Waseda Weekly早稲田ウィークリー

「誰も知らない“是枝先生”」インタビューVol.2 是枝監督が“記述した世界”の軌跡

反抗心むき出しの会社員時代 カメラを通じて“ 世界”を学んだ

是枝裕和“先生”をクローズアップしてきた連載も、いよいよ最終回。第3回となる今回は、是枝教授の“監督”としての顔に迫ります。映画漬けだった学生時代から、テレビドキュメンタリーを経て、念願の映画監督に至るまでの軌跡。是枝監督がこれまで“世界”をどう捉え、どう記述してきたか。最新作『海よりもまだ深く』の製作秘話とともにお話しいただきました。

――是枝監督は学生時代から映像、映画に関わる仕事を目指されていましたが、当時、撮りたかったものとプロになってからの撮りたいものは、変わりましたか?

うん、変わりましたね。学生のときは“映画を見て、映画を撮ろう”と思っていたので、脚本も誰かのまね。でも、ドキュメンタリーを経由した今は、もう少し一般の人たちの暮らしに寄り添うようなものを作りたい。そう考えるようになりましたね。

――ドキュメンタリーは、監督が大学卒業後に入社された(株)テレビマンユニオンで、演出家として仕事をされていた中で巡り合った題材ですね。なぜドキュメンタリーを手掛けるようになったのですか?

実はテレビマンユニオン時代は、チームで作品が作れない状況だったんです。そこで、「一人で作れるものは何だろう」と考えた結果が、ドキュメンタリーだったんですね。非常にネガティブなスタートでしたが、やってみたら面白かった。結果そこから芽が出て、今につながっています。

――実際、テレビドキュメンタリーを撮られたことで、是枝監督ご自身にも変化がありましたか?

世の中は複雑だ、と思いましたね。自分が思うよりもずっと複雑で、豊か。知らないことがなぜこんなに多くあるのかと。

――カメラを通じて、世の中を知ったということですか?

取材を通して、という非常に限定的な形ではありますけどね。映画館にしかいなくて、社会を全く知らなかった僕は、20代後半から30代にかけて、そこで随分鍛えられました。生活保護、福祉、公害、在日朝鮮人問題、同和問題など社会問題も扱いましたし、長野県伊那小学校の教科書を使わない総合学習の現場に3年通って1本の番組を撮る、という幸せな題材もありました。

「ここは自分の居場所ではない」
でもテレビを経たことは間違いではなかった

――ドキュメンタリー、ノンフィクションの世界から、次に是枝監督は映画監督としてフィクションの世界に再び戻られますね。

それはやはり、もともと映画が撮りたかったからです。会社ともめていた時期に、自分で脚本を書いて外部のプロダクションやプロデューサーに企画の持ち込みもしていました。初めから30歳までにテレビ業界を辞め、独立して映画監督になろうと思ってましたから。「こんな会社はいつでも辞めてやる!」という気概があったのだろうと思います。

――よほど切羽詰まっていたんでしょうか。

そう、切羽詰まってましたね。ここは自分の居場所じゃないと思っていました。今はね、自分が大したもんじゃないとだいぶ分かってきたから、周りに優しくできますけどね(笑)。とはいえ、実は最初の監督作品(『幻の光』1995年)は、テレビマンユニオンに籍を残しつつ撮っているので、大きく何かが変わったという気はしませんでした。普通の監督へのなり方とは、ちょっと違いましたね。

――ドキュメンタリーを経たことで、撮りたいと思う作品は変わっていった、と。

そうですね。(是枝監督の撮る映画も)ドキュメンタリーのように、“ カメラがその場所にお邪魔して、日常を切り取ったもの”を、理想として考えるようになったと思います。でも、映画を見倒していた学生の頃も、好きだったのはイタリア・ネオリアリズム。もともとドキュメンタリーに近かった気もしますが、テレビを経由したのは間違いではなかった、という確信はあります。

――是枝監督の場合はドキュメンタリーでしたが、最近は映画業界もテレビ出身の監督が増えていらっしゃるように感じます。

そうですね、増えたと思いますよ。テレビシリーズを撮って、そのスペシャル版が劇場映画になるのが当たり前になってきた。その全てを“ 映画””と呼ぶかどうかはともかく(笑)、以前と比べてテレビと映画の垣根はなくなりましたよね。

カメラは常に“ 世界”を向いている それが小説やアートと映画の違い

――その意味では、“ 映画の見方”が若い人の間で変わってきたように、“監督”というものへのなり方、在り方も変わってきているのかな、と。また映画監督にはさまざまなタイプがいますよね。非常に作家性の高い方、職人かたぎな方。是枝監督はご自身をどちらだと思われますか?

自分では職人だと思っています。作家ではなく、ディレクター。どこが違うんだ、と聞かれると説明は難しいんですけどね。例えば外国に行くと、監督は作家だからこそリスペクトされます。自分の中から作品を生み出す人として。でも映画が、小説や美術作品と決定的に違うのは、カメラが自分の方を向いていないこと。カメラは常に“世界”のほうを向いている。そこで監督ができることは「“世界”をどう記述するか」でしかないんです。撮られるべきものは私の中ではなく世界の側にあり、それを発見していくのがカメラ。そう考えると、監督というのは、僕がドキュメンタリーのディレクターとしてやっていた「自分の知らないことにカメラを向ける」ことと、そう変わりはない。撮っているものがフィクションだとしてもです。

――カメラを向けている相手が、無名の誰かではなく役者なだけだと。

うん、そうですね。ただし脚本を書いている自分は、たぶん作家の自分。でも監督として現場で演出しているときに心掛けるのは“発見”です。目の前の役者のいい部分を、どう引き出してあげられるかです。そこは職人、料理人の目。素材をいかにおいしく食べてもらえるようにするか。大切なのは素材であって、料理人である自分じゃない。だからキャスティングこそが、最も大事なんですね。

――キャスティングはどのように決めているのですか?

