Waseda Weekly早稲田ウィークリー

座談会・箱根から世界へ【前編】 渡辺康幸・竹澤健介・平賀翔太 “臙脂”のユニホーム 知られざる伝統

いかに支えあうかが箱根駅伝の面白さ

正月の風物詩「箱根駅伝(※1)」。毎年、視聴率が20%を超える国民的人気イベントは、なぜ見る者を引きつけるのでしょうか? 早稲田大学競走部の選手・駅伝監督として箱根路を沸かせ続けた渡辺康幸住友電工陸上競技部監督(1996年 人間科学部卒)、その渡辺監督の下、在学中に北京五輪にも出場し「箱根から世界へ」を体現した竹澤健介選手(2009年 スポーツ科学部卒、住友電工陸上競技部)、渡辺監督とともに2011年の箱根駅伝優勝と2010年度の「大学駅伝3冠(※2)」を達成した平賀翔太選手(2013年 基幹理工学部卒、同)の3名に集まってもらい、「箱根から世界へ」と題した座談会を開催しました。前編では箱根駅伝の魅力や見どころについて、後編では低迷する日本の陸上長距離競技が世界と戦っていく上での課題など、それぞれの熱い思いを語っていただきました。

─── まずはそれぞれの箱根駅伝の思い出、印象的なエピソードを教えてください。

渡辺
僕は初めて走った1年の箱根(※1993年・第69回大会)が一番印象に残っています。当時はまだ今ほど熱狂的な盛り上がりはなかったのですが、それでも注目度は非常に高くて、緊張しながら各校のエース格が集まる“花の2区”を走りました。結果的にその年、早稲田大学は総合優勝したのですが、何かこうフワフワと地に足が着かないうちに23㎞を走り抜けた、という感じですね。

市立船橋高校時代の無敵の実績を引き下げ、鳴り物入りで早稲田大学に入学してきた渡辺康幸。1年時の箱根駅伝で“花の2区”を担当し、早稲田大学の8年ぶりの総合優勝に貢献した。2年先輩である櫛部静二(現・城西大学男子駅伝部監督)の1区区間新記録の快走でたすきを受け継いだ渡辺は、トップを守って3区につないだ。区間賞は後に幾度となく名勝負を繰り広げる山梨学院大学の1年生・真也加ステファン(旧名ステファン・マヤカ、現・桜美林大学陸上競技部駅伝監督)に譲ったが、学生陸上界のスーパースターとして人気を博すことになった。早稲田大学は復路6区のみ2位通過となったが、他の全区間で1位を守り、2位山梨学院大学と2分05秒差の11時間03分34秒で総合優勝を果たした。

1996年、4年生のときの箱根駅伝で主将として2区を走る渡辺康幸監督。たすきを受け取ると序盤で8人を抜き去ってトップに立ち、区間賞を達成した=共同

竹澤
僕も一緒で、大学1年生の箱根(2006年・第83回大会)が一番印象深いレースです。走る前まで、そんなに特別なものという感覚はなかったのですが、実際に走ってみると沿道の人の数や声援の大きさに飲み込まれました。それまでの人生であんなにも大きな歓声を受けて走ったことはなかったですから。

竹澤健介は2005年、箱根を走る渡辺康幸の姿に憧れて早稲田大学に入学した。高校時代は決して大きく注目されていたわけではなかったが、入学直後からからめきめきと力を付けて、1年生にして「エース」と呼ばれる存在となった。22秒差で箱根駅伝のシード権を逃していた早稲田大学は、2006年に行われた第82回大会出場を懸けた予選会で竹澤が日本人1位、全体3位の快走を見せてチームとして2位に食い込み、本戦出場を決めた。竹澤は“花の2区”を走ったが、「雰囲気に飲まれてしまい」区間11位。早稲田大学も総合13位と振るわず、シード権を逃す結果となった。

1年生でありながら2区を走る竹澤選手 (c)早稲田大学競走部

平賀
僕は2年のときの総合優勝(2011年・第87回)が一番思い出に残っています。出雲、全日本で優勝し、箱根に勝てば史上3校目の「大学駅伝3冠」も懸かっていましたので、チームとして気合を入れて臨んだレースでもありましたから。

