Waseda Weekly早稲田ウィークリー

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藤村シシンさん講演「早稲田は古代ギリシャ」 クドカンとソフォクレスの共通点は…

複雑な古代ギリシャの世界を軽快な語り口で紹介するTwitterが発端となり、著書の販売部数が2万部を突破、企画イベントのチケットが次々に売り切れるなど、歴史好きなどから大きな注目を集める、ギリシャ神話研究家の藤村シシンさん。2017年10月に行われた「早稲田文化芸術週間」では、藤村シシンさんによる講演会「古代ギリシャ×演劇×早稲田~この世は舞台、早稲田は古代ギリシャ~」が大隈記念講堂小講堂で開催されました。

シシンさんが考えたというこの講演会タイトルは、演劇博物館の正面玄関に掲げられているシェークスピアの「この世は舞台、人はみな役者」という有名な文言をもじったもの。「古代ギリシャは西洋演劇が生まれた場所。演劇といえば早稲田」ということで、講演のテーマはギリシャ演劇について。2,000年以上も前の世界を、ユーモアや豆知識を交えて分かりやすく語るシシンさんのお話に、満員の聴衆は熱心に聞き入りました。

途中、シシンさんと同じく古代ギリシャ人に扮(ふん)した早稲田大学の学生が「コロス(古代ギリシャ演劇の合唱隊)」として登場し、せりふを言う場面も。まさに早稲田が古代ギリシャとなった一夜でした。

「古代ギリシャ×演劇×早稲田~この世は舞台、早稲田は古代ギリシャ~」

ギリシャ演劇は、紀元前550年ごろ、アテナイというポリス(都市国家)で生まれました。当時のアテナイの成人市民が約4万人、早稲田大学の在籍学生が約5万人ということで、ちょうど早稲田大学の全員で民主政治を行っていたような感じでしょうか。そこに2万人収容できる野外劇場があったというから、演劇が市民にとってどれだけ大切なものだったかが分かります。

古代ギリシャ演劇の特徴は三つあります。一つ目が、観客がうるさいということ。劇中でもヤジを飛ばしたり、座布団を投げたりと本当ににぎやかだったんです。役者のせりふが聞こえないほどになり、作者が舞台上で「劇がつまらなくてすみません。続けさせてください」と頭を下げたというのが記録に残っています。パン、玉ネギ、ワイン、オリーブの実というのが古代ギリシャ人の観劇時の食事セットでしたが、オリーブの種や玉ネギも役者に投げつけるなど、めちゃくちゃだったようです。

そして二つ目が、舞台上には役者以外にもたくさんの人がいたということです。ギリシャ演劇には、「コロス」という市民からくじで選ばれた合唱隊がいたんですね。シーンに合わせて笑ったり怒ったりする、テレビの「ワイプ」のような存在です。12人から15人、多いときは50人いたことも。観客と役者の境界線をあいまいにすることで、観客が舞台により共感しやすくするという効果がありました。

そして三つ目が、仮面です。ギリシャ演劇では、役者は仮面をかぶって演じます。そのことで、舞台が日常とは違う異質なものになったんですね。

では、実際にギリシャ演劇がどのようなものだったかを見ていきましょう。

『オイディプス王』は『あまちゃん』と同じ?

まずは『オイディプス王』について。この劇は、紀元前429年から425年ごろ、アテナイで上演されました。作者はソフォクレス、古代の三大ギリシャ詩人の一人です。

時代設定は、当時からさらに1,000年以上さかのぼる神話時代。スフィンクスという怪物の「声は同一なのに、同時に2本足、3本足、4本足でもある地上にいる生き物とは何か?」というなぞなぞを解いたオイディプスという男が、自覚がないままに自らの父親を殺し、母親と結婚してしまい、それを知って自らの運命に苦しみ、目を突いて盲目になるというストーリーです。

