活動概要
訪問先:福島県
参加学生:18名
活動期間:2025年8月20日(水)~2025年8月23日(土)
活動報告
福島県企画調整部企画調整課の協力のもと、東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故からの福島の復興について多角的に学ぶ研修プログラム。福島復興をメインテーマに東京電力福島第一原子力発電所や東日本大震災・原子力災害伝承館、震災遺構浪江町立請戸小学校、双葉町内等の見学を実施した。
参加寮生の体験記
「福島県ってメディアで取り上げられるように復興は進んでいるの?」福島県出身者と会話するときにこのような質問が思い浮かんだことはないだろうか。実際、僕は福島県浜通り出身で東日本大震災経験者であるが、研修前は「どちらとも言えない」と答えただろう。なぜなら、僕は今まで自身の地域における震災当初の様子しか教えてもらったことがなかったからだ。加えて、僕の地域は辛うじて原発事故の避難区域外に位置していたため、避難区域内の様子とは大きく異なる。しかしながら、今回3泊4日の福島研修に参加して浜通り全体の震災当時の様子や現在までの復興の様子を俯瞰できたことで先ほどの質問に対してはっきり「Yes」と答えられるようになった。その変化の過程を以下に記述したいと思う。
1日目に訪れたのは双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館だ。ここでは震災当初・原子力発電所事故直後の映像や長期化する原子力災害の影響、復興への歩みについての展示がされていた。最も衝撃的だった事実は原発事故が起こる前は街全体が「原発ウェルカム」ムードだったということだ。というのも福島県の浜通りにとって原発の建設は当時の農村に特有の余剰労働人口に対して新しい雇用を生み出しただけではなく、政府からの助成金によって街に活気を取り戻す手段となっていたからだ。加えて、当時の最先端技術を利用した「5つの容器」で装置に異常をきたしても“絶対に”放射線が飛散することはないと科学の力で安全神話を作り出してしまっていたことも町民に迫り来る危険を見えなくしてしまったように思えた。そして、案の定“絶対”ということは通用せず目に見えない放射線物質で地域コミュニティは突然解体され住民は大きな不安と困難を抱えながら避難生活を送ることとなった。語り部の方の「モノは残っているのにコミュニティが突如として消失した」という言葉がその一端を表している。
2日目に訪れたのは東京電力福島第一原子力発電所だ。まず、東京電力廃炉資料館で震災当初・原子力発電所事故前後におけるTEPCO内での映像を観た。想像を上回る災害で社内が混乱に包まれる中、最悪の事態である「放射線物質飛散」を抑えるべく一生懸命現場で作業する方々が特に印象に残った。結果的に原子炉建屋の1、3、4号機で水素爆発が起こってしまったが、そこにはTEPCO社員の最大限の努力があったことを忘れてはならない。そして、原発事故後TEPCOによる廃炉作業が始まった。僕たちは廃炉作業の詳細と進行状況を聞きながら原子炉建屋を一望できる展望台で実際に1〜4号機の外観を見た。作業している方や放射線濃度が高くて未だ規制線が張られている様子を見て14年経っても見えない放射線との戦いが続いていることに改めてその悲惨さを感じた。とは言え内部では着実に作業は進んでいて、3・4号機では使用済み燃料プールからの燃料取り出しが完了している。また、2号機では2024年11月に燃料デブリ約880tのうち約0.7gの試験的採取に成功している。一見、13年経ってこれしか進んでいないのかと思うかもしれない。しかしながら燃料デブリ取り出し前例の少なさや不明な内部状況から「廃炉の最難関」と言われており、安全性を最大限考慮しながらの作業となるので新しい技術を開発するのに時間がかかることは当然のことだ。他方、ALPS処理水の放出も昨年から始まっており、こちらはIAEA(国際原子力機構)の長期にわたるチェックのもと安全を最優先にして着実に行われている。このように見学を通して原子力発電所についての正しい知識やTEPCOの皆様が多方面で努力している姿を見たことで「メディアを介しては得られない感覚」をよく知ることができた。
3日目はまず(株)Refruitsと小高パイオニアヴィレッジを訪れた。原発事故による避難指示でコミュニティが消えてしまった街でゼロから新しい地域づくりに励む起業家たちの前向きな姿勢や考えにふれることができた。福島県の12市町村(相双地区を含む)ではこのように起業希望者や既存事業者に対して支援を行う体制を整えており、加えて「福島イノベーション・コースト構想」でドローン産業など新産業創出も支援している。「ゼロから」という視点で他地方から来た人も巻き込むことは新たな復興のあり方としてとても意味のあることだと考える。次にあすびと福島を訪れた。あすびと福島は代表の半谷さんが南相馬市小高区出身で東京電力に入社したが原発事故をきっかけにその責任と地元復興にかける想いから次世代人材育成のために立ち上げられたそうだ。学生や新入社員に成長の場を無料で提供し、成長した人材が福島を含む地方で新たな価値を創出するよう支援しておりここにも復興に取り組む勇姿があった。ここでは3日間の研修を踏まえて各々が思い描く未来について考えた。同じ研修過程を踏んできているが参加者18人の福島県に対する印象や思い描く未来は全員異なっていて驚くとともに多くの視点を学ぶことができた。
4日目はいわき市のアクアマリンふくしまを訪れた。アクアマリンふくしまでは原発事故の影響は免れたものの津波の被害を大きくうけて展示生物のおよそ9割を失ってしまったそうだ。しかし、全国各地からの支援やチームワークのおかげで震災から半年足らずで再オープンを果たした。現在では震災の教訓を生かして防災訓練の改善やエネルギー源の確保など防災・減災に向けて最大限の努力をしている。そんなアクアマリンふくしまの展示はとても素晴らしく、特に「潮目の海」コーナーは普段見ることのできない視点から魚を見ることができて面白かった。また、釣り体験など体験型アクティビティをしたり環境保全教育を学べるのでぜひ福島に来た時は訪れてみてほしい。
このように4日間の研修を通して現地の人の多くの活動を目にすることができた。どの市町村にも共通していたのは目的は違えどそれぞれが福島県の復興再生に向けてひたすら前向きに動いているということだ。このことは実地に赴かないと分からなかったことであり、僕の将来を改めて考えるきっかけとなった。ここまで僕の考えの変化を辿っていたため固い話となってしまったが、福島研修では海鮮丼を含むグルメはもちろんのことサイクリングやウォーキングサッカーなど楽しいアクティビティもたくさんあった。一方で震災遺構浪江町立請戸小学校や双葉町役場旧庁舎など震災で時が止まってそのまま生々しく残されている場所もある。よって福島県は「楽しみ」と同時に原発事故を経験したという日本で唯一の「学び」を得られる貴重な場所であるのでWISHの皆はSIプログラムに積極的に行ってぜひ福島研修に参加してみてほしい。最後に福島研修を企画・実行してくれた福島県庁の関係者および早稲田大学学生生活課の関係者にはとても感謝している。また、4日間を共に過ごしたWISH寮生のみんなにも感謝している。
(渡邉 皓介)