Waseda Weekly早稲田ウィークリー

『半分、青い。』北川悦吏子 受け入れも、乗り越えもしない共存という生き方

「失聴と空が呼応」ひらめきから生まれたタイトル

1971年に生まれた楡野鈴愛(にれの・すずめ、永野芽郁さん)のおよそ半世紀にわたる人生を描いた、NHKの連続テレビ小説『半分、青い。』。病、挫折、裏切り、別離…。降りかかってくる数々の試練に立ち向かいながら、鈴愛は同じ日に同じ病院で生まれた萩尾律(はぎお・りつ、佐藤健さん)とある発明をしていく。

9月29日の最終回に向けて衝撃展開が待っているという本作を手掛がけた、脚本家・北川悦吏子さん(早稲田大学第一文学部卒業)のインタビュー。前半では、鈴愛のようにもがいていた学生時代、脚本家としての目覚めなどを、ドラマのエピソードと重ね合わせながらお聞きしましたが、後編では幼いころから腎臓の病気を患い、左耳の聴力を失い、国指定の難病に冒され、壮絶な闘病生活を送ってきた北川さんに、困難との向き合い方を伺いました。

撮影:萩庭桂太
#1 写真:2017年2月、NHK放送センターで行われた『半分、青い。』制作発表に出席した北川さん。約1年半をかけて全156回の脚本を書き上げた(共同通信)

『半分、青い。』にはどのような意味があるのですか。

北川
私は左耳が失聴していて、傘を差したときに「右側は雨が降っている、左側は降っていない」と思ったんですね。そのときになぜか『半分、青い。』というタイトルが浮かんできました。空と呼応したのかなと思うのですが「このタイトル、いいな」と我ながら思ったところからのスタートでした。

具体的に意味を持たせたタイトルではなかっただけに、「まだまだ人間として青い」という意味に取って『半分、青い。』と言う人もいるし、「鈴愛と律を合わせて全部が青になるのかな」とか、いろんな人がいろんな思いを託しているようです。当初は感覚的につけたものでしたが、結果的に皆さんが「どういう意味なのかな」と考えられる、いいタイトルになったと思います。

『半分、青い。』のヒロイン・鈴愛は、北川さんと同じく左耳の聴力を失うという設定です。北川さん自身、失聴だけでなく、大変な難病も経験されていますが、病気をどのように受け止めて、どのように乗り越えていったのでしょうか。

北川
私の中では「左耳が聞こえないこと」はつらさの順位が低くて、仕事でも窮屈に感じるようなことはありません。でも、もし大学生だったらみんなのおしゃべりが聞こえなくてつらい、ということもあるかもしれません。また、もし会社員だったら…とか。何がつらいかは人によって全然違いますよね。私は幸い物書きなので一人でいる時間が長いし、自分を快適なところに持っていくように心掛けてきましたので、片耳が聞こえないことであまり不都合は感じていません。

私は病気を受け止めてもいないし、乗り越えてもいないんですよ。完治することがない病気だとすると、共存するしかないですから。背負っているものとの折り合いは、なかなか付きません。そうすると、24時間の中でどれだけ病気のことを忘れて、ハッピーになれる時間を作るかを考えるしかなくなります。

で、私にとっては多分、仕事が一番夢中になれることなんだろうと思っています。病気はただそこにあって、ジタバタし続けるしかないわけで、でも、「仕事」という視点を持ってくると、片耳失聴していることによって、『半分、青い。』というタイトルが浮かんできて、今回のドラマにつながっていったり、まあ、悪いことばかりではないわけです。
「9歳になった秋、私は左耳の聴力をなくした。私の世界は半分になった」。母の前では泣かなかったが、律の前では「泣くときが見つけられんかった」と涙を流した鈴愛。「でも本能が生きようとした。世界を楽しもうとしていた」と、鈴愛は持ち前の明るさを失わずにすくすくと育つ…。

「自分を快適なところに持っていく」方法とは?

