えてしまったら、OB・OGたちが三品食堂に来る意味をなくしてしまいますからね。
懐かしんで訪ねてくれるOB・OGのためにも、三品の味を守らなければいけないんですね。
- 北上
- ただ、OB・OGの中には、年をとって肉が食べられない、という人も多い。「学生時代は金がなくて食べられなかったけど、今は体調のせいで食べられない…」と嘆く声が聞かれます(笑)。
早稲田の三大“油田”(※)と呼ばれることもある三品食堂の味は、年をとるとなかなか苦しそうですね(笑)。一方、フクちゃんは1970年から2004年まで30年以上にわたって、やはり西門通りで営業をされてきました。なぜ早稲田でお店を始めたのでしょうか?

- 金刺
- 初めはサラリーマンをしていたんですが、性に合わなかったために退職したんです。そこで、叔父が中央大学の近くで食堂を営んでいたこともあり、学生街に食堂を出そうと思って探したら、ちょうど早稲田に空き物件を見つけた。そんな経緯から「とんかつ フクちゃん」を始めたんです。
フクちゃんの名物と言えば、豚肉とチョコレートという異色の組み合わせを一緒に揚げた「チョコとん」でした。なぜ、このメニューが生まれたのでしょうか?

- 金刺
- これは偶然に生まれたんだよね。一番下の子どもが小学生のとき、学校から帰るとご飯を食べずにお菓子を持って友達の家に遊びに行ってしまう。そこで、とんかつの中にチョコレートを入れて食べさせたんです。
そうしたら、当時雇っていたアルバイトの子から「これはいい!」と絶賛され、お店に出すことになりました。私は「こんなの売れるわけない」と思っていたけど、これが好評を博して有名になっちゃった(笑)。
お菓子好きだったお子さんにご飯を食べさせるために「チョコとん」が生まれたんですね。
- 金刺
- そうそう。それと実は私、肉が全然食べられないんだよね。
えっ、そうなんですか!?
- 金刺
- 生まれてこの方、肉を食べたことがない。もし肉を食べられたら、こんなメニューは作らなかったと思いますよ(笑)。

では、もう一つの看板メニューであるチーメン(チーズ入りメンチカツ)は?
- 金刺
- 昔のことだから生み出した経緯は忘れちゃったけど、これはとても売れましたね。半分くらいのお客さんがチーメンを食べていたんじゃないかな。こっちはとても自信があった。けれども、チョコとんに関しては、全然自信なかったんですよ。
- 北上
- でも、閉店から14年もたっているのに、いまだに「チョコレートを入れたとんかつがあったんですか!?」と聞かれるよ。その度にうちじゃないよ、って言うんだけど(笑)。今の学生たちの間にも、うわさとして残ってるんだね。


2004年、フクちゃんは34年の歴史に終止符を打ち、閉店することになります。なぜ閉店を決意したのでしょうか?
- 金刺
- うちの場合、子どもが後を継がなかったので、いつかは辞めようと考えていました。ただ、客足が落ちて閉店するのは悔しいじゃないですか(笑) 余力があって、惜しまれながら閉店したかったんです。そんなとき、早稲田大学漕艇部の顧問から寮で学生の食事を作ってほしいとお願いされて。そこで、店を閉めることを決断したんです。

閉店することが明らかになり、周囲からはどんな反応があったのでしょうか?
- 金刺
- 閉店を発表する前にたまたま新聞の取材があって、うっかり閉店のことをしゃべっちゃったんだよ。そしたら、全国から「辞めるんですか?」と、電話が鳴りやまなかった。また、閉店する1カ月前に閉店を知らせる紙を貼ったところ、学生たちが「うそっ!」とびっくりしていましたね。
同じ西門通りで営業をする三品さんとしては、フクちゃんの閉店を知り、どのような気持ちだったのでしょうか?

- 北上
- やっぱり寂しかったですよ。特に、西門通りの商店会は、ライバルとしてしのぎを削るというよりも、支え合ってお客さんを呼んでこようという雰囲気。私は商店会の役員をやっていたこともあり、フクちゃんが辞めると知ったときは喪失感がありましたね。
漕艇部の寮で料理を作っていた頃にも、やはりチョコとんは愛されていたのでしょうか?
- 金刺
- いや、あれはフクちゃんの味だからね。頼まれても、寮では絶対に作りませんでした。だから、2011年に稲門祭で復活したときはOB・OGがとっても喜んでくれてね。あれはうれしかったなあ。

金刺さんにとっても、やはりチョコとんは思い入れのある特別な料理だったんですね。ところで、近年、早稲田の老舗と呼ばれる店舗が後継者不足を理由に続々と閉店しています。この状況についてはどのように感じていますか?
- 北上
- 早稲田の名物のような店がなくなるのは本当につらいね。老舗はどこも後継者の問題を抱えています。やっぱり「後を継ぐ」というのは簡単なことではないからね。
北上さんも、店を継ぐにあたっての葛藤があったのでしょうか?
- 北上
- 私も金刺さんと同じく、店を継ぐ前はサラリーマンだったんです。店を継ぐかどうかを迫られたときには、三品を残したいという気持ちと、サラリーマンとして20年間築き上げた地位を捨てることの間で悩みました…。
そんなときに決め手になったのは、たくさんのOB・OGたちが三品食堂を訪ねてくれたこと。卒業してから何年もたっているのにお店に足を運んでくれて「早稲田に来たときに寄れる店がある」と言ってくれるんです。そんな声を聞いて「三品食堂はなくすべきではない」と強く感じましたね。

