今回はじめての実施となる韓国での海外SIアワード研修。「韓国の歴史と文化を知ろう!」を目的に、前期のSIプログラム優秀者の中から12名の寮生がソウルでの4泊5日の研修に参加しました。多くの場所を見学したことで、さまざまな角度から韓国への理解を深められたようです。
歴史との共存
私がこの海外SIアワードの韓国研修に参加して強く意識させられたのは「私はどこに生きているのか」ということでした。
韓国民俗村という朝鮮半島の伝統文化を体験できるテーマパークで韓服を着る機会がありました。韓国の伝統的な衣装である韓服も日本の和服も中国から伝わったものです。よって、それらは布を体の前で交差する、袖がゆったりとしている、のような点が似ているといえます。しかし、実際に着てみると「似ている」けれど「同じ」ではないということを感じました。それはつまり中国文化の影響を受けながら、朝鮮半島・日本列島のそれぞれで独自の形に発展したということです。そのことが不思議に思え、文化が異なるということの面白さを味わうことができました。その一方で、東アジアに生きる私たちは文化を共有しているからこそ、お互いの細かな差に気付き、その美しさを享受できるのではないかと考えました。「異文化理解」とは別に、「同じ文化圏に生きている」という感覚も大切にしたいと感じました。
二日目の夜には、光化門広場を訪れました。李舜臣、世宗大王、景福宮(朝鮮王朝の王宮)、青瓦台(大統領府)が一直線に並ぶそこは、韓国の歴史軸だと思いました。私はそこを歩いたときに感じたことのない感覚に襲われました。そこに立つということは、この国の歴史の線上に自分が存在するということであり、日本では自分がこの国の歴史上にいると認識したことがないからではないかと考えました。
先に述べたことは私の仮説ですが、私たちは確かに韓国の歴史上に存在します。最終日に訪れた西大門刑務所歴史博物館では日本が朝鮮半島を不当に支配していたことを学びました。ちょうど釜山の小学生も修学旅行で訪れていました。拷問器具や牢獄を見た子供たちの眼に日本人である私はどう映るのか、この子たちと私たちはどんな未来を望むだろうと想像しました。歴史は生きている。そして過去・今・未来は繋がっているという当たり前のことの意味をようやく理解し、自分がこの世界で空間・文化・歴史的にどこに生きているのかということを客観的に考えさせられました。
この五日間で多くを学べたと思っていました。しかし、帰国後のある講義で、私が見た韓国は「私が見た韓国」に過ぎないということを知りました。この研修に参加したおかげで今も連鎖的に学びが増えていくことが実感でき、学びの際限のなさを楽しんでいます。
経験は投資。
Take time by the forelock.
(K.M)