北川
例えば難病の場合は、病気を治すことに躍起になるより、多分他に気持ちを持っていけるものを見つけたほうが早いんじゃないかなと思うんです。鈴愛ちゃんも耳が聞こえないから、打ち合わせの段階では、聞こえないほうの耳を聞こえるようにするものを律君が発明する、なんて話が出たりもしたのですが、おそらく鈴愛の幸せはそうではないんです。耳が聞こえないことすら忘れるほど、何か集中できるものを見つければ、彼女は幸せだと思うんですよ。その一つが漫画だったのだろうと思います。

それに、そもそも病気に関わらず、将来の不安とか人間関係とか、どうにもならない状況にいる方って多いのではないでしょうか。若い子だったら学校で問題を抱えてもすぐに転校できるわけではないですし、親が年をとれば介護の問題が生まれる。その場で頑張るしかないというときに、どうやって共存していけばいいのか? 知恵を絞って自分なりに自分を守る必要があるのですが、どんなときも生きやすくする方法はあると思っています。

鈴愛が言ったように、この世は自分用にできていないので、仕方がないんですね。私にとっては仕事をすることがその方法でした。確かに仕事をすると体にダメージもあるのですが、何もせずにただ恐れているよりは全然いいのではないかと思っています。
「きっと、何かやりようはある」希望を持つしか道はない
漫画家の道は諦めたが、結婚して娘も生まれ、生活は苦しいながらも幸せを感じていた36歳となった鈴愛。しかし映画監督の夢が諦められない夫・森山涼次(間宮祥太朗さん)から突然、予想外の別れを切り出される。

「退路は断ちたい。この先、何本も撮る。そのためには生活は不安定になる。家族は邪魔になる」。「もう若くないんだよ! 親なんだよ! あほ、ばか!」。家を出て行った夫を連れ戻そうと、鈴愛は「今も好きで好きで仕方ない。涼ちゃん、帰ってきて」と押しかけるが…。漫画家の夢を追ったかつての自分のような夫から、妻子ともに捨てられることとなった。

自分自身の闘病経験や入院生活があったからこそ、湧いてきたものはあるのですか。

北川
ほとんどそうですね。『ビューティフルライフ』(※1)は、難病を発病したときに書いていました。病院でもらった薬の袋の裏にバーっとせりふを書いて。それまでに考えていた企画もひっくり返しました。「…ああ、リアルってこうだよ」と思って。やはり自分の生活のどこかで感じたことが、作品に出ていくのだという気がしています。そこはちょっと切っても切り離せないですね。

病気のことは何年か前に『AERA』で公表(※2)しました。家族に相談したら、夫が「別にいいんじゃない、公表しても」と。多分もう病気と私は切っても切り離せないものだから、それ込みで私ということだから、と言っていました。「私」と「病気」と「書くこと」は、全部つながっています。もし元気だったら、違う人生だっただろうし、書いているものも違っただろうし。 “そっち側”の人生は全く、想像がつかないですね。

※1 2000年にTBS系列で放送された、難病に冒された車いすに乗った女性と、腕はいいが売れていない美容師の男性のラブストーリー。

※2 2015年5月、『AERA』(朝日新聞出版)誌上で、国が指定する難病「炎症性腸疾患」であることを告白。1999年の夏に人間ドックで見つかり、2010年6月に大腸全摘手術を行った。

永いこと、共存して生きてこられたのですね。朝ドラ執筆中も、2回入院されたそうで…。

北川
そうですね。スタッフの方には病院まで打ち合わせに来てもらって、点滴を打ちながら書いていました。でも、締め切りは一切、遅れなかったです。ここで崩れると一気にだめになるって思っていたので、むきになって書いていました。

入院中には「どうなっちゃうんだ…」という怖さを持ちつつ、でも書かなければいけない。本当に大変でしたし、主治医も大変だったと思いますよ。主治医は『オレンジデイズ』(※)が大好きな10歳くらい下の方で、入院中も「大丈夫、これ以上、ひどくはならない!」と涙目で言ってくれました。「倒れさせてはいけない」とプレッシャーを感じていたようで、「執筆はいつまで?」と何回も聞かれました。

※2004年、TBS系列で放送。大学卒業を1年後に控えた5人の若者の青春物語。

39歳の鈴愛は、東京で岐阜の郷土名物である五平餅の屋台を引いて、母子家庭の生計を立てていた。そんな折、ロボット開発・研究のためにアメリカに渡ったはずの律と再会した鈴愛。律も離婚して東京で一人暮らしをしていた。

鈴愛はひょんなことから東京で就職するも、会社が倒産。しかも社長が夜逃げしたため、債権者に追われることとなる。果たして鈴愛は夢をつかむことはできるのか? 衝撃の展開とは?

通常であればドクターストップがかかるような状態だったのですか。

北川
私の病気に限った話かもしれませんが、医者はドクターストップをかけることはないんです。なぜかというと難病の場合、治る保証がなく、人生に希望を持たせるしか道はないからだと思うんですね。患者を縛っていくことが、その人の人生にとって良くないということが分かっているのではないでしょうか。自覚症状から「今、絶対無理です」というときでも、先生は「いや、大河ドラマも書いたらいいよ!」と言っていました。「いやいや、発注も来てないし、私、今、死にそうに具合悪いんだけど」というときもありました。笑っちゃいます(笑)。

病気を公表したときには、友達の作家さんから「仕事がなくなるかもしれないよ。そのときは僕に言ってね、助けるよ」と言われたんです。「そういう人、何人も見てきたから」と。私は、すごくびっくりしました。そんなこと何も思わないで公表しているんですよ、能天気だから。

でも、考えてみれば、普通は病気を抱えている人と仕事をするのは怖いですものね。今回は特にそう感じていますが、それでも私と一緒にやってくれる人がいて、仕事ができるのは、もう感謝しかないです。

以前、北川さんは視聴率よりも、制作スタッフなど周囲の反応のほうが気になるということをおっしゃっていましたね。

北川
もちろん視聴者の方々の声も気になりますが、やはり最初に見せる人が一緒にドラマを作るスタッフやキャストですので。特に朝ドラは200~300人の大勢でつくります。現場から「こんなもんやってられるか!」と思われたら、本当に悲しいじゃないですか。今回、スタッフとキャストがすごく楽しんでやってくれてたことが、一番うれしかったですね。

朝ドラ156本を書き切ったということは、同じような難病を抱えている方にすごく勇気を与えたように思います。

北川
それだととてもうれしいです。「きっと私も何かできる」と思ってもらえたらうれしいですね。私は炎症性腸疾患でも、ものすごい状態が悪いほうなんですよ。大腸全摘までいくのが約10%。その予後が悪いのが約5%ぐらいと言われる中、私の病状は本当に悪いほう、悪いほうにいったんですね。

なので、この病気に限らず、ずっと入院されているような方々に一つ言えるとしたら、「きっと、何かやりようはあるよ」ということです。「北川さんは特別」と言う人もいると思いますが、そうじゃないと思うんです。工夫と考え方次第です。人生の攻略法はあります(笑)。

誰だって、病気のリスクは背負いたくないと思います。そんな私と一緒に仕事をしてもらうためには、企画と情熱です。「これを書きたい、そして、私は、いいものを書くよ」ということを言い続けるしかないし、実際にいいものを書き上げるしかない。常にこちらからアプローチしなければいけない。なかなかタフでエネルギーがなければかなわないことですが、そこは仕方がないことです。私は姫さまじゃないから、誰かがお膳立てしてくれて、「はい、どうぞ」ということはないわけです。今回、15分×156本という、気が遠くなるような長い作品を書き、毎日自分が試されている感じでしたが、なんとか乗り切りました。最初は、覚悟を決めたというよりも、やりたいという強い思いから、書きたいと思ったところから全て始まりました。
「集り散じて人は変れど」
これまで恥ずかしくて書いてこなかったという家族愛。視聴者の心を揺さぶるエピソードがふんだんに盛り込まれた。

