Waseda Weekly早稲田ウィークリー

SPECIAL ISSUE ファラオ、ミイラ、ピラミッド…「エジプト考古学といえば早稲田」を築いた先駆者たち 2016.5.23 vol.1

日本のエジプト考古学研究の幕開け 日本のエジプト考古学研究の幕開け

日本のエジプト考古学研究をリードする早稲田大学のエジプト研究は、今年で50 年を迎えます。これまでに数々 の発見で世界のマスメディアをにぎわせてきた日本のエジプト学の軌跡と今後の展望について、早稲田大学のエ ジプト調査・研究の草創期から携わってきた2 人の先生に語っていただきました。前編となる今回は、近藤二郎文学学術院教授にご登場いただきます。

エジプト学研究所所長 近藤二郎 文学学術院教授
エジプト学研究所所長 近藤 二郎 文学学術院教授

日本のエジプト考古学研究の幕開け

1966 年 9 月、タンカー「東海丸」が、当時、第一文学部の学生だった吉村作治早稲田大学名誉教授を学生隊長 とする早大生5 人を乗せて、兵庫県の相生港からクウェートへ向けて出港。その後、エジプトで合流した故・川 村喜一教授(当時は講師)と共にナイル川流域の遺跡を対象として実施したジェネラル・サーベイ(踏査)が、 日本のエジプト考古学研究の扉を開きます。昭和の東京五輪開催の2 年後、日本が戦後復興で沸きに沸いている時期でした。

それから 50 年、中東戦争、湾岸戦争、ルクソール事件、アラブの春など、中東で発生した国際社会を揺るがす 大事件の渦中でも、毎年、早稲田大学は現地に調査隊を派遣し、発掘を継続して行ってきました。現在、エジプ トにおいて調査を継続しているのは、日本では筑波大学と早稲田大学のみで、研究の歴史が長いのは早稲田大学 です。その実績は、エジプト考古省から高く評価されており、今日でも強い信頼関係が構築されています

早稲田大学の調査地域はエジプト南北広範囲にわたる

早稲田が初めて発掘調査を開始したルクソール西岸マルカタ南遺跡「魚の丘」

1971年、アジア初となる発掘権を獲得

われわれが現地に乗り出すまで日本政府はエジプトの遺跡調査に関与して来なかったため、なかなか本格的な発 掘作業の許可が出ませんでしたが、1971 年に、アジア初となる発掘権を早稲田大学の調査隊が獲得。エジプト 南部ルクソールの西岸に位置するマルカタ南遺跡での調査を開始します。エジプト発掘では新参者のわれわれが 当初割り当てられたのは、2 世紀ころのローマ時代の住居跡。つまり、古代エジプトの中では“新しい”時代で した。そして 3 年の調査の末に、1974 年、この地域の「魚の丘」でツタンカーメンの祖父にあたるアメンヘテ プ3 世(在位:紀元前1388~紀元前1350 年ころ)が建造したとされる彩色階段を発見し、世界的な注目を集め ます。この歴史的発見を契機に、早稲田大学のエジプト調査は、古代エジプト華の最盛期、新王国時代(紀元前 1570 年ころ~紀元前1070 年ころ)を中心に行われるようになります。中でも私たちがこだわったのが、発掘権 を得ることが難しい「王墓」の発掘。ミイラや美しい遺留品の宝庫で、ここから数々の世界的な発見がされていきます。

彩色階段は新王国時代(約3,500 年前)アメンヘテプ3 世の王位更新祭の祭殿の一部と見られている

彩色階段復元図。中心が縛られた「不戦の弓」と捕虜が描かれている

マルカタ南遺跡からの初めての出土品は古代エジプト人が化粧に使用したパレット

マルカタ南遺跡からはローマ時代の像も発見

アメンヘテプ3 世の祭殿の破片とみられる

1976 年の「ワセダハウス」完成に立ち会う

私が調査隊の一員として初めてエジプトでの発掘に参加したのは、1976 年12 月のこと。ちょうどルクソール西 岸に調査の拠点となる「ワセダハウス」が完成したときでした。調査隊がマルカタ南遺跡の調査をスタートした 1971 年に早稲田大学第一文学部に入学した私は、調査隊の隊長だった川村喜一先生の授業を受け、古代エジプ トの遺跡や文化に興味を持つようになります。ただ、当時の早稲田大学には考古学の専門的なコースはなく、私 は西洋史専修に在籍しながら、エジプトでの発掘調査に参加できる日を夢見ていました。その頃は、大学院生で なければエジプトには連れて行けないと言われていて、仕方なく学部生時代は、日本国内の遺跡発掘調査の手伝いをして、経験を積んでいました。

ルクソールに完成したワセダハウス

私がエジプト調査に参加するようになった直後の1978 年12 月、川村先生が48 歳の若さで急逝するという悲劇 と向き合うことになります。それでも悲しみを乗り越えてエジプト調査を続け、1982 年にはルクソール西岸の クルナ村で貴族の墓から約200 体のミイラと人骨を発見。コンピューター断層撮影(CT スキャン)とコンピュ ーターグラフィックス(CG)を使ってミイラの顔を復元して発表したところ、早稲田大学のハイテクノロジー技術を使った物理探査が世界的な注目を集めました。

ルクソール西岸で発掘されたミイラ

待望の発見!約3,200年前の「ビール醸造長」の墓 待望の発見!約3,200年前の「ビール醸造長」の墓

1987年には、電磁波探査レーダーを駆使し、ギザのクフ王の大ピラミッドを探査。ピラミッド内1987 年には、電磁波探査レーダーを駆使し、ギザのクフ王の大ピラミッドを探査。ピラミッド内部に未知の空 間を発見したほか、その南側に埋もれた世界最古の大型木造船「第2 の太陽の船」のピットを確認するなど、目覚ましい成果を挙げていきます。

さらに 1991 年には、同様の手法を用いて、アブ・シール南丘陵遺跡で、世界中の研究者が探していた「最古の 考古学者」カエムワセトの神殿を発掘。1996 年からは東海大学と共同で、人工衛星で撮影した画像をコンピュ ーター解析する世界初の調査方法で、ダハシュール北遺跡を発見。ここからツタンカーメン王と王妃アンケセナ ーメンの指輪を見つけるという快挙を成し遂げました。

出土したツタンカーメン王(左)と王妃アンケセナーメン(右)の指輪

そして、2005 年には未盗掘の完全ミイラ「セヌウ」を発見。CT スキャンしたデータを元にCG で当時の顔を復 元し発表すると、またしても早稲田大学のハイテク調査が世界中のマスメディアをにぎわせました。

セヌウの美しいミイラマスクは世界的な話題に

女子美術大学との合同プロジェクトで、ミイラから生前の姿を復元

もちろん現在も発掘調査を継続しています。最近は、ルクソール西岸のアル・コーカ地区において、アメンヘテ プ 3 世の高官であるウセルハトの岩窟墓調査を 2007 年から行っています。ここはハワード・カーター(1922 年にツタンカーメン王墓を発見した考古学者)が調査後、約100 年間行方不明になっていた墓。私はかねてより 再調査を希望しており、約30 年間待ち続けてようやく発掘できるようになった場所です。2013 年12 月に、こ こから偶然にも「ビール醸造長」の称号を持つコンスウエムヘブという人物の、美しい壁画で飾られた墓を発見。

これは、私の長い発掘人生の中でも最もうれしい瞬間でした。

ハワード・カーターが発見時に撮影した写真

早稲田の調査隊が再発見した際の写真。美しい王妃のレリーフは、カーター発見後に切り取られ、現在はベルギーの美術館に収蔵されている

「ビール醸造長」の墓の発見は長い発掘歴の中でも一番の喜び(中央が近藤先生)

「現場で発掘しながら学んできた」

約40 年間、エジプト調査を続けてきて実感するのは、「現場で発掘しながら多くのことを学んできた」というこ と。調査に参加したばかりのころは、右も左も分からず、ただやみくもに割り当てられた場所を掘っていただけ でしたが、現地での出会いの中で人脈が広がり、深い情報を得ることができるようになると、成果も飛躍的に伸 びました。世界中のエジプト学者は、エジプトに集まります。そのため、最新のリアルな情報は、現場でしか手に入らないのです。

考古学の面白さもやはり現場にあります。そこには、今まで世の中の誰も知らなかったことを発見し、世界の歴 史を変えてしまうような「可能性」が眠っているのです。

もちろん、外国での発掘調査は楽しいことばかりではありません。政府を相手にしたさまざまな交渉が必要なの はもちろん、予算や人材確保などの課題もあります。発掘には50 人から100 人単位のエジプト人に手伝っても らうので、アラビア語を習得する必要もあります。私はさらに欧米の文献を調べるために、英語だけでなく、ド イツ語、フランス語も読解できるレベルまで学習しました。また、言語という点では、古代エジプトの象形文字ヒエログリフの解読も楽しい作業の一つです。

ヒエログリフの解読は古代エジプトを学ぶ上で欠かせない

こうした研究の一環として、私はエジプト・カイロ大学に2 年間、イギリス・リバプール大学に2 年間の留学を 経験し、欧米のエジプト研究の知識を深めました。幅広い知識や言語を身に付けて自分の世界を広げ、新たな成 果につながっていく。それが研究のやりがいであり、面白さでもあります。

日本人ならではの視点で古代エジプトにアプローチ 日本人ならではの視点で古代エジプトにアプローチ

今後、力を入れていきたいのは、先ほども申し上げたアル=コーカ地区での発掘調査です。「ビール醸造長」の墓の発見を契機に、さらなる発展が期待されます。今年(2016年)も秋から100人体制で発掘調査をする予定です。
私は欧米のエジプト研究の成果にとらわれない日本的なアプローチをしたいと考えています。早稲田大学エジプト調査隊は、ハイテク技術を武器に、日本より200年ほども先行する欧米の研究に対抗してきました。しかし、欧米の学問体系をそのまま模倣した研究は、決して日本が目指すべきものではありません。学問伝統の歴史が浅くとも、日本ならではの強みはあると思います。
ポイントは、古代エジプトの多神教世界です。一神教の宗教を持つ欧米の研究者は多神教の感覚はつかみにくい。その点、八百よろずの神々の伝統宗教を基盤に持つ日本人の文化、歴史、価値観で古代エジプトにアプローチができるのではと考えます。例えば、鳥の形をした神など、人間にない力を持った動物が神になる感覚は、さまざまなものに神聖が宿る日本人の宗教観とよく似ています。また、ヒエログリフは、漢字に非常に近い文字の成り立ちを持っています。漢字文化で育ったことは、エジプトの文字研究においてもプラスになるはずです

ハヤブサの頭をした太陽神ラー・ホルアクティ神

日本の古代エジプト研究は次の50 年へ

私たちは、今後もエジプト政府と緊密な協力関係を維持しながら、エジプトの遺跡の保存・修復、そして活用の 分野でも貢献していきたいと考えます。昨今の政治情勢から観光客が激減しているエジプトにおいて、われわれ が調査を継続し、情報を発信し続けることは大きな意味を持つのです。

そのためにも古代エジプト研究50 年の歴史のともしびを絶やすことなく、次の50 年につないでいくことは私た ちの使命です。ぜひ一人でも多くの学生に、エジプト調査に興味を持っていただきたいですね

プロフィール
近藤 二郎(こんどう・じろう)
文学学術院教授、早稲田大学エジプト学研究所所長。早稲田大学第一文学部卒業後、同大学院文学研究科博士課程満期退学。1976年より早稲田大学エジプト調査隊の一員としてエジプトで発掘調査に従事。1981年10月~1983年9月まで文部省(当時)アジア諸国等派遣留学生としてカイロ大学留学。専門は、エジプト学、考古学、文化財学。著書に『ものの始まり50話』(岩波書店)、『エジプトの考古学』(同成社)、『ヒエログリフを愉しむ』(集英社)ほか。一般社団法人日本オリエント学会常務理事、早稲田大学考古学会会長。
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