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特集

父・士行の思い出 【10月21日 創立記念特集】

2016年度 創立記念特集

女優・坪内ミキ子さん(1963年 早稲田大学第一文学部卒)

父・坪内士行は家の中では膝を崩すこともなく、身なりはきちんとしていて、家族に肌を見せたこともありません。寝相まであおむけで真っすぐで、横寝をすることもありませんでした。7歳から逍遙の養子になった父は、武士道のような“逍遙イズム”が染み込んでいたのだと思います。道に外れたことや曲がったことが嫌いで、オブラートに包んで言えばいいことも、ありのままを言ってしまう。『越しかた九十年』についても、母は読んでいないのです。「どうせ分かります。全部、書いているんでしょう。そういうことは隠しておくものよ」などと、言っていました。

父は時代を先取る人で、私を大学に入れたのは「これからの時代は、女性が学問をしなくちゃいけないんだ。子供を育てるのが女性だし、社会に出なくてはいけない。それには高等教育を受けた方が良い」というのが理由です。私に強いたことは大学進学だけで、後は何も言われませんでした。フェミニストで、電車でも「レディーファーストだ」と席を譲るんです。母にも「『お前』と呼ばれたら離婚します」と言われ、ずっと「君」と呼んでいました。私も「君」と呼ばれていました。女性が第一線で活躍することを応援していて、漫画『サザエさん』の作者・長谷川町子さんにはファンレターを出していました。長谷川さんも喜んでくれて、私の結婚式にも出席してくれました。

私が女優になった時、父は賛成とも反対とも言いませんでした。喜んでいるような様子はなかったのですが、大学の講義では学生さんたちに「来週から娘の映画が封切りになるんです」と宣伝していたそうです。また、演劇博物館に父の資料を寄付したときに初めて知ったのですが、私に関する新聞記事がスクラップしてありました。表に出さないで陰で応援するというのは、逍遙譲りの気質だったのかもしれません。

私が知る父の姿は、すでに芸能の世界を離れて大学教授などをしていた父です。常に書斎に入ってほとんど出てこない。書くか読むかをしていました。晩年はとにかく若気の至りを後悔していて、逍遙と小林一三さんについて「2人のおかげなんだ。恩人なんだ」と、書斎に2人の写真を飾っていました。養子ではなくなった後も、父は逍遙夫妻に愛されていたと思います。母も「逍遙夫妻にはすごくかわいがってもらった」と言っていました。

【略歴】
1940年東京都生まれ。1963年早稲田大学第一文学部卒。1962年に女優としてデビューし、映画、テレビドラマなど多数出演。クイズ番組やワイドショーでも活躍する。2007年に『母の介護―102歳で看取るまで―』(新潮社)を出版。

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