古代ギリシャ人にとって、運命は神によって決定された不可避なものでした。しかし、ソフォクレスは劇中でオイディプスに、「このひどい苦しみを私に譲受させたのはアポロン(※古代ギリシャの神)だ。だがこの目を突いたのは他でもない、私の手だ」と言わせています。神から与えられた運命を、自らの意志で証明するというオイディプスの言動は、古代ギリシャ人にとって強烈なインパクトがあったと思います。

また、劇の冒頭に「街が疫病に冒されている」という説明があります。『オイディプス王』が初演される3年前、アテナイを疫病が襲いました。人口の3分の1が犠牲になったほどの大きな災害で、ギリシャ演劇の題材としてタブーとされていたんですね。私たちにとっての東日本大震災のように。しかし、ソフォクレスは「疫病」という言葉を冒頭に使った。そのことで、劇中の世界と現実世界が結び付けられ、観客は単なる傍観者ではなくなったのです。そういう意味で、脚本家の宮藤官九郎さんによる『あまちゃん』(NHK)は、ソフォクレスと同じようなことをしていて、すごいと思いました。

もう一つ、この劇がすごいと思うのは、オイディプスが解いたなぞなぞが、観客として劇を見ているアテナイ市民の批判にもなっているというところです。オイディプスは、「声は同一なのに、同時に2本足、3本足、4本足でもある地上にいる生き物とは何か?」という問いに、自分を指さすことで答えました。つまりそれは人間であり、自分自身でもあるということです。しかしそのオイディプスの指先は、そのまま観客の方に真っすぐ向かっていたのです。疫病が流行する中、人々は死体を尊重せず、ごみのように捨てていた。人間性を失っていたお前たちアテナイ市民は、人間でありながら、獣でもある。そして、繁栄を誇っていたアテナイも、いずれは老人のように滅びていく。「この悲劇的なオイディプスは、劇を見ているあなた自身である」というソフォクレスからのメッセージは、今を生きる私たちの心臓まで鋭く貫きます。

藤村シシンさんが一番好きなギリシャ悲劇

次に、私が一番好きなギリシャ悲劇についてお話しします。32編現存しているギリシャ悲劇の中で最古の『ペルシア人』という話です。この劇は、紀元前472年にアイスキュロスによって作られました。

この8年前、古代ギリシャでは「サラミスの海戦」という戦いが起こりました。何十万人というペルシャの部隊に300隻の舟で挑んで勝利したという、古代ギリシャ人の誰もが誇りに思っていた戦いです。劇は、負けた側であるペルシャの王宮が舞台となっています。

劇中で、ペルシャ王妃がこう問い掛けます。「われわれは強い王を抱いているのに負けた。ギリシャ人たちは一体どれほど強い王を抱いているのだろう」。それに対して長老が「王妃さま、ギリシャは民主制なので、自分たちがあるじなんです」と言う。つまり、ギリシャの民主制こそがペルシャに勝った要因なのだと言わせて、観客に優越感を植え付けているのが読み取れます。しかし、実はそうではないというのがこの劇の一番面白いところで、後に続くせりふでこういうものがあります。

「人間は分を超えた思いを抱いてはならない。傲慢(ごうまん)な花を咲かせ、破滅という穂を実らせる。その借り入れのなんという悲しさか。現在に飽き足りずにそれ以上を望んでかえって自らの幸せを失わせる。そんなことをしてはならぬ。ゼウス神は懲罰者だ。思い上がった人間の厳しい裁き手だ」

観客に一瞬優越感を与えておいて、実のところ、ペルシャの敗北は思い上がったからだと言っています。つまりアイスキュロスは、傲慢こそが国を滅ぼすのだと警告しているのです。

上演当時のアテナイは栄華を極めていましたが、この後ペルシャと同じ道を歩み、滅んでいきます。古代ギリシャ人たちは、この劇を一体どのように捉えていたのでしょうか。そして今、「神の視点」から歴史を俯瞰(ふかん)している私たちも、いずれは同じように後ろの方から見られるのだと思わせる、すごい劇です。

最後は三大詩人のもう一人、エウリピデスの言葉で締めくくりましょう。「神々がつける決着はいつも予想がつかない」「それは神のみぞ知る」。

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