OB・OGの愛が、店を継ぐことを決心させたんですね。ところで、現在、三品食堂には後継者はいるのでしょうか?
- 北上
- いえ。うちには娘がいて、三品食堂のLINEスタンプを作ってくれたりしてくれていますが、店を継ぐということは考えていない。ただ先日、学生と飲み会をする機会があったんだけど、ある学生が酔った勢いで「俺が養子になって三品食堂を継ぐ」と宣言していましたよ。
頼もしい(笑)。
- 金刺
- ただ、早稲田は利潤を上げる街ではないから、他の人には厳しいかもしれない。学生は昼食にお金を使いませんからね。収益に結び付きにくいんです。
- 北上
- それに、最近は早稲田にも駅周辺はチェーン店が増えているし、大学内にもコンビニなどの施設が充実している。かつてに比べると、だんだんと営業は苦しくなっていますね。
お店の売り上げは、大学内の環境にも左右されてしまうんですね。
- 北上
- 一番売り上げに響いたのが30年くらい前の昼休み短縮でした。かつては90分だった昼休みが、50分に短縮されてしまったんです。50分のうちに外に出て食べて、次の授業に行くというのは大変ですよね。だから、学生の客足が激減してしまう…。商店会でも、大学に「昼休みを長くしてほしい」と要望を出しているんですが、なかなかうまくいかないのが現状です。


お二人は、長年、西門通りのお店から学生たちを見続けてきました。昔に比べて、学生たちの変化は感じられますか?
- 金刺
- 賢い学生が増えた印象ですね。
- 北上
- 慶應化しているのかな? 昔の学生はバカばっかりでしたよ(笑)
- 金刺
- 「大阪太郎」って覚えてる?
- 北上
- いたね!

- 金刺
- ピンク色の学ランを来て、唐草模様の風呂敷を背負って歩く学生がいたんです。1980〜90年代くらいだったかな。この大阪太郎と一緒にいたのが、「早稲田乞食(こじき)」という男。帽子も学ランもつぎはぎだらけでいつも素足でした。この2人は、いつもセットで歩いていたんです。確か、8年生まで在籍していたんじゃないかな。
絵に描いたようなバンカラ…。一度見たら忘れられないコンビですね。
- 北上
- 昔はね、そんな変わった子も多かったけど、その代わりにとても人懐っこかったんだよね。話しやすく気取らない雰囲気があった。僕にも「おじさん」と気軽に声を掛けてくれました。それに比べると、今の学生は礼儀正しいけど、ざっくばらんな雰囲気は減ったかな。
早稲田の街の様子も、今とは違ったのでしょうか?
- 金刺
- 昔は活気があったよ。お昼なんて歩けないくらいの人混みだった。
- 北上
- かつてはコピーを取るにしても大学の外に出なければならなかった。そのため、休み時間になると西門通りが人でごった返していたんです。今、三品食堂の周りにはお店がほとんどありませんが、当時はラーメン屋、喫茶店、将棋屋なんかが軒を連ねていて、すごく賑やかだったんですよ。

やはり、往時に比べると、街は衰退してしまっているんですね…。
- 北上
- ただ、それを嘆いてばかりいてもしょうがない。商店連合会では2015年から、早稲田キャンパス7号館の中に「マチェリア」という商店会のアンテナショップを設け、街の飲食店が作るお弁当を販売しています。ここで、それぞれの店の味を知ってもらい、学生たちにお店にも足を運んでもらえればと考えているんです。
マチェリアで販売されているお弁当は、480円と低価格ながら、フタが閉まらないほどのボリュームで大人気です。
- 北上
- 1日でおよそ300食以上のお弁当を販売しています。学生だけでなく教職員にもとても喜ばれていますね。

商店会と大学が緊密に連携しているんですね。
- 北上
- 商店連合会と大学側とでは、年に2回懇談会をしながらいい関係を保っています。他の大学ではそういう事例は聞いたことがありませんね。また早稲田祭の運営スタッフなんかは商店会と学生の親睦会を企画して、街と学生仲良くなるきっかけを作ってくれる。それによって学生と商店会のつながりができて、お店に来てくれたり、イベントがあると手伝ってくれるようになるんです。
恐らく、こんなに商店会と大学と学生が密に連携しているのは早稲田くらいではないでしょうか。総長も「一緒に街をつくるパートナー」として、さまざまな活動に協力してくれています。
- 金刺
- 飲食店の立場から言えば、早稲田で商売をするためには、絶対にこの街が好きじゃないとできません。そもそも安い価格に設定しなきゃ学生は食べられないし、夏休みや春休みの期間は学生の数がぐっと減ってしまうから、年間180日程度しかまともに営業できない。
利益だけを優先したら絶対に成り立たない街なんです。でも、だからこそ、早稲田の街を愛する店が、学生から愛される店が、まだこんなに老舗として長く生き残っているんですよ。

- 取材・文:萩原 雄太
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1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。
http://www.kamomemachine.com/
- 撮影:加藤 甫
- 編集:横田大(Camp)