「半分、青い。」では、これまで手掛けてきた『ロングバケーション』(※)、『ビューティフルライフ』など、恋愛ドラマとは違って家族の関係性を多く描かれていましたね。

北川
朝ドラを書くにあたって、「ホームドラマというところは押さえてください」ということを、はっきりと言われました。民放ドラマでは何となく家族というものを書くのが恥ずかしくてできなかったのですが、書きたくないという気持ちがあったわけではありません。今回は朝ドラですし、この機会にがっつり書こうと思いました。

※1996にフジテレビ系列で放送されたドラマ。木村拓哉さんと山口智子さんが主演。

朝ドラのヒット法則を全部外したということをおっしゃっていますが、それはどのような部分なのですか。

北川
最初に「メインターゲットは70歳以上の方だ」ということ、またその法則というのは、実際に存在した女性の話であり、戦争を挟むということだと伺いました。正直、年齢層の高さにはびっくりしたのですが、まあ、みんな人情として、困難な時代に生きながらも、そこにあらがって乗り越えていく主人公の姿を見たいじゃないですか。それで「戦争」というテーマは多くの人に共感されるのだと思います。

そんな中、当初の打ち合わせで「バブル時代を書きませんか」とプロデューサーに言われたんですが、バブルというのは誰からも、一番共感されにくい時代だと思うんですね。だから今回、実在しない女性をヒロインにした全くオリジナルの脚本で、高度成長期やバブルという時代を描いた、ということは、かなり冒険だったと思います。

鈴愛を見守る母・晴(松雪泰子さん)など、優しいお母さん目線があったと思いますが、こうした母親像にはどのような思いを込めたのですか。

北川
晴さんはヒロインのお母さんなので、何となく自分の母親を想像するところもありました。そして自分も一人の娘を持つ母ですので、自分が晴さんの気持ちになることも。ただし、あの時代のお母さんなので、自分の母を投影した部分が大きくて。私の母も、「そろそろいい人おらんかね」と言っていたので、それをそのまま書いた感じですね。

物分かりのいい都会的なお母さんというわけではなくて、自分の母がそうだったように、娘のことが大好きですごく心配、という部分を大事にして書いたような気がします。

北川さんにとって家族とは、どのような存在なのですか。

北川
うちは3人家族なのですが、みんな放任主義でおのおの自由にやっています。夫婦ともに50過ぎて、娘も20歳ですので。一緒にご飯も食べないし、それぞれ好き勝手に、ただ、同じ家に住んでるって感じかな(笑)。そして気が向いたらおしゃべり。お互いにかまってくれ、話を聞いてくれという家族ではないんです。

だって、夫も娘も全然、私のドラマを見てくれてないんですよ(笑)。娘は最初の6回ぐらいは見てくれたのかな。執筆中は放っておいてくれてありがとう、という感じですね。私自身はピリピリしていたという反省がありますが。
小学1年生だったころの娘「のんちゃん」と母・北川さん。北川さんが入院中、退院がいつになるか分からないという話にのんちゃんはショックを受けて、北川さんとの電話を途中で切ってしまう。驚く北川さん。かけ直しても出ない。なぜかというとそれ以上、母の声を聞くと、のんちゃんは泣いてしまうからだった。

再手術の恐怖もあって心も参っていた北川さんは、娘がショックを受けて電話を切ったとは分からず、「こんなことは初めて。グレる予兆かも。母が病気で家にいないから?」と考え、「どうして電話切ったの! すごく感じ悪いことだよ!」と問い詰めるが、のんちゃんは答えられない。後で理由を知って、北川さんは申し訳なくて泣いてしまったという。
「人の名前と思えん! 変な名前! スズメネズミみてえ!」「ネズミやない!」小学校で男子生徒から、母・晴につけられた自分の名前をばかにされた鈴愛は、怒ってゴミ箱を投げつけたところ、それが運悪く律に当たってけがをさせてしまう。

母から「なぜゴミ箱を投げたのか」と怒られる鈴愛。理由が言えず、家を飛び出した鈴愛は天国のおばあちゃんに向かって「おばあちゃん。鈴愛、どこ行けばいい?」と涙。のんちゃんとのことを連想させる「子の心親知らず」のエピソードだった。

北川さんの入院・闘病について書いたエッセイ『のんちゃんのふとん』(角川書店、2010年)では、娘さんや旦那さんとの、さりげないハートフルな交流が描かれていますね。

北川
私たち家族は、「家族はこうあらねばならない」というような枠にはこだわっていません。母はこうあれというのもないのですが、自分の中でいろんなものをてんびんにかけると、やはり「娘ファースト」ですね。娘が幼いころは、泊まりのあるロケなどは一切入れないと決めていましたし、実は朝ドラも、娘の大学受験にかぶらないよう時期を考えていました。

ただ、彼女が大学で何を学んでいるかとか、就職活動がどうなっているかとか、ほぼ関知していません。節目のときだけですね。大学はどこを受けようかというときは、「早稲田がいいんじゃない?」「自由だよ。向いてんじゃない?」とか、もう“洗脳”しまくって(笑)。

(笑)。もしかして、旦那さんも…?

北川
夫も早稲田ですね。早稲田一家なんです。

そうなんですね! 親子3人、早稲田大学とのことですが、大学には取材などで来られることも多いんですか?

北川
今回は伺わなかったですが、『オレンジデイズ』を書くとき、当時を思い出すために早稲田に行きました。あとは、娘の入学式にも。私、校歌にある「集り散じて人は変れど」というところがすごく好きで、在学中に歌いながら泣いちゃっていました。

校歌のように、出会い別れ、人は変わっていくけれど、早稲田にはあのころの風情を残していってほしいなと思っています。大学では私、ファッションが好きで派手な格好もしていたので、結構浮いた存在でちょっと異端の女子学生だったと思うのですが、自由があって、温かくみんなが迎えてくれていて。私にとっては、すごく居心地が良かったですね。

脚本を書き終えて、娘さんから何か言葉を掛けられましたか?

北川
「やった、終わったよ!」と言ったら、すっごい変なポーズで拍手していて面白かったです。どんなポーズかと言われても再現できないですけど。初回視聴率が20%を超えたときも、私が夜食に買ってきた菓子パンの袋に、「20%、突破おめでとう!」という言葉と、笑顔が描いてありました。

もしかしたら気付かずに終わってしまうようなプレゼントで、それぐらいさりげない人なんですよ。でも、私の仕事に対する憧れはあるみたいで。とにかく彼女が物心ついたころから、ずっと病気しているじゃないですか。それなのに、必死で書いている姿をずっと見ているから。そういう意味での尊敬はあるみたいですね。

母として、現役早大生の娘さんに言っていることはありますか。

北川
「あなたが幸せだったら、どういう職に就いても構わないし、どういう生き方をしてもいいと思うけれど。でも何かやりたいと思うんだったら、自分で手を挙げて頑張るしかないんだよ」とは言っています。

先ほど(前編)、学生へ向けてのメッセージでも話しましたが、 自ら手を挙げる行為はすごく勇気がいることだとは思うんですが、強い思いがあったら、ずうずうしいと思われてもガッツと勢いでいくしかないんですから。その勇気を持ってほしいと思っています。
撮影:萩庭桂太
プロフィール
北川悦吏子(きたがわ・えりこ)
1961年、岐阜県美濃加茂市出身。1984年、早稲田大学第一文学部卒業。1992年、『素顔のままで』(1992年、フジテレビ系列)でデビュー。その後、『愛していると言ってくれ』『ロングバケーション』『ビューティルライフ』『空から降る一億の星』『オレンジデイズ』『たったひとつの恋』などの連続ドラマを手がける。2008年には映画の世界にも進出し、脚本監督作品に『ハルフウェイ』『新しい靴を買わなくちゃ』。NHKでの執筆は、2016年の『運命に、似た恋』に続き、今回の連続テレビ小説『半分、青い。』が二作目となる。
番組案内
連続テレビ小説「半分、青い。」
4月2日(月)~9月29日(土)
毎週月曜~土曜 【NHK総合】午前8:00 ~ 8:15 ほか
※放送時間は変更になる場合があります。


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