18年ぶりの総合優勝のゴールテープを切った中島賢士主将

渡辺
監督として一番うれしかったのは3冠を達成したとき。その反面、監督時代は失敗も多くて、シード落ちや立ち上げのころの苦しさなど、あまり思い出したくないこともあるなぁ(苦笑)。

箱根駅伝で総合優勝を果たし、手で「3冠」を示して胴上げされる渡辺監督。平賀選手も満面の笑顔(右から3人目)=共同

─── スポーツの世界では「選手として勝つよりも、監督として勝ったときの喜びの方が大きい」という話も耳にします。監督はいかがでしたか?

渡辺
選手のときも、そりゃ優勝はうれしかったですよ。でも、どちらかを選べと言われたら、確かに監督での優勝の方がうれしかったですね。指導者になると思い通りにならないことがほとんど。その苦労の分、勝ったときの喜びもひとしおな訳ですから。

─── そんな大変な箱根を経験したからこそ得た財産というと何でしょうか?

渡辺
「駅伝はチームワーク」とよく言いますが、僕は選手時代、そうはいっても個人さえ強ければいいのでは? という思いが正直ありました。でも監督になってみて、「チームワークの大切さ」をあらためて思い知りました。確かに、強い選手がたくさんいれば優勝はできるんです。でも、全員が区間賞を取るなどということはまずあり得ない。その中で「いかにみんなで支えあうか」が箱根駅伝の面白さなのかなと感じましたね。
「駅伝はチームワーク」を象徴する、たすき渡しの様子
竹澤
僕も「箱根の財産」と感じるのはやっぱり“仲間”ですね。本当に、“生涯の仲間”と出会えたと思いますから。といっても、それをより実感したのは卒業してからなんですが(笑)。同じ釜の飯を食べて一生懸命走ったことを思い出したり、昔話をしたりするときにより強く実感します。
平賀
「チームが財産」というのはもちろんなのですが、それ以外で言うと、箱根や出雲、全日本という大学三大駅伝の中でも、箱根は沿道の人の多さや注目度が桁違いにすごい。そういった中で走る経験っていうのは箱根じゃないとできないことなので、貴重な経験をしたなとあらためて思います。

※1)東京箱根間往復大学駅伝競走
http://www.hakone-ekiden.jp/

※2)10月に行われる出雲全日本大学選抜駅伝競走(以下、出雲)、11月に行われる秩父宮賜杯全日本駅伝対校選手権大会(以下、全日本)と箱根駅伝の3大会が大学三大駅伝と言われ、これまで3冠を達成しているのは大東文化大学(1990年度)、順天堂大学(2000年度)、早稲田大学(2010年度)の3校のみ。2016年度は青山学院大学が3冠に王手をかけている。
http://www.izumo-ekiden.jp/index.html
http://daigaku-ekiden.com/

早稲田の重み、えんじの重み、Wの重み

─── 出雲や全日本と比べて、という話が出ましたが、箱根ならではのレースとしての魅力、見どころはどんなところでしょうか?

渡辺
距離の長さもありますが、山登り・山下りを含め、他の駅伝にはないようなバラエティーに富んだコースを走ることでしょうね。あとは誰を何区に起用するか、という戦略や采配も監督としては悩ましい部分でしたが、駅伝ファンとしては楽しい部分なのでしょう。
平賀
僕が思うのは自分たちのような駅伝経験者であってもなかなか展開が読めないことが魅力かなと。1人約20㎞の距離を10人という人数でつなぐので、圧倒的な優勝もありますが、僕たちが勝った年は2 位の東洋大学と21 秒差という僅差でした。その年によってさまざまな展開があります。

2011年の箱根駅伝で2区を走る平賀選手 (C)早稲田大学競走部

竹澤
出雲や全日本と比べても、思い通りにいかないのが箱根駅伝。あの特別な空間の中で走ると、自分が思っている以上のものを出せる選手がいたり、逆に普段の力が出せない選手、緊張で走れなくなってしまう選手がいたりと、想像できないことが起こるのもまた面白さだなと感じますね。それと、先ほども少し話題に出ましたが、一番の魅力はたくさんの人に応援してもらえることだと思います。普通の大会ではなかなか味わえない「早稲田を背負っている」という感覚も、箱根の沿道からの応援を聞くと、「自分が背負ってるんだぞ」という気持ちになれました。

─── その「早稲田を背負う」という部分について。駅伝というと「襷(たすき)」に注目が集まりますが、早稲田の場合はえんじ色のユニホームにも特別な思い入れがあると聞きます。

2016年の箱根駅伝で9区を走り、区間賞を取った井戸浩貴選手(商学部4年)。2017年はどんな走りを見せてくれるのか

渡辺
えんじの地に白字の「W」が書かれたユニホームというのは、着ることができるレースが限られています。箱根駅伝はその数少ないレースの一つ。つまり、競走部の誰もが袖を通せるものではありません。最終的には卒業する際に4年間頑張った勲章として、選手たちにえんじのユニホームが贈られるのですが、えんじを着て走れるかどうか、というのはそれだけ大きな意味があります。
竹澤
その限られた大会ごとにユニホーム授与式があって、出場選手には貸与されます。レースで活躍することができれば自分のものとしていただけるのですが、そうでない場合は部に返却しなければなりません。ユニホームがもらえない仲間たちもいるので、彼らの分まで頑張らなくては、というのはありましたね。
渡辺
でも、下級生にはえんじの重みがなかなか分からないのです。それが上級生になるに従って、代々の先輩たちから「えんじのユニホームをもらうのは大変なんだよ」という話を聞かされるわけです。それこそ、卒業のとき、初めてえんじのユニホームを手にして号泣する選手もたくさんいます。そういった光景を目に焼き付けていくほど、早稲田の重み、えんじの重み、Wの重みを実感できる。だから、4年生で優勝することほど格別で一生思い出に残るものはない、と言われます。

出雲と全日本を制し、箱根で大学駅伝三冠を目指す早稲田大学は、期待の1年生・大迫傑(2014年 スポーツ科学部卒)を1区に配置し、区間賞の走りで2位に54秒差をつけてスタートダッシュに成功した。花の2区も平賀翔太が首位をキープ、3区を矢澤曜(2012年 教育学部卒)、4区を前田悠貴(2013年 スポーツ科学部卒)が1位のままつないだ。“山の神”柏原竜二を擁する東洋大学(以下、東洋大)に対して、山登りの5区までに少しでも差を広げたい早稲田大学は、順調にリードを広げて5区スタート時点では3位東洋大に2分54秒の差をつけた。4年生にして初の箱根駅伝に臨んだ一般入試組の猪俣英希(2011年 同学部卒)は、柏原に追い抜かれたものの、ラストの下りで猛追して東洋大との差を27秒にとどめ、復路逆転へ望みをつなげる粘りの走りを見せた。

5区で“山の神”に必死に食らいついていった猪俣選手の姿は大きな感動を呼んだ =共同

復路の山下り6区は猪俣と同じく初の箱根駅伝出場となる4年生・高野寛基(2011年 同学部卒)が快走。転倒のアクシデントがあったにも関わらず、東洋大に36秒差をつけて逆転して、7区の三田裕介(2012年 同学部卒)にたすきをつないだ。8区は北爪貴志(2011年 同学部卒)が区間3位の力走を見せたが、徐々に差を詰めてくる東洋大とのトップ争いは行き詰まる接戦に。9区の八木勇樹(2012年 同学部卒)はなんとか粘って、優勝の行方は10区のアンカー対決に持ち込まれた。振り向けば東洋大の選手が見える位置まで迫られたが、主将・中島賢士(2011年 同学部卒)は逃げ切ってゴール、大手町で肩を組んで早稲田大学校歌を歌って待っていたチームの元へ駆け込んだ。史上初めて往路復路総合で11時間を切る10時間59分51秒という大会新記録で18年ぶりの総合優勝。2位東洋大との差は21秒差という史上最僅差だった。この大会を機に総合11時間を切ることが常態化する「箱根駅伝スピード化」の幕が開けた。

思い通りにならないのが箱根駅伝

─── 今回の箱根駅伝の大きな注目点が、青山学院大学(以下、青学)が大会3連覇をするのか? そして、2011年の早稲田大学以来となる大学駅伝3冠達成なるか、という点です。3冠について誰よりもその難しさを知るのが、監督として達成された渡辺監督、そして選手として達成された平賀選手だと思います。3冠に挑む青学をどのように見ていますか?

渡辺
先日、青学の原晋監督とあるイベントで一緒になったのですが、あの原監督でさえ珍しく緊張して弱気になっていました。それくらい優勝候補で3冠を成し遂げるというのは難しいのです。そんな状況だからこそ、注目やプレッシャーは監督が浴びる形にして、選手は試合に集中できる環境を作ってあげることが大事だ、と言っていました。力的には3冠を達成できるだけのものは十分あります。ただ箱根駅伝は毎年、荒れます。何が起こるか分かりません。全日本でその王者・青学と競り合った早稲田にもチャンスがあると思っています。
平賀
走る立場からすれば、当日に自分の力をしっかり出し切れるかどうか。周りからの注目がすさまじい分、いつも以上に走ることに集中することが求められると思います。逆にいえば、早稲田が勝つには、青学以上に集中しなければならない。自分の場合は、あまり周りを気にするタイプじゃなかったのが良かったかなと思います。

─── 青学が頭一つ抜けているとして、その対抗となる大学はどこでしょうか?

全日本で健闘した早稲田。平 和真主将(右、スポーツ科学部4年)は大きな期待を背負って箱根に臨む。青学と競り合う場面が見られるか (C)早稲田大学競走部

渡辺
今シーズンは東海大学や山梨学院大学と言われていましたけど、今年の全日本で2位となったレース結果を踏まえれば、早稲田も対抗馬になってきています。層の厚さという部分ではまだまだ青学の方が上ですが、何度も言うように、思い通りにならないのが箱根駅伝。青学だって10人全員がいい走りをするとは思いませんので、その穴をうまく突いて、早稲田にはなんとか優勝してもらいたいですね。
プロフィール
渡辺 康幸(わたなべ・やすゆき)
1973年、千葉県出身。1992年、早稲田大学人間科学部に入学。1年生から箱根駅伝で“花の2区”を担当し、総合優勝に貢献。2年時は1区、3年時は2区を共に区間新記録で走り、4年時には競走部主将として2区で8人抜きを演じ、区間賞を獲得した。2004年に早大競走部駅伝監督に就任し、2011年の箱根駅伝で総合優勝。出雲駅伝、全日本大学駅伝と併せ、史上3校目となる「大学駅伝三冠」を達成した。2015年4月から住友電気工業陸上競技部監督に就任。
竹澤 健介(たけざわ・けんすけ)
1986年、兵庫県出身。2005年、早稲田大学スポーツ科学部に入学。1年生からエースとして活躍し、箱根駅伝では2区を担当。翌年も2区で区間賞。3年時は3区で7人抜きの力走を見せ区間賞を獲得。12年ぶりとなる往路優勝に貢献した。4年時には北京五輪に出場(5000m、10000m)し、44年ぶりとなる「現役箱根駅伝ランナーの五輪出場」という快挙を達成。最後の箱根駅伝では2年連続の3区区間賞を区間新で達成した。2013年7月から住友電気工業陸上競技部所属。
平賀 翔太(ひらが・しょうた)
1990年、長野県出身。高校時代は駅伝の名門・佐久長聖高等学校で活躍。2008年、後に大学でもチームメイトとなる1学年下の大迫傑選手らと共に、同校の全国高等学校駅伝競走大会初優勝に貢献した。2009年、早稲田大学基幹理工学部に入学。1年時は3区、2年から4年時は3年連続で“花の2区”を担当。2年時の2010年度はチームの主力として、出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝を全て制する「大学駅伝三冠」を達成した。2016年9月から、住友電気工業陸上競技部所属。
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