それも、料理人が築地で食材を探すのと一緒じゃないですかね。自分の想像力を刺激してくれるものが一番いいですし、さらに言えば組み合わせ。掛け合わせて一番おいしい料理をつくれる職人が、監督だと。

――でも脚本を書いているときは、作家なんですよね?

だと思います。でも私小説じゃないから、ドキュメンタリーのリサーチとそんなに変わらない気もするんですよ。映画でも、原作があろうとなかろうと取材はしますしね。『海街diary』なんかも実際に3姉妹、4姉妹の方に取材をして反映させました。

脚本と演出は、記憶・観察・想像力 最新作は、亡き父との“記憶”から

――最新作『海よりもまだ深く』は、是枝監督が原案・脚本・監督を全て手掛けており、監督ご自身の団地暮らしの経験が、着想にも色濃く反映されたと伺っています。そういう意味で言うと、かなり作家的な部分が多いのではないでしょうか。

そうですね、比較的。脚本と演出のやり方というのは、“記憶”と“観察”と“想像力”の3つをどう組み合わせるかだと思うんです。作品ごとにバランスは変わりますが。その意味では『海よりもまだ深く』は“記憶”のバランスが高いですね。

――そもそも、『海よりもまだ深く』を書こう、撮ろうと思われたきっかけは?

脚本の基となるノートをつけ始めたのは2009年。『歩いても 歩いても』(2008年)を撮り終えたとき、もう一度、家族の話を樹木希林さんと阿部寛さんでやりたい、と思ったのがきっかけです。なので最初からノートにも、希林さんと阿部さんで当て書きして、僕と母親や父親、僕と僕の子どもとのエピソードなどを書きためていました。

――とても身近なエピソードが盛り込まれているんですね。

確か最初に書いたシーンは……夜中、仏壇に線香を立てようとしたけど刺さらなくて、よく見たら線香立ての灰の中に、燃えかすになった短い線香が山のように埋まっている。「うわ、何年掃除してないんだよ」と思いながら、古新聞を広げてカップ麺の割り箸の中に入っているつまようじでより分け、割り箸で1本ずつつまんでいたら、おやじの葬式のお骨あげを思い出した、という話ですね。僕の父親は小柄なのに丈夫な人で、骨つぼに骨が入りきらないほど焼け残った。葬儀場の人がそれを褒めてくれたんですよ。骨が丈夫かどうかなんてどうでもいい話なんですけど、息子である僕としては、なぜかそれがちょっとうれしかった…というエピソードなんですけど。

――亡くなられたお父さまの“記憶”ですね。

うちの父親はシベリア帰りで、その過去が彼に暗い影を落としていたからか、なかなか人生が思うようにならなかった。だから線香のかけらを拾いながら、「この人は、送りたかった人生を送れたんだろうか」とあらためて疑問を持った。それが、この映画の出発点でした。

――ロケも是枝監督が少年時代から大学卒業後も暮らしていた、東京都清瀬市の旭が丘団地で行われたとか。

実はそれは偶然でした。特に最近は、居住者の許可取りも含めて、団地での撮影許可って非常に下りにくいんです。団地で撮影したいと言うと製作会社も頭を抱える(苦笑)。で、実は監督がこの団地の出身で、この団地でなければ撮りたくないと言っていると、ちょっとオーバーに交渉して(笑)。撮影許可が取れた団地が、たまたまそこだったんですね。でも結果的に、あそこで撮れてとても良かった。脚本はもちろん、旭が丘団地の風景ありきで書いてますから。脚本を書きながら思い浮かべていた風景と、目の前の風景にブレがないのは、映像としてもいいことでした。

――まだ気が早いかも知れませんが、今後はどのような作品を撮られる予定ですか?

いくつか構想はあるんですが、少し社会派、ハードな題材に向かいたいなと思い始めているところです。ここ数年はホームドラマ的な作品が多かったので、少し離れてみようかなと。ただ問題が一つあって…毎週の講義がね(笑)。去年の『海街diary』も今年の『海よりもまだ深く』も、撮影自体は2014年に終わっていたものなので、もう作品のストックがないんです。早稲田の講義と本職を、うまくやりくりしていきたいですね。

――では“是枝先生”としては、今後、早稲田の教授としてどのような構想が?

こうして、現役の人間が作りながら教える状況がせっかくできたので、僕が担当している基幹理工学部以外で同じように映画、映像を教えている先生方と、何かしら連携できたらいいですね。学部をまたがる連携はなかなか実現は難しいでしょうが、学生にとってより良い環境を作っていけたらと思います。

プロフィール
是枝 裕和(これえだ・ひろかず)
映画監督。1987年早稲田大学第一文学部卒業。2004年、『誰も知らない』が第57回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、主演の柳楽優弥氏が史上最年少の14歳で最優秀男優賞を受賞。『そして父になる』(2013年)では、第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員賞受賞。2014年4月、早稲田大学理工学術院教授に就任。2015年は『海街diary』が同映画祭同部門に正式出品された。最新作『海よりもまだ深く』が2016年5月21日より公開。


『海よりもまだ深く』
2016年5月21日(土)丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他 全国ロードショー
©2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/inst/